二章:三、天罰の刻

 謁見の儀はしっちゃかめっちゃかだった。


 予言を聞いた天鸞てんらんがまたぶっ倒れ、怒った鷹翔おうしょう宝輝ほうきを連れて飛び出した。

 結局、残った煬烏ようう燕雙えんそうにとっくに不要な挨拶をする馬鹿らしい式になった。



 夕暮れの宮殿は空の色に溶け込んで妙に禍々しい。


 贔屓殿を出るなり、俺の隣で蘇葵そきが呟いた。

「何よあの女、皇子の侍従になったからって調子に乗って……」

「落ち着けよ。後宮小説の悪役みたいだぞ」

「だって、雲嵐うんらんのことを詐欺師って言ったのよ。何故怒らないの?」


 葵が俺の肩を掴む。細い指ですごい力だ。

 詐欺は本当だから何も言えない。それより、奴が何故それを知ってるのかが問題だ。


「何だか本当のことを言われたみたいな顔……」

 葵は目ざとく俺の不安を読み取る。幼馴染はこういうとき厄介だ。

「もしかして、真実が見えるのは嘘なの?」

「な、何言ってんだよ」

「だって、儀式でも方術は見出されなかったし……」

「この前の事件だって俺が解決したの知ってんだろ」


 俺は葵の手を振り解く。彼女は俺を見上げた。昔は俺より背が高かったのに、と何となく思った。


「家のために無理して宮廷にいるんじゃないの? 雲嵐のお父様はお母様が亡くなってから宮廷との繋がりがなくて焦ってるみたいだったし……」


 俺は押し黙った。宮殿に留まる一番の理由は煬烏の脅迫だが、家のことを思わなかった訳じゃない。

「違えよ。仮にそうだとしても俺に別の方法はねえだろ」

「あるわ」

 葵の目から光が消えた。暗い井戸の底みたいだ。


「私の家に入ればいいのよ。私は宮廷方士なんだから、貴方も宮廷との繋がりができるでしょう?」

「それ、どういう……」



 俺が後退ったとき、芍薬の茂みががさりと音を立てた。

「そこにおったか。探したぞ」

 煬烏がデカい背を曲げて庭木を潜った。

 葵は笑みを繕って頭を下げる。重苦しい空気が消えた。


 葵は「またね」と言い残して去った。彼女の背が見えなくなってから、煬烏は扇を広げた。


「お前も隅に置けんな。女人から婚約を申し出るとは」

「聞いてたんですが」

 煬烏は哄笑した。


「お前は性悪に目をつけられる才があるようだ。真の方術はそれでは?」

「ご自分のことをよくわかっていらっしゃる」

「その通り。私が地獄の中の救いであろう」

「何もわかってねえな」

 俺は扇でどつかれる前に肘を引く。宮廷で身につけた技はこれだけだ。



 俺は不満げな煬烏に近づいて声を低くした。

「それより、問題は宝輝の予言ですよ」

「左様。厄介な方士もいたものだ。方術もお前と似通っておる」

 煬烏は扇の先を顎にやって考え込んだ。


「皇子の御前で殺人の予告をした廉で捕らえられぬかと思ったが、叶わなかった。殺意のみでひとは殺せぬしな」

「厄介ですね」

「咎人として斬首にできれば好都合だが、無理なら陥れるしかあるまい」

「殺意だけで裁かれるなら真っ先に殿下が捕まりますからね」

 今度は避けるのを忘れて、しっかり肘に扇を喰らった。こいつも宝輝と一緒に牢に入れておけばいいのに。



 緋に染まる芍薬の間を進みながら、俺は煬烏を仰いだ。


「そういえば、鷹翔殿下と宝輝はどういう関係なんです? 顔見知りみたいですが」

「うん、あれはな…….」

 言いかけた煬烏が足を止める。



 侍従の男たちが荷車を押しながら俺たちの前を通り抜けた。

 軸木に鳳凰をあしらった荷車には巻物や絵画、骨董品が山ほど積まれていた。豪邸に盗みに入ったみたいだ。


 荷車は次々とやってくる。天鸞の部屋の方からだ。

「何をしておるのやら……」

 煬烏が眉根を寄せると、軽薄な笑い声とともに手を振る影が見えた。燕雙だ。



 俺たちが近づくと、燕雙は白い歯を見せた。

「さっきは災難だったね。俺たちの前で詐欺師呼ばわりとは」

 傍の登緋とうひが厳めしく頷いた。

「気に病むな。方士どうしの貶め合いは、不本意だがよくあることだ。我々はお前の功績を知っている」


 煬烏が胸に手を当てた。

「我が方士が貶められて胸を痛めておったところだ。ふたりだけでも彼の真心を信じてくれる者がいてありがたい」


 さっきまで謀殺を企んでいた奴とは思えない。

 登緋は自分のことのように辛そうな顔をした。詐欺師の俺が言うのも何だが、こいつの騙されやすさは心配だ。



「それで、何の騒ぎですか?」

 俺は燕雙に向けて、会話の間にも忙しなく宝物を運び出す侍従たちを指差す。

「蚤の市だよ」

「真面目な話」


 登緋が代わりに答えた。

「宝輝が贋作を所持する者に罰を与えると言っただろう。皇太子殿下に災いが起こらぬよう、お集めになった品を遠ざけているのだ。そこ、列が乱れているぞ!」


 登緋が鋭く叫び、緩慢に荷車を押していた侍従が慌てて駆け出す。彼女の赤毛は埃に塗れていた。

 奴らを手伝ってたのか。

 対する燕雙は衣に汚れひとつない。ヒモ野郎め。



 ふと、侍従たちに混じって派手な胡服の男がいるのに気づいた。煬烏も訝しげに男を見る。

「あの者は?」

「都の鑑定士さ。真贋を見分けてもらおうと思ってね」

「よくこんな急に呼べましたね」


 燕雙は俺と煬烏の耳元で囁いた。

「彼は俺に借りがあるからさ。簡単に言うと痴情のもつれに関して」

「詳しく言うと?」

「彼が別れたがってる愛人を俺が寝取った」

「天罰なら三兄に当たるべきですな」



 鑑定士は荷車の列に向けて煩わしげに手を振った。

「ああ、運ばなくてよし。その車にあるのは全部贋作だ」


 燕雙が笑顔で近づいていった。

「遠目でよくわかるね」

「目を瞑ってもわかるほどですよ。何故こんなものが宝物庫に? 皇太子殿下どころか宮廷の品格に関わります」

 鑑定士は不快の色を隠さずに答える。

「謝礼は弾んどくぜ。で、贋作を造った者も特定できそう?」

「どうでしょうな。それらしいものは回収します。後は捨ててよろしいかと」



 煬烏が俺の耳元に口を寄せた。

「三兄も存じているだろうが、彼奴を信用しすぎぬよう。真作を贋作と嘯いて手に入れる算段かもしれんからな」

「なるほどね……」



 絵や薄い皿などは女官たちが運んでいるようだ。

 その中に色素の薄い編み髪が見えた。


杓児しゃくじもいるのかよ」

 奴は贋作だろうが何だろうが盗むに決まってる。俺は宝の山をゴソゴソやってる杓児の腕を後ろから抑えた。


「脅かさないでよ!」

 杓児は叫んで珊瑚の首飾りを取り落とす。やっぱりだ。

「今日はやめとけ、天罰が下るぞ」

「急に方士らしいこと言い出さないで」

「聞いてねえのか。贋作と持ってる奴が痛い目に遭って、作った奴は殺すって予言があったんだ。この騒動はそれが発端だ」

「嫌だ、早く言ってよ!」


 奴は腰帯や懐から手品のように絵巻や手鏡を取り出す。何て奴だ。

「他にもうねえか」

「あんたって刑部の役人みたい。たぶんもうないよ」

 杓児が薄くなった衣をぽんぽんと叩くと、細い木片のようなものが落ちた。


「それは?」

「荷車の車輪の軸木」

「何でそんなもんまで盗むんだよ!」

「すごい彫刻だから売れるかなって思ったの!」


 天罰を下すべき奴が多すぎる。神が過労死しそうだ。

 二人組の侍従が押す荷車が不自然に傾き、進むのに難儀していた。杓児が軸木を盗んだせいだ。



「直してこいよ」

 俺が背を押すと、杓的は大袈裟によろけた。

「痛い!」

 杓児は悲痛な声で叫んで蹲る。演技かと思ったが、彼女は本当に泣いていた。強く押しすぎたか。


「悪い、わざとじゃねえんだ。大丈夫か?」

 近寄って覗き込むと、杓児の手首が青黒く腫れていた。俺は腕は押していないし、転んで手をついた様子もない。



 ぎゃっ、と低い悲鳴が聞こえた。

 軸木を失った荷車が横転し、侍従たちが倒れている。彼らの足や手首は反対に捻じ曲がり、辺りに宝物が散乱していた。


 侍従や女官が次々と倒れていく。

「何が起きてんだよ……!」


 俺は杓児の襟首を掴んで物陰に押しやり、煬烏の元に駆け戻った。

「予言の起こりか」

 煬烏は鋭い目で辺りを睨みながら呟いた。



 ぐっと、胃の腑から空気が押し出されたような嫌な声が聞こえた。

 燕雙と会話していた鑑定士の男が両腕を後ろに突き出している。見えない何かに掴まれたみたいだ。


 男の両腕が蔦のように絡み合って捻じ曲がり、身体が宙に浮いた。

 男は呻きながら脚をばたつかせる。



「曲者か!」

 堂緋が叫んで駆け出した。周囲にひりつくような熱気が立ち込め、炎の渦が巻き起こった。


 燃え盛る火炎が迸り、侍従たちが倒れる周囲を円形に取り囲む。熱波が押し寄せ、俺の前髪が焦げた。

 俺は煬烏を背後に庇い、炎の渦を見定めた。


 聳り立つ炎の壁にを突風が穴を穿つ。蜃気楼に歪んだ光景が一瞬見え、再び炎に押し包まれた。



 荒い息を吐く登緋の肩を燕雙が叩いた。

「殿下……」

 炎が瞬く間に消えた。燕雙は沈鬱に首を振る。


 足元には鑑定士の男が倒れていた。男の背中の上に顔がある。首が反対に曲がって事切れていた。



「マジかよ……」

 予言が、本当になった。

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