十七話

「ティラ、どこへ行っていたんだい?」


 部屋へ戻ると、少し焦ったようなスヴェンが私に詰め寄ってきた。


「鍛錬場へね。久しく剣を振っていないから兵達に相手を頼んで、体のなまりを解消していたの。……何か急用?」


「随分とのんきに構えているものだ。忘れているわけじゃないだろうね。あと四時間後……午後二時から、初めての種族会議が行われることを」


「もちろんわかっているわ。私が発案したことなのだから。スヴェンのほうこそ気負いすぎではない? まだ四時間もあるのよ?」


「もう四時間しかないんだ。その間にいろいろと打ち合わせをしておかなければ――」


「そんなものは必要ないわ。私達は素直に意見を言うだけ。スヴェンも私と一緒に出席するのだから、その場で話し合えばいいでしょう」


「君は楽観的すぎる。相手が決断の要る大きな要望を出してきたら、その場の話し合いだけでは不十分だろう。前もって考え得る要望を想定し、その返答を用意しておかなければ――」


「それも必要ない。すぐに判断の出来ないことなら、持ち帰ればいいだけのことよ。そして次の会議までに決めればいいわ」


「次? まだ一回目も始まっていないうちから、二回目の会議を考えているのかい?」


 スヴェンが丸くした目を向けてくる。


「何かおかしいかしら?」


「二回目は一回目の会議が成功しなければ、まず開かれないだろう。そして初めての会議はそうすんなりと進むとは思えない。それは君もわかっているはずだ」


「ええ。けれど私はすんなり進んでほしいとは思っていない。むしろ種族としての考えや思いを言い合い、多くの問題を挙げる場になってほしいと思っているわ」


「会議の成功よりも、問題提起のほうが大事だと?」


 私は首を横に振った。


「問題提起は手段であって、種族会議の本当の主題は、それぞれの相手との意思疎通よ。私達はこれまで獣人族を恐れることしかしてこなかった。同じように羽人族は人間を恐れることしかしなかった。それによって獣人族は悪にされ、この二種族へ深い恨みを募らせることになってしまった。その原因は相手のことを何一つ知ろうとしなかったからよ。目の前の感情に従った結果、無理解が戦いを続けさせてしまったの。相手への理解、それがなされていれば、誰も死なずに済んだはず。だから種族会議は、種族間の理解を深める場にしてもらいたいのよ。成功か失敗かなんて判断はいらないわ。自分達が主張したいことがあれば、二回目はおのずと開かれると思うわ」


 これにスヴェンは苦笑いを浮かべ、頭をぽりぽりとかいた。


「……まいったね。そういう考えだったとは。私こそ、まだまだ君のことを理解していないのかもしれない」


「まずは偏見という曇りを払わなければいけない。その上で私達は互いを理解し合えるようになる。そうなれば、恐怖で睨み合っていた過ちなど、もう二度と起きないわ」


「だといいが……」


 スヴェンは薄い笑みを見せて言った。私の言葉に理想が含まれていることはわかっているし、彼が微妙な表情を浮かべる気持ちもわかっている。それだけ種族間には長い時間をかけて不信が蓄積しているということだろう。


 私がルカトゥナを訪れてから一年が経っている。あの後、長のアイノはすぐに眠りに戻り、長代理は引き続きザクリアスが務めることになった。それには正直心配があったが、ザクリアスはアイノの意志に従うと誓い、王国に留まる理由がなくなったイーロも、自身を律し、反省を表すため、ザクリアスの側に付いて行動を見張りながら、王国との橋渡し役を続けることを約束してくれた。スヴェン以外では唯一気安く話してくれたイーロがルカトゥナへ帰ってしまったのは寂しい限りだが、この先会えないわけではない。羽人族が人間に対する不信を少しでもなくしてもらえるよう、私は会議で不可侵条約を提案するつもりでいる。アイノにはすでに言ったが、口約束では完全に信じてはくれないだろう。文書で正式に残せば、羽人族との距離も若干は縮まるはずだ。彼らは今もルカトゥナに近付く人間を拒んではいるが、その頑なな心は時間をかけてほぐしていくしかない。


 こうした問題がある一方で、新たな問題も生まれている。羽人族によって人間が長く騙されてきた事実は、この一年で王国の民の知るところとなった。本当なら獣人族と戦う理由などなかったはずが、それを強いられ、被害を被り、大事な者の命を奪われた民は、自己中心的な羽人族の行いに強い怒りの声を上げた。もう羽人族とは断交すべきだとか、過激なものでは報復の兵を挙げろという声もあり、王国内での見る目はがらりと変わってしまった。イーロが恐れていたことはまさにこれであり、スヴェンが微妙な表情を浮かべた理由もこれだ。絆が結ばれていたと思っていた相手に、実は騙されていたと知ったことで、人間側にも不信が広がっているのだ。一転して羽人族を敵とみなせば、危害を加えられるかもしれない――イーロが正直に話せず、私から逃げたのはそのためだ。スヴェンも、互いに不信を抱いた状態を危惧しており、戦争にはならなくとも、何か悪い方向へ傾きはしないかと不安視している。それを解決するために開かれるのが種族会議だが、彼は私のように楽観は出来ないようだ。けれどどうにかして不信を取り除くのが私達の使命だ。こちらの不可侵条約を彼らが受け入れ、彼らからも人間に対する公式な謝罪でもあれば、前進する大きなきっかけにはなると思うのだが……それは羽人族次第としか言えない。


 だがこれらよりも難題と言えるのは獣人族だ。長年続いた戦いの中で一番の被害者は彼らとも言える。羽人族には野蛮な悪にされ、人間には多くの者を殺された。それによって彼らは復讐心に支配され、戦いの終わりを見失うことになってしまった。その恨みは私達の想像よりもずっと深いものだろう。人間と羽人は恨まれても仕方のないことをしてきたのだから。今回の会議を打診した時、私は彼らが断ることも予想していた。こちらが主動して決めた解決方法に少なからず反発があると思ったのだ。けれどそれはいらぬ心配だった。王国との仲介役を担ってくれるクラーグが皆に上手く伝えてくれた結果なのだろう。打診をする前、私はクラーグに連絡を取り、ルカトゥナで得た真実を伝えていた。獣人族の汚名がそそがれ、自分達の主張が聞き入れられたことを評価しての出席なのかもしれない。だからと言って彼らの気持ちが治まったわけではない。おそらく中には出席に反対している者もいるはずだ。まだお会いしたことはないが、族長はそれでも会議に出ることを決断してくれた。それは私達を少しだけでも信じようとしてくれている証だ。獣人族は復讐という鎖を断ち、前向きに歩み始めようとしている。私達人間も、それに出来るだけ応えたいと思っている。


 余談だが、以前城下で捕らえられた獣人の女性ファウスタだが、彼女はお咎めなしとなって地下牢から解放された。何も罪は犯していないのだから、まあ当然ではあるのだけれど。彼女が歴史の真実を知らされていれば、きっと大喜びしていることだろう。嫌っていた戦いがようやく終わり、獣人は誰の敵でもなくなったのだ。まだ時期尚早ではあるが、種族間の偏見が薄れ、やがて消えた時には、城下でまたファウスタの姿を見かけることが出来るかもしれない。いや、彼女だけでなく、他の獣人も、そして羽人も……三種族が入り混じり、会話し、笑い合う光景。私はいつかそういうものを見てみたいと思っている。現実では山あり谷ありの道が続くだろうが、その先に待つ理想を、私はいつまでも持ち続けていたい。それが犠牲になった多くの者達への反省であり、女王としての使命となるのだ。


「スヴェン、私はこの平和を一時のものにしたくないの。何百年、何千年という永劫のものにするため、今日の種族会議を記念すべき始まりの日にするわ」


「永劫とは、また大きく出たね」


「小さいことを言うよりはましでしょう?」


「だが山積した問題から目をそらされるのは困るが」


「そらしたりなどしないわ。それを解決しなければ三種族に平和は訪れないもの。私の理想はとてつもなく高いわ。それでも、側で変わらず協力してくれる?」


 聞くとスヴェンは微笑みを浮かべた。


「そんな愚問をするのかい? たとえ私への愛が薄れようとも、私は生涯、君の側で君の右腕になり続けるつもりだよ」


「私の、スヴェンへの愛が薄れると思っているの? それを言うのなら逆でしょう。わずらわしいことはすべてあなたにやらせてしまって、こき使う私に愛想が尽きているのではないの?」


「たまに、そんな気分になる時もあるが……」


 すぐに否定してくれるものと思っていた私は、ぎくりとして見つめた。これにスヴェンはいたずらな笑みを作る。


「……冗談だよ。いくら忙しくとも、私は君と共に働けることに喜びを感じている。これからも変わらず私を頼ってほしいね」


 スヴェンがいなければ私は何も出来ないのだ。この先に待つ平和の実現も。その長い道程を行くには彼の支えが必要不可欠だ。多大な苦労が待っていると知りながら、こんな言葉を言ってくれる彼の優しさに、私の気持ちは奮い立たせられる。


「ありがとう。では遠慮なく頼らせてもらうわ。……ところで、会議場の設営のほうは済んだの?」


「もうすでに終えていると聞いている。今日は雨が降る気配もないし、屋根を取り付ける手間もない。全員が到着次第、ただちに始められる状態だ」


 種族会議が行われるのは城内ではなく、以前クラーグと話した平原の、ど真ん中に建てた仮設の会議場で行われる。これは最初の会議ということもあり、出来るだけ中立的な場所で行うべきという意見を踏まえた結果だ。あれだけ広く、見晴らしのいい場所なら、近付く不審者もすぐに見つけられ、警備もしやすいはずだ。


「あとは予定の時刻に行くだけなのね……スヴェン、少し付き合ってくれる?」


「どこへだい?」


「食堂よ。体を動かしたらお腹が空いてしまったわ。一緒に何か食べましょう」


 そんな私をスヴェンは呆れたように見てくる。


「……先ほど言ったのんきという言葉は撤回するよ。君は王らしく、やはり大物だ」


「会議のことを考えていたって仕方がないわ。今は出来ることをしないと。腹が減っては戦は出来ぬと言うでしょう?」


「今日は戦に行くわけではないけどね」


「いいえ。武器は使わないけれど、また新たな戦の始まりとも言えるわ。平和という果実を育て、それをつかみ取る戦……けれど人間だけが取ってはいけない。三種族が同じようにつかみ取らなければ意味がないわ。そのために自分達の心にはびこる負の感情を一掃しないと」


「次の敵は自分達の心か……難敵になりそうだ」


「ええ。理想への道はとても険しい。けれど私はそこへ到達したいの。簡単に諦めたくはない……その前に、腹ごしらえよ」


 私はスヴェンの手を引き、扉へと向かう。


「確かに、それも大事なことだ」


 私の手を自分の腕に組ませると、スヴェンはにこりと笑い、共に部屋を後にした。


 私はのんきで、楽観的すぎるらしい。けれどそれは強い希望を持っていて、皆の心が変われると信じているからだ。時間はいくらかかってもいい。種族間の理解が一歩でも前に進めば、それは理想へも一歩近付いたことになる。そこへの歩みを止めないことが、平和をつかみ取ろうとする私達に課せられた試練なのかもしれない。

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剣と盾の王国 柏木椎菜 @shiina_kswg

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