一章:六、涙と嗤い

 翌朝、俺と煬烏よううは殺された女官、月娘げつじょうが安置される霊廟を訪れた。


 遺体は衣で包んで紐で縛るれんの儀式を終え、棺に収めたらしい。

 廟に踏み入った瞬間、野太い泣き声が耳をつんざいた。


 赤い衣の武官が簡素な棺に縋ってなりふり構わず泣いている。取り囲む女官たちと宦官が彼を慰めていた。


 煬烏は扇を広げ、冷たい視線を投げる。こいつに同情なんて機能はない。

 ろくなことを言わないか心配になったが、視線の理由は呆れではないようだった。


 大泣きしていた武官が顔を上げた。

 それでわかった。

 武官と傍の宦官は昨日、石牢から出た燕雙えんそうを見ていた奴らだ。



 宦官に肩を叩かれ、武官が立ち上がる。

 冷たい石床にへたり込んでいたせいか、男は何度か転びかけながら此方へ寄ってきた。


 まだしゃくり上げている武官に代わって、宦官が言う。


「これは煬烏殿下、はん方士」

 深々と礼をするふたりに、煬烏は鷹揚に応えた。

「何とも惨たらしい事件であった。我が方士が彼女の無念を晴らすため尽力しておる故、暫し待たれよ」

 俺は舌打ちを堪えて曖昧に頷いた。


 宦官が俺の方を向く。

「私は道貫どうかん。こちらは友人の王景おうけいです」

 髭を涙と鼻水で汚した武官が悲鳴じみた声を上げた。

「必ず犯人を見つけてくだされ。月娘は、我が……」

「思い人であったのです」

 道貫が言葉を引き継いだ。奴が燕雙を睨んでいた理由がわかった。



 王景が怒りで顔を赤くした。

「犯人は登緋とうひではないのですか」

 俺が何と言うか迷っている間に、煬烏が代わりに答えた。

「彼女には動悸がない。それに、私が登緋であれば真っ先に疑われるような殺し方は選ばんな」

「怒りで我を忘れたのかもしれません。登緋は燕雙殿下を慕っていますから」


 俺は口を開けた。月娘と燕雙の仲を知ってたのか。

「三兄の恋人を殺していては後宮の女官が半分になるぞ」

 淡々と返す煬烏に、道貫は目を細めた。

「ですが、もし、月娘が殿下の子を宿していたならば?」

 腹の抉れた死体が脳裏を過り、俺は息を呑む。


「近き皇位継承の運びに当たって御落胤が生まれては不都合です。燕雙殿下のために月娘を殺したのでは?」


 俺は何も言えなかったが、煬烏は平然と答えた。

「憶測で物は語れん。この先は我が方士に頼るとしよう」

 煬烏は俺の襟首を掴んで引いた。


 王景が髭から雫を飛ばして叫んだ。

「誰を慕おうと月娘が幸せなら善いと思っていましたが……こんなのはあんまりです。必ず仇を討ってくだされ」

 慟哭を背に、俺たちは廟を後にした。



 芍薬が咲く小道で煬烏は足を止め、俺の襟を手放した。

「雲嵐、どう思う?」

「どうもこうも……」

「誰が得をするかを考えよと言ったはずだ。三兄は遊び方を心得ておる。迂闊に子を作らぬだろう。故に、女官殺しに得はない」


 俺は締まった喉をさすりながら頭を回す。

「……燕雙殿下に疑いが向くと得する奴がいるってことですか」

 煬烏は少し口角を上げた。

「いや、今更あの遊び人の評価に拘りますか?」

「三兄はひと垂らしだ。六部とも後宮とも縁が多い。来賓のもてなしも任される故、外部とも繋がりがある。奸計を企む者には案外厄介な存在だぞ」

「成程」



 俺は頭に手をやった。

「登緋に濡れ衣を着せるとして、方術を使わずに死体が炭化するまで焼く方法があるか……」

「それは私もまだわからん。それほどの火を焚けば何処でも目につくだろう」

「炎を使える方士は他にいないですよね」

「有り得んとは言い切れんな。宮廷で徴用される名家とは異なり、方士の血筋が途絶え、衰退した家がない訳ではない」


 親の才が子に受け継がれる訳じゃない。俺もそうだ。方術を使える人間が減り、方士を廃業した家の話も稀に聞いた。

 だが、そうした者の末裔に、偶々方術を使える者がまた生まれたら。



 芍薬の花垣がざわついた。

 俺は咄嗟に振り返る。現れたのは、女官の杓児しゃくじだった。


 煬烏が猛禽類じみた視線を向ける。

「ここで何をしていた」

 杓児は慌てて俯いた。

「掃除のついでに金目の物が落ちてないか探してて……」


 煬烏が目を丸めた。俺は隣で囁く。

「本当だと思います。そういう奴です」

「それはそれでどうなのだ……」

 この男が唖然とするのは珍しい。俺は呆れながら杓児に近寄った。

 

「今怪しいことすんなよ。余計な疑いがかかるぞ」

 彼女の手は土で汚れていた。

「で、何を拾ったんだ」

「これ。埋めてあったけど先端だけ出てたの。金属みたい」


 杓児が見せたのは泥まみれの鏃だった。ひっ先は青黒く錆び、中心には「熇」の字が彫られている。


「これは毒矢だな」

 いつの間にか、煬烏が覗き込んでいた。杓児が悲鳴をあげて鏃を落とす。


「それほど泥に濡れては効果もなかろうよ」

 煬烏は布を取り出して鏃を拾い、杓児を見据えた。

「お前は何も見ておらんな」


 杓児は真っ青になって何度も頷く。

 煬烏が懐に鏃を収めると、彼女は素早く俺に身を寄せた。

「殿下ってこんな怖いひとだっけ。いつも大人しそうなのに」

「あれが本性だ。漬け込まれないように気をつけろ。俺はもう手遅れだけどな」

 杓児は大きな目で俺を眺めた。


「哀れだね……」

「盗人に哀れまれるほど落ちぶれちゃいねえよ。早く行け」

 杓児は跳ねるように一礼し、花垣の向こうに去っていった。



 煬烏は彼女が見えなくなると、犬歯を覗かせて笑った。

「この矢は武官に支給されるものだぞ」

「え……」


 棺に縋って泣いていた王景という男も武官だ。決めつけるのは早いと自分に言い聞かせる。

 意中の女が燕雙に靡いたから殺した? じゃあ、泣いてたのも演技か?


「その上、よく見よ。錆び方が二種類に分かれている。青い錆は毒だが、赤は血潮だな。一度射られて血を吸った矢だ」

 煬烏が見せた鏃は、確かに青紫と茶けた赤が波のようにせめぎ合っていた。


「誰が……」

「死人はひとりしかおらんだろう」

 月娘は焼き殺されたんじゃない。射殺された。腹を抉ったのは鏃を取り出すためだ。

 武官の矢が使われたとわからないように。



 煬烏は獰猛に微笑んだ。

「雲嵐よ、釣りをするぞ。夜釣りだ」

「何の話ですか」

「釣るのは魚ではない、ひと殺しだ。餌を用意せねばな」

 芍薬の花が血を塗ったような赤く咲き乱れていて、俺は気が遠くなった。

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