一章:四、予感と的中

 悲鳴が聞こえた気がして、俺は飛び起きた。

 夜明け前だ。窓の外を覗こうとしたが、暗くて指の先も見えない。


 心臓が針金で縛られたように痛む。悪い予感がした。

「勘弁してくれよ……」

 辺りは無音だ。悪夢を見たと自分に言い聞かせ、俺は再び横になった。



 翌朝、俺を見るなり煬烏よううが言った。

「悲惨な顔だな」

「眠れなかったんですよ」

 俺は迷ったが、昨夜の悲鳴の話をした。

 煬烏は揶揄うでもなく首を傾げた。


「頃合いかもしれんな」

「何がです?」

「予言の呪いだ。父上の御加減は芳しくない。皇位争いと共に災禍が来るのだろう」

「冗談よしてくださいよ」

 煬烏は牙を覗かせる。

「皇子は五人、災禍は四つ。設えたようだ。誰が斃れ、誰が残るのやら」

 悪いことは言わない方がいい。本当になるからだ。

 俺たちが朝食を終える前に、狻猊殿で焼死体が見つかった。



 ***



「私には真実が見えます」

 皇子と兵士と死体の輪の中央で、俺はそう言わされた。


 全員が俺を見る。こいつは何を言ってるんだって面だ。俺もそう思う。そうじゃないのは煬烏だけだ。

雲嵐うんらんは七日前の儀で見出された稀代の方士です。必ず死者の無念を晴らし、宮廷に安寧を取り戻すことでしょう」


 野郎はデカい声で言い、死体の方に俺を押し出す。

 思わず見返すと、煬烏は哀しげに眉を下げた。

「驚きと哀しみは言うまでもない。しかし、涙で死者は生き返らん。さあ見聞を」


 正気かこいつは。

 兵士たちが戸惑いながら道を開ける。方士が宮廷で持つ権力が恨めしい。

 俺は仕方なく煤けた緞帳の方へ進んだ。



 髪が焦げた匂いが鼻をつき、胃液が込み上げる。

 俺は袖で口を抑えながら、一息に緞帳を押し開いた。


 真っ黒に焦げた死体は所々乾いた土のようにひび割れている。人相どころか服も焼けて、男か女かもわからない。

 目を背けたくなるのを必死で堪えた。やるしかねえ。


 遺体の腹の一部が陥没しているのがわかった。ただ焼いただけじゃこうはならない。

 そして、僅かに燃え残った服の切れ端が付着している。浅葱色の補服、下級の文官だ。

 だが、やけに身体が小さい。死体は焼くと縮むが、こうまでなるものか?


 俺はふと自分の指に煤がついているのに気づいた。

 死体には触れてない。緞帳だ。

 近くで見ると朱色の布は全くの無事で、煤を塗っただけだとわかる。

 ここで焼き殺したなら布にも燃え移るはずだ。



 俺は緞帳から出て、群衆に向かって言った。

「小柄な文官の姿が見えました。六部で失踪者がいないか調べてください。自ずと誰が殺されたかわかるでしょう」

 兵士たちが怪訝な顔で緞帳を潜り、声を上げた。

「補服の切端が残っているぞ! 三品の官吏だ!」

 周囲が響めき、煬烏が満足げに頷く。張り倒したいのを堪えて俺は続けた。


「この者はここで焼き殺された訳ではありません。腹を刺され、別の場所で焼かれ、ここまで運ばれました」

 感嘆の声が漏れ、皆が俺の言葉の続きを待つ。だが、これ以上何も言えない。


 示し合わせたように煬烏が俺に歩み寄った。

「大義であった。世俗に塗れた宮廷では上手く方術を使えないだろうに」

 腹立たしいが助かった。俺は頭痛に耐えるように額を抑えた。

「犯人までわかればよかったのですが。不甲斐ないです」

 煬烏が目を丸くする。何驚いてやがる。七日間でお前から学んだ悪どさだ。


 兵士のひとりが呟いた。

「犯人は登緋とうひです。そんな芸当ができるのは炎の方士だけだ」

 一同が頷き始める。あの赤毛のデカい女か。俺は慌てて手を振った。

「お待ちください。彼女には動悸もなく、まだ確証もない」

「尋問すればわかることだ」

 兵士たちは腰の剣に手を伸ばす。煬烏がそれを遮った。

「血で血を贖うのは礼を失する行為です。どうか我が方士にお任せを。必ずや快刀乱麻を断つことでしょう。では、雲嵐。引き続き下手人を捜査せよ」


 助け舟に感謝した俺が馬鹿だった。嫌味のひとつでも言おうと思ったがやめた。囁き声が聞こえたからだ。


「四つの災禍だ。あの忌子がいるからに違いない。あれが第五皇子にならなければ、輪が乱れることもなかったものを……」

 煬烏は平然としていたが、一瞬頰が引き攣ったのがわかった。

 俺は煬烏に引き摺られながら狻猊殿を後にした。



 惨殺事件の後でも、宮殿の庭は明るく、池の睡蓮が纏った雫で陽光を反射していた。


 煬烏は殿の壁にもたれて腕を組む。

「禍斗の災、予言通りだな」

「禍斗ですか?」

「伝承にある、犬型の妖魔だ。炎を喰らい、炎を吐く、災いの象徴だ」

 俺は宝物庫にあった四つの呪物のひとつ、犬型の燭台を思い出す。


「元は南方の小国の呼び名であったがな。其処に代々炎を操る方士が住んでいた。国祖に誅殺された方士もそのひとりだ。恨みを抱いた禍斗の一族が宮廷に入らぬよう、妖魔としたのだろうよ」

 だとしたら、炎の方術を操る登家が何故重用されているのか。疑問を見透かしたように、煬烏が答える。


「登家は元を辿れば禍斗の一族だ。分派も分派の末端だがな。幾星霜もかけて再び宮廷で方士が重用されるようになり、登家は代々奴婢以下の扱いも受け入れて朝廷に尽くした。その甲斐あって、今の地位を築けたのだ」

「だとしたら、尚更登緋には殺す理由がないですね。一族が必死で築いた地位を昔の恨みで投げ捨てるのは割に合わない。もし、恨みがあるなら下級の文官より皇族を狙うでしょう」

「恐ろしいことを」

 煬烏はわざとらしく扇で口元を隠し、嘆いてみせた。


「だが、重畳。頭を巡らせよ。ひとつ助言をやろう。方術は不可能を可能にする。できることを考えては際限がない。できぬことの方から洗うべきだ」

 俺は首肯を返した。

「そして、前教えた通り、最も大事なのは『何故?』だ。それをして誰に得があるのか。誠を見抜け、方士よ」


 簡単に行ってくれる。

 だが、その通りだ。

 この事件で登緋に得はない。焼殺なら真っ先に登家が疑われる。俺が彼女ならそんなことはしない。

 じゃあ、誰が?

 犯人を探す前に、まず被害者が誰なのかわからなきゃ進めない。



 そう思った瞬間、頭に射し込むような痛みが走った。思わず蹲った俺を煬烏が見下ろす。

 激しい頭痛の中、先程の殿の光景が蘇る。胃がひっくり返るような混乱の中、昨夜の悲鳴と焼死体の残像が脳を過った。


 俺は、あの光景を見たことがある。


 頭痛はすぐに治った。

「どうした? 今更吐き気を催したか」

 煬烏の声に返す気力もなかった。


 一体俺はどうしたんだ。まさか、本当に真実を見通す方術があるとでも?

 そんな訳ない。俺は詐称で真実を言い当てなきゃいけない、ただの無能だ。

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