二章:二、青天の霹靂

 翌日は死ぬほど騒がしい朝だった。



 銅鑼の音で飛び起きると、大門に馬鹿みたいな数の馬が並んでいた。


「戦争でも始まんのかよ」

 土煙で曇る門楼を眺めると、煬烏よううが扇の下で咳込んだ。

「終わったのだ。南方の賊徒討伐だとか」



 先頭に鎧姿の長身の男がいる。

 煬烏よりデカいんじゃないか。日焼けのせいか、黒帷子と同じくらい真っ黒な肌だ。男は太い眉を顰め、息を吸った。


「今戻ったぞ!」

 空気が震動するようなデカい声だった。煬烏も扇を取り落として耳を塞いでいる。

「列を乱すな! 帰還までが遠征だと思え!」

 遠くにいても鼓膜が破れそうだ。


「タッパもデケえし、声もデケえ。そういう方術か?」

「あれは鷹翔おうしょう殿下だ。私の兄で第二皇子だ。つまりお前の発言は不敬にあたる」

「すみませんでした……」



 第二皇子、鷹翔が馬を降りてこちらに向かって来る。煬烏は慇懃に頭を下げた。

「二兄。無事の御帰還、何よりです」

「煬烏、聞こえんぞ! 上背に見合った声を出せ!」

「私は兄上と違い、肺より頭の方が重いようですから」

「嫌味もわかりにくい! 罵倒ならそれとわかるようにせんか!」


 煬烏は拾い直した扇を広げて囁いた。

「悪口だけは聞こえるのだ」

「耳の造りは兄弟でよく似てるみたいですね」

 扇が俺の頭を叩く。一生拾わなければよかったのに。


 煬烏は朗らかに言った。

「二兄を罵倒などとんでもない。此度の軍功でより玉座に近づいたではありませぬか」

 鷹翔は眉を顰めた。

「知っているだろう! 俺は玉座を簒奪する気など毛頭ない!」

 空気がビリビリと震えた。


 噂をすれば、皇太子の天鸞てんらんが青白い顔で歩いてくるのが見えた。

「お帰り、怪我はなかった? じゃない、武運は聞き及んで、これも違うかな……」

 しどろもどろになる天鸞の手を鷹翔が勢いよく掴んだ。


「ご多忙の中、出迎えに来てくださるとは何という心遣い! やはり兄上こそ天子の器です!」

「忙しくないよ……六部を手伝おうとしたけど断られてしまったし……」

「その不敬者は何奴ですか! 俺が直々に折檻を!」

 天鸞が泣きそうになっている。


「何だあれ……」

 呆れる俺に煬烏がまた囁いた。

「二兄は幼少から戦で武功を上げる逸物だが、あの通りでな。何故か天鸞兄上に心酔しておる」

「どういう理屈ですか」

「単純故、年上は敬えという常識が頭に張り付いているのだろう。功績なら最も玉座に近く、内心は最も玉座に遠い。奸計抜きに天鸞兄上を皇帝にしようと思っているのは二兄くらいのものだ」

「まともな皇子はいないのかよ……」


 煬烏は肩を竦めた。

「他人を憂いている場合か? 昼より謁見の儀があろう」


 俺は思い出して溜息をついた。

 今日は宮廷に入った方士が皇帝に直々に謁見する日だ。

 陛下の病や連続殺人騒動で先延ばしになっていたが、いよいよ腹を括るしかない。


「尤も、父上は病床故、我々皇子が行うがな。私の助けには期待するな。身を引き締めよ」

 煬烏が犬歯を剥き出しに俺を眺める。

 要はまた詐欺をしなきゃいけないってことだ。



 芍薬の咲き乱れる庭を抜けると、贔屓ひき殿が現れる。

 黒曜でできた堅牢な殿は、中も漆で黒く塗られ、柱を盛り上げる金箔の雲海模様も重厚だ。

 天子が儀式に使う間に相応しく、重苦しい空気が滞留していた。


 早くも憂鬱になったとき、覚えのある声が聞こえた。

はん雲嵐うんらんも来てたのね」

蘇葵そき

 幼馴染の葵は結い上げた髪に花を飾って、だいぶ大人びて見えた。


「すっかり宮廷人らしくなったな」

「雲嵐は変わらないのね」

燕雙えんそう殿下の侍従にはなれたのかよ?」

「嫌だ、本気にしたの?」

 葵はくすくすと笑い、俺の肩を叩く。

「私は王弟殿下の侍従になったのよ」

「王弟?」

「ええ、陛下の弟君なの。普段表舞台に出ないけど、ご病気の陛下に代わって影で宮廷を支える立派な方よ。」

 そんな奴がいたとは知らなかった。

「よかったな。権力闘争とは無縁そうだ」


 葵はふと表情を曇らせた。

「儀式では大変そうだったけど平気?」

 俺は曖昧に頷いて言葉を探す。

「おう、天劫の儀で見出せない方術もあるんだってよ」

「そんなの聞いたことがないけれど」

 葵は俺の百倍方術に長けている。下手な誤魔化しは通用しなさそうだ。


「まあ、何とかやるさ。俺も第五皇子の侍従になったことだしな」

「その第五皇子が一番不安ではなくて?」

 俺は思わず眉間に皺を寄せた。


「天才方士のお前まで迷信かよ」

「ううん、出自は関係なしに性格がまずいって聞いたわ。子どもの頃、犬に蛇を消しかけたり、蟻の巣に熱湯を注いで遊んでたって」

「そんなことしたのかよ……」


 葵は華やかな衣の袖を弄んだ。

「私は心配なのよ、雲嵐。無理してないかって」

 俺は口を噤む。


 実際無理はずっとしてる。

 方術もないのに真実が見えると嘯かされて、あと三つ事件を解決しなきゃならない。加えて、霊だの悪夢だの嵐が来るだの言われた直後だ。

 俺が落ちこぼれだと知っている葵から見れば、身の丈に合わないことをしてるのは一目瞭然だろう。


 俺は子どもじみてると思いつつ、葵を突っぱねた。

「平気だよ。殿下も噂ほど悪人じゃねえしな。親父に送る金もくれたし、飯も分けてくれる」

「餌付けされてるの?」

「違えよ。だいたい忌子だって噂は何だ。あいつのお袋が何をしたんだよ」

「それが、わからないの……」

「わからないのに噂だけ?」



 葵の答えを聞く前に、贔屓殿の奥の御簾が跳ね上がった。


 屏風の向こうに、礼服を纏った皇子たちが座している。


 天鸞は俯きがちに目を泳がせ、隣の鷹翔は腕組みして構えている。

 燕雙は葵に向けて爽やかに微笑んだ。奴のの心配はもうしなくてよさそうだ。

 最後尾の煬烏は嫌な笑みを浮かべて俺を見ている。くそったれ。



 そのとき、遅れてひとりの女が殿に入ってきた。


 黒く長い髪をひとつに纏め、金の簪を飾っている。切り揃えた前髪の下の眉と瞳は気の強さが伺えた。

 天劫の儀で俺の隣にいた女だ。


おう宝輝ほうき、参りました」

 鋼を打ったような鋭い声に、鷹翔が僅かに腰を浮かせた。

「宝輝か」

 鷹翔の太眉が少し下がる。声も心なしか小さい。

「ご無沙汰しております。我が姉に代わって殿下をお支えするため推参いたしました」


 宝輝と呼ばれた女は礼を返した。こいつら知り合いなのか。


 王家も方士の名家だ。

 一族の中で方術を持たない男は軍に、女は宮廷の縁者に嫁がせて財を築いたと聞いたことがある。


 鷹翔は一瞬瞑目し、再び鋭い目つきに戻った。



 天鸞が辺りを見回しながら言う。

「ええと、皆揃ったようだし、挨拶から……」

「不敬とは知りながら」

 宝輝の声が遮った。


 天鸞はわかりやすく慌て出す。

「挨拶が終わってからでは駄目? 手筈があってね……」


 鷹翔が立ち上がった。

「宝輝、分を弁えよ! 其方の姉のことがあろうと、皇太子殿下への非礼は許されんぞ!」

「天鸞殿下にも関わることです」

 宝輝は涼しい声で言った。その一言で鷹翔は黙り込む。

 煬烏が煩わしげに眉を顰めた。



 宝輝は恭しく告げる。

「この宮廷は偽りに満ちています。皇太子殿下を欺かんとする奸計が」

 俺は葵にどうなってんだと視線を送った。葵はただ首を振るだけだ。


「私を……?」

 天鸞がまた泣きそうな顔をする。

「はい、ですがご心配なく。憂いは私が晴らします。私に与えられた方術は天罰。神の意志を代弁し、天子に仇成す者に死を与えましょう」

 何てこった。どこかで聞いたような台詞だ。俺が言わされたのに似ている。


「天鸞殿下は芸術がご趣味とか。ですが、時折贋作を持ち込む輩がいるそうですね

「どうしてそれを……」


 宝輝は堂々と天井を指差した。

「まず、贋作と知りながらそれを保つ不敬者に罰を。次に、贋作を売りつけた商人、贋作絵師が死にます」

 殿にいる全員が息を呑む。宝輝が手を下ろした。


「最後に、この宮廷に紛れ込んだ最も不敬の詐欺師を殺してみせましょう」


 宝輝の指は真っ直ぐに俺を指していた。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る