十六話

「人間に手を出すなと言われてるだろう。何でこんなことしてる」


 私達には構わず、イーロは仲間を指揮する男性へ詰め寄った。


「こんな奥まで入り込まれたんだ。仕方がないだろう。少し痛い目に遭わせないとこいつらは懲りずに何度も来て――」


「あの人間の女が誰だか知って言ってるのか」


「女……?」


 男性がちらと私のほうを見てくる。


「あのうるさい女が何だって言うんだよ」


「王国の女王だよ」


 これに男性は鼻で笑う。


「はんっ、そんな嘘をまともに信じ――」


「俺の仕事が何か、忘れたのか」


 この言葉に男性は一瞬考えると、はっとイーロを見返した。


「……ま、まさか、本当、なのか?」


「俺がそんなくだらない嘘をつくと思うか。お前は危うく、俺達と人間の仲を裂くところだったんだぞ」


「人間の王とは……し、知らなかったんだ。王が来るなんて思わないし、絶対に嘘だと……」


「わかったら、上のやつらをさっさと退かせて、お前も戻れ」


「あ、ああ……」


 イーロに言われた男性は崖上に合図を送ると仲間全員を解散させ、そして自らも崖上に飛び登って行くと、その姿を消した。……どうにか、危機は免れたようだ。


 私は兵達に剣を収めるよう指示し、イーロに歩み寄った。


「……イーロ、助けてくれてありがとう」


 礼を言うと、イーロは顔をそむけ、気まずそうに言う。


「礼なんか言うな。俺は本当なら、ティラとこうして話す権利もないはずだ」


「私から逃げたということは、自覚しているのね」


「………」


 イーロは返事の代わりに目を伏せた。


「何か事情があるのは察している。とても重大な、ね。でもそれをあなたに聞きはしないわ。おそらくあなたの手には負えないことでしょう。だから私は長に直接聞きに来たの。……案内を、お願い出来るかしら。それとも、やはりそれだけは出来ない?」


 イーロは苦しそうに表情を歪め、しばらく黙っていたが、おもむろに答えた。


「一応、覚悟して助けたんだけどな。いざとなると怖さが勝ってためらいそうになる」


「怖いって、一体何が?」


 紫の瞳が弱々しくこちらを見た。


「俺達、羽人族の将来さ」


「将来……?」


 大きく息を吐き出すと、イーロは何かを決心したように私を見据えた。


「種族は違っても、ティラとは長年一緒にいて、俺は勝手に親友みたいに思ってるんだ」


「それは、知らなかったわ」


 私のことなど、仕事相手くらいにしか考えていないのかと思っていた。それだけイーロは真面目に役目を果たしていたから。


「今ならわかる。王国を黙って出たのは間違いだったってな。ティラの言葉で動転なんかしないで、あの場で話せばよかったんだ。ルカトゥナに戻ったところで、結局もやもやした気持ちを抱えるしかない……これでも、俺は俺で後ろめたさを感じてたつもりだ」


 真剣な眼差しが真っすぐ見つめてくる。


「罪滅ぼしってわけじゃないけど、ティラの望み通り、長に会わせるよ」


「いいの? 決まりを破ればあなたの立場が……」


「もうそんなこと言ってられない状況だ。ティラは聞かされたんだろう? 俺達がしたことを」


「……ええ。それは、真実なの?」


「長と話せばわかることさ。ただ……俺のすることは何も伝えてない。これは俺の独断だ」


「それで本当に会うことは出来るの?」


「だから顔を隠して、こっそり入ってもらう。一人で」


 これに控えていた兵達がざわめく。


「我らを拒む者らの中に、陛下をお一人で行かせるというのか」


「こんな大人数で入れば即見つかって話どころじゃなくなる。でもティラ一人なら俺がどうにか連れて行ける。これが最低条件だ」


「だが、万が一見つかりでもしたら――」


 言い返そうとする兵士を私は制した。


「悪いけれど、皆はここで待機していて」


「陛下!」


「危険だろうとも、この機会は逃せないわ。イーロを信じましょう」


 兵達は不服そうにしながらも、渋々従う意を見せた。彼らにはわがままに付き合ってもらった感謝をしなければ。


「……決まったなら行くぞ」


 そう言うとイーロは門の横の断崖を軽やかに登って行った。


「ティラはそこで待っててくれ」


 イーロは門の向こう側へ消え、私は言われた通りに待つ。と、錆びた門がギギギと音を立て、少しずつ動き始めた。


「……こっちだ。入れ」


 わずかに開いた門の隙間の向こうからイーロが顔を出して呼んだ。金属製のこんな大きな門を、一人で開けたのだろうか。


「随分と重そうな門なのに、一体どうやって開けたの?」


「これは機械仕掛けなんだよ。ほら、あそこに取っ手と巻かれた針金があるだろう」


 門の裏の脇を見ると、確かに歯車や無数の針金が伸びているのが見えた。


「あれなら非力な俺達でも簡単に開けられるってわけさ。この門は侵入者を防ぐために作られたらしいけど、資材を運び入れる時なんかにも開ける必要はあるからな。……それじゃあ行くぞ」


「陛下、お気を付けください」


 見送る兵達に私は頷きを返し、門をくぐってイーロの後を追った。


「ルカトゥナはこの先に?」


「ああ。すぐ先だ。そのフード、深くかぶって顔を隠してくれ」


 私は指示通り、目深にフードをかぶり、出来るだけ顔が見えないよう、うつむき加減に進んだ。そうして道なりにしばらく行くと、イーロが言った。


「長に会うまでは口を開くなよ。……ルカトゥナに到着だ」


 緩やかな風と共に、かぐわしい花の香りがして、私は思わず顔を上げた。


「ここが、羽人族の住み処……」


 目の前には大きな円形の広場があり、その中央には白い花を付けた巨木がそびえていた。他にもその周りには色とりどりの花が咲いており、まるで小さな花畑のようになっている。香りはこの花達のものだろう。それにしても驚いた。渓谷に来てから樹木はおろか、花さえも見かけなかったというのに、ここには花も緑も溢れている。さらに周囲を見回せば、取り囲むようにそびえる断崖の壁面には大小の穴が開いており、そこには鉢植えの花がいくつも飾られている。あの穴は何かと眺めていると、その奥から羽人が現れ、鉢植えに水をあげ始めた。別の穴の中では何かを飲みながらくつろいでいる者の様子が見えた。……そうか。あの穴は窓で、羽人は断崖に掘った穴を住居にしているのか。まさか獣人族と似た形態を取っているとは思わなかった……。


「……あまりきょろきょろするな。仲間の目に付く」


 小声で注意され、私はすぐに顔を伏せた。初めて目の当たりにする羽人族の暮らしぶりはもっと見たいし、興味は尽きないが、怪しまれたら話す機会を失いかねないのだ。ここは好奇心を抑え、我慢するしかない。黙ってイーロの後を追う間も、どこからか聞こえる笑い声や、何かを作っているような物音、朝食と思われる甘く香ばしい匂いが次々に私の元へ届く。それらから感じられるのは、ルカトゥナは至って平和ということだ。それぞれがそれぞれの仕事を行い、家族や友人と時間を共にし、穏やかに過ごしている。それは一見王国の民と変わりがないようでもあるが、実際は違う。民は日々獣人の襲撃に怯えているのだ。そしてその被害を受けてもいる。そんな民を守るために兵士は数え切れないほど犠牲になっている。すべては建国時の約束――羽人族を守るため。そのために私達人間は命を張り続けていたはずだった。けれど、真実はねじ曲げられていたかもしれない。羽人族の都合によって……。


「この中に長がいる。入るぞ」


 イーロが足を止めた前には、彫刻が施された美しい扉があった。いかにも要人用らしい見た目の入り口だ。そこを押し開くとイーロは躊躇なく突き進んで行く。


 崖の壁面をくり抜いた部屋とは思えないほど、中は綺麗に整っていた。獣人族の住む洞窟とは違い、その床や壁に削った凹凸はなく、まるで板を張り付けたように滑らかな表面をしている。柱も、そのままでは無骨になるものを、植物を題材にした細かな彫刻で芸術的に変えられている。他にも吊るされた照明や棚、長椅子などの家具も、羽人族ならではの曲線を活かした造形で、城内に置かれていても違和感のない完成度と美しさを見せている。これが彼らの技術であり、美意識で、文化……正直、ここまでのものとは思っていなかった。


「……戻ったか。外の騒ぎは収まったのか」


 部屋の最奥で机に向かって手を動かしている男性が、こちらに顔を向けずに言った。


「ザクリアス、客を連れて来た」


「客……?」


 これに顔を上げた男性はイーロを見やり、次に側に立つ私の存在に気付き、表情をしかめた。


「……誰だ。ここの者ではないな」


 声は警戒感に低くなる。その見た目はイーロよりも年上で、人間で言えば四、五十代くらいだろうか。長い銀髪は後ろへ撫で付けられ、白を基調としたローブのような服を着ている。私を見る目は少し気難しそうな印象だが……彼が羽人族をまとめる長なのか。


「紹介するよ。彼女はフレンニング王国の王、ティラだ」


 私はフードを脱ぎ、顔を見せた。


「初めまして。ようやくお会いすることが出来ました」


 途端、男性は椅子から立ち上がり、怒りの眼差しをイーロへ向けた。


「イーロ、貴様……! なぜ私の言うことを聞かずに……」


 その声を無視し、イーロは私に言う。


「彼はザクリアス。長代理だ」


 ……代理?


「長ではないの?」


「今はザクリアスが長だけど、本当の長は――」


「黙れイーロ! 我々の計画を止める気か!」


 ザクリアスは感情もあらわに、ずかずかとイーロに歩み寄って来る。


「なぜ人間の王など連れて来たのだ。自分勝手な行動は取るな!」


「自分勝手なのは俺達だろう。……伝えた通り、ティラはもう知ってしまったんだ。下手な言い訳なんか少しの時間稼ぎにしかならないんだよ。知られた以上、いつかは人間との仲に傷を生む。その傷を出来るだけ浅くするためにも、潔く認めたほうが俺達のためになるはずだ」


「貴様はいつから人間の側に立ったのだ」


「そんなんじゃない。俺は、将来の仲間のためを思って言ってるんだ」


「ならば計画を遂行しろ! 千年の安寧……それこそ将来のためと言えるではないか」


「もう無理だよ。ここにティラを連れて来たんだからな」


 イーロの視線につられるように、ザクリアスも私を見る。その目は忌まわしげだ。


「お話を聞かせていただいた限り、羽人族と獣人族との因縁には偽りがあったと、認めているようですね」


「……悪いが、何もお話しすることはない。本来、ここへ人間は立ち入ってはいけない決まりで、こうして言葉を交わすこと自体あり得ないこと。ただちにお帰り願う」


「ザクリアス、いい加減に――」


 苛立つイーロを私は制し、続けた。


「因縁の発端を偽ったこと、あなたは否定も肯定もしないのですか?」


「……お帰り願う」


 ザクリアスは私を睨み、口を閉じる。だんまりを決め込むつもりか。


「説明も弁解もなさらないというのなら、私達人間は獣人族との戦いを一時休止し、彼らにさらに詳しく話を聞いた上で、偽りの真偽を判断することになるでしょう。それでもよろしいですか?」


「………」


 ザクリアスは黙ったまま私を見ている。どうにか口を開かせないと。


「もし羽人族に偽りありとなれば、最悪、あなた方は人間の敵とみなされるかもしれません。そうでないと言うのなら、ここではっきりそう仰ったらいかがですか?」


「……真偽をどう判断されようとも、我々は、我々のために動くだけだ」


 するとこらえ切れなくなったイーロは、ザクリアスの胸ぐらをつかみ、詰め寄った。


「片意地なんか張ってる場合か! お前のその視界の狭さのせいで、人間と築いた仲を一気に壊す気かよ!」


「すでに壊れたも同然の状況ではないか。人間の王に知られた今、避けることは出来ない」


「まだ壊れちゃいない。だから俺はティラを連れて来たんだろう。すべてを明かして、すべてをさらけ出すことで、俺達は悔い改める姿勢を見せなきゃいけないんだよ!」


「我々は悔い改めることなどしていない。恐れから身を守ろうとすることの何が悪いというのだ!」


「お前……!」


 イーロはつかむ胸ぐらを引き、その手を震わせる――その時、部屋のどこからか、チリン、と優雅な音が鳴り響いた。それを聞いた途端、イーロとザクリアスの表情が一変した。


「……これって、まさか」


「このような時にお目覚めになられるとは……!」


 そう呟いたザクリアスはイーロの手を振りほどき、部屋の奥の扉へ向かい始める。一体何が起きたのか。


「イーロ、今の音は――」


「ティラ、来てくれ。こんなことは滅多にないんだ」


 急ぐようにイーロは私の手を引き、奥の扉へ駆け出した。がしかし、その前にはザクリアスが立ち塞がる。


「この先に人間を入れるなどもってのほかだ。行かせは――」


 ゴンッと鈍い音がして、イーロはザクリアスの横面に拳を叩き込んだ。その力にふらついたザクリアスは壁にもたれかかり、イーロを睨む。


「貴様……こんなことをして、ただでは済まされ――」


「それは計画を進めてきたザクリアス、お前達だろう。人間を騙して、俺達全員に罪を着せたことは許されない!」


 これにザクリアスは赤くなった口の端をわずかに上げた。


「今さら被害者面をするつもりか? 私の指示に従順に動いたお前は、どうあっても計画を進めた側だ」


「そんなことはわかってるさ。だから俺は後悔してるんだよ。お前に逆らわなかったことを。……俺達のためにも、お伺いを立てる」


「やめろ! 余計なことを――」


 引き止めようとしたザクリアスをひらりと避け、イーロは私の手を引き扉の奥へ駆けた。


「……イーロ、どこへ行くの?」


「本当の長の元だ。この上にいる」


 そう言って入った部屋は円筒状になっており、見上げると頭上高くまで吹き抜けになっている。その壁際には螺旋を描いた道が上部まで作られていた。


「ティラはその道を使って来てくれ。俺は先に面会を申し出てくる」


 羽を広げると、イーロはふわりと跳ね上がり、螺旋道を足場にして上部へするすると移動して行く。何とも羨ましい軽さだ。羽のない私は地道に螺旋の坂道を登って行くしかない。その狭い道をぐるぐると目が回るほど駆け抜け、そろそろ息が切れそうなところでようやく道は終わった。そこには開かれた扉があり、すでにイーロが待っていた。そしてもう一人、見知らぬ老女がいる。そんな私の視線に気付いたのか、イーロは紹介した。


「この人は長のお世話をしてて……王国で言えば側仕えみたいなもんだ」


「ほうほう、あなた様が人間の王ですか。長く生きておりますが、この目で人間を見るのは生まれて初めてです」


 老女は穏やかな笑みを浮かべ、顔に深いしわを刻む。……そうか。大半の羽人は人間を知っていても、見る機会はそうないのか。


「あなた方の長にお会いしたいのだけれど、お許し願えるかしら」


「お話は伺っておりますよ。中で長がお待ちしております。さあ、どうぞ」


 促され、私とイーロは奥へ進んだ。


「これは……」


 部屋の様子に私は驚き、思わず足が止まった。至る所に緑のつたが這っている。壁、床、天井にまで、つたとその葉が覆っている。まるで森にいるかのようだ。一体どこから伸びているのかと目で追えば、四方の岩壁を突き破ってそれは伸びていた。つまり外から入り込んでいるらしい。何ともたくましい植物だが、なぜこんな状態に……。


「ティラ、こっちに」


 先を行くイーロが私を呼んだ。部屋の中央、そちらへ向かうと、一際つたが密集した場所があった。その側でイーロはおもむろに膝を付き、頭を垂れる。


「一体何を……」


「この方が俺達の長、アイノ様だ」


「長? どこに――」


 言いかけて私は止めた。そしてその姿に息を呑む。すぐ目の前にいた。密集したつたの下……いや、中と言ったほうがいいのか。まるで無数のつたで編まれた繭に包まれるように、銀髪に真っ白な顔をした女性が横たわっていた。あまりにつたの数が多く、全身を見ることは出来ないが、顔だけはその隙間からかろうじてのぞくことが出来る。だが、この状況をどう理解すればいいのか……。


「これは、生きておられるの……?」


「人間の方ですね」


 優しくか細い声に突然話しかけられ、私は驚きそうになった。見れば女性の目は薄く開けられ、イーロと同じ紫の瞳がこちらを見ていた。


「アイノ様、俺はイーロと申します。そしてこちらはフレンニング王国……人間の国の王ティラです」


 イーロが普段とは違う丁寧な言葉遣いで私を紹介した。


「そうですか。人間の王ティラ様……私はこのルカトゥナの長を務めているアイノと申します。わざわざ足をお運びいただいたのに、このような姿でお話しすることをお許しください」


「い、いえ、こうして直接言葉を交わせるだけで十分です。お気になさらずに」


 アイノは微笑みを浮かべた――横たわっているということは、何かご病気でも患っているのだろうか。


「なぜこのような姿なのか、説明が要りますね」


 私の心を読んだようにアイノは言った。


「アイノ様、それは俺からさせてください。アイノ様はお目覚めになられたばかりなんですから」


「そう? ありがとう。ではお願いするわ」


 イーロは長と私を見ながら口を開く。


「どこから説明するべきか……アイノ様は俺達と同じ羽人族ではあるけど、その命や力はまったく違う。特別というか、俺達とは違う生き方をするんだよ」


「生き方? 他の羽人のようには暮らしていないということ?」


「そんな単純な話じゃない。……アイノ様には寿命がないんだ」


 私は瞬きをして聞き返した。


「寿命がない……? それでは、ずっと生き続けることになるのでは……」


「ああ。だからアイノ様はずっと生き続けてる。ただし、長い休眠期を挟まないといけないんだ」


「長いって、どのくらいなの?」


「千年だ」


「せ……!」


 想像にもなかった桁に、私は絶句した。


「アイノ様は千年間の活動期を経た後、千年間の休眠期を過ごすんだ。それを繰り返して生き続けてる。そして今はその休眠期にいる」


「でも、お目覚めになられているということは、休眠期が終了したということではないの?」


 これにイーロは首を横に振る。


「生命力が戻り始めると、まれにこうして目を覚まされることがあるんだよ。でもこれは一時的なもので、一、二日も経てばまた休眠に入ってしまうんだ。さっき呼鈴の音がしただろう? あれはアイノ様が一時的にお目覚めになられたっていう合図で、休眠期が終われば、ルカトゥナ全域に響き渡るほどの鐘が鳴らされる」


 先ほど鈴の音を聞いた二人の表情が変わったのは、こういうことだったからなのか。


「生命力が戻り始めると言ったけれど、休眠するのはそのために?」


「ああ。活動期で消費した生命力を千年かけて吸収して蓄えるんだ」


「吸収? まさか、この……」


 私は葉が生い茂ったつたを見下ろした。


「そうだ。このつたを通じてあらゆる植物から生命力を得るんだ。でも植物以外からも得ることは出来る。たとえば、人間や獣人とか」


 その言葉で、私達人間が騙されていた理由の断片が少し見えた気がした。イーロは真剣な表情を見せると、横たわるアイノに向いた。


「アイノ様、ここからはある問題を申し上げなければなりません。聞いていただけますか」


「……何かしら」


「実は、アイノ様が休眠期に入られてからの歴代の長代理達が、秘密裏にある計画を行ってました」


「どのような計画を?」


「アイノ様を、千年待たずに目覚めさせる計画です」


 それが私達を戦わせ続けた理由……やはり目的は、この休眠期にいる長のようだ。


「周期を、縮めようとしたというのですか?」


「はい。そのための生命力を多く集めるために、長代理達は人間に使わせるルギルを作り、それで獣人を殺すよう仕向けました」


 なるほど。戦いの発端である、彼らが獣人族に襲われ困っていたという話は、私達に戦う理由を授けるため。そして人間にルギルを渡したのは、獣人の生命力を集めるためだった。しかし――


「ルギルで切って、一体どうやって生命力を集めたの? 殺してしまっては逆に失われそうに思えるけれど」


「ティラ、俺が装飾の石を修理したのを覚えてるか」


 言われて私は気付き、イーロを見返した。


「あの石は、切って弱った獣人から生命力を吸い取る道具だ。知ってるだろう? 白く光ることを。その光が強いほど生命力が多く集まった証拠なんだ」


「装飾などではなかったのね……」


「これも、嘘をついてた。ティラ達が戦いを終えて帰って来るたびに、俺は石から生命力を取り出してルカトゥナに……アイノ様に捧げてたんだ」


 これまでのイーロの言動を振り返り、私は一つ疑問があった。


「獣人を切れば切るほど生命力が集まるのなら、あなた達はなぜ私の殲滅作戦に反対をしたの? 多く集められる機会になるはずでしょう」


「確かに一度に多く集めることは出来るよ。でもその先も集められなきゃ意味がない。獣人族を殲滅したら、一体どこから集めればいい? 代わりに人間を襲うことなんか俺達には出来ない。ルギルを十本しか渡さなかったのも同じことさ。獣人族の数を極端に減らさず、戦いが途切れないよう拮抗した状況を作る必要があったんだ。生命力を長く、安定して集められるように」


 つまり、生命力の供給源である獣人族は、殺しつつも生かし続けなければならない存在だったわけか。これでは永遠に戦いが終わるはずもない……ずる賢いことを考えたものだ。


「何ということを……」


 悲しげなアイノの声を聞き、イーロは言葉もなくうつむく。


「あなたも、その計画に加担していたのですね」


「最初はとてもいい計画だと思えたんです。アイノ様が早く活動期に入られることに越したことはないですから。でも俺達の嘘がティラにばれ、疑われる状況に陥ってからその恐ろしさや罪悪に気付かされて……今は後悔しかありません。ティラをお引き合わせしたのは、これは決してアイノ様のご意思ではないとわかってもらいたく……」


 アイノの薄く開けられた瞳が私を見た。


「……ティラ様、これは私の責任です」


「何を……長殿は眠っておられただけで、責任など……」


「いいえ。彼らは私を早く目覚めさせようと考え、計画を立てました。その前に私が、この摂理をねじ曲げてはいけないと注意さえしていれば、あなた方を苦しませることはなかったはずです。彼らに代わり、謝罪をさせてください。本当に――」


「おやめください。長殿の謝罪など必要ありません」


「ですが……」


「いいのです。あなたは知る由もなかった。落ち度と言えることは何もありません。……けれどイーロ、私にはわからないことがあるのだけれど」


 私はアイノからイーロへ視線を移した。


「何だ?」


「生命力さえ吸収出来れば、何もせずとも千年後には必ずお目覚めになられるのでしょう? それなのに長代理の者達はなぜ急ごうとしたのかしら」


「それは――」


「お前達、人間を警戒してのことだ」


 感情を押し殺した低い声に私は振り向く。見ると部屋の入り口に、こちらを睨んで立つザクリアスがいた。


「ザクリアス殿、そのお顔はどうなさったので?」


 側仕えの老女が聞くも、それを無視してザクリアスはこちらへ歩み寄って来る。先ほどイーロに殴られた頬はより赤みを増して腫れていた。


「我らが長の間に、人間が足を踏み入れるなど、不愉快極まりないことだ」


 言葉通りの表情を浮かべるザクリアスだったが、アイノの傍らに膝を付くと、深く頭を下げた。


「現在、長代理を任されている、ザクリアスと申します」


「計画を実行した、当人ですね」


「何の承認もなく行い、結果お気を害してしまったことは私の不本意であり、何の弁解もございません。ただ、これはルカトゥナの民を守りたい一心から行ったことだとわかっていただきたいのです」


「お仲間を守るために、私達に獣人を殺させ続けたと? 人間を警戒してと言ったけれど、もっと詳しく説明してくれないかしら」


 そう言うとザクリアスは頭を上げ、私をいちべつした。


「……我々は、お前達の国とは比べ物にならないほどの悠久の時を生き、歴史を紡いできた。その中で様々なことが起こり、消えて行ったことを、我々は先人から学んでいる。その一つがお前達、人間という種族だ」


「人間が、何だというの」


「歴史書をひもとけば、お前達がこの大陸へやって来るよりもずっと以前に、すでに人間は我々の前に姿を見せていた。つまり、王国を築いたお前達の祖先が初めて見る人間ではなかったのだ」


「建国より前に、この大陸には人間が存在していたの……?」


「歴史書にはそう記されている。そして、我々に戦いを仕掛けてきたことも」


 ここに上陸した祖先よりも先に別の人間がいたことも驚くが、その彼らが羽人族と戦っていたとは……。


「その当時、二種族の間で一体何が起きていたの?」


「何も起きてなどいない。我々は穏やかに暮らす日々を続けていただけだ。不満も困り事もない。だがある日、人間は攻め寄せて来たのだ」


「理由もなく、そんなことをするはず――」


「人間には人間なりの理由があったのだろうが、当時は今のように言葉は通じていないから、人間の言い分など知りようがない。我々の仲間は現在、このルカトゥナにいる者がすべてだが、昔は他に二、三の集落があり、総数は今よりも多かった。しかし我々は戦いというものが苦手な種族だ。身軽で手先は器用だが、身体や腕力は脆弱だ。それに比べ人間は丈夫な身を持ち、優れた武器や防具を作る技術力に優れ、何より戦いを得意としていた。たとえ数で勝っていても、人間の戦力の前に我々は成す術がなかったのだ……ルカトゥナ以外に仲間がいないのは、そのせいだ」


「では、他の集落は、人間の手で……」


 ザクリアスは突き刺すような視線を向けて言った。


「そうだ。多くの仲間は人間によって攻め滅ぼされたのだ。ただ静かに暮らしていた者達を一方的に蹂躙し、凄惨に命を奪った」


「……ルカトゥナは、それでよく助かったものね」


「それには明確な理由がある。滅ぼされた集落の長は、その時期全員が休眠期に入っていた。しかしアイノ様だけは活動期の最中にいたのだ」


「活動期だと、何か有利なことでもあるの?」


「アイノ様が永遠の長である理由、それは我々を結界によってお守りくださるからだ」


「結界……?」


「長だけが持つ特別な力だ。ルカトゥナを囲むように張り巡らされた結界は、その外から来る脅威――悪心を持つ者や疫病などを拒み、我々の命と生活を守ってくださる」


「助かったのは、その結界が人間を拒んだから、ということ?」


 ザクリアスは小さく頷き、続ける。


「ルカトゥナを攻め落とせないと知った人間は、戦いを諦めたものの、その後も各地を渡り歩き、不穏な気配を見せていた。そのうちなぜか人間が次々に死に始め、急激に数を減らしていった。そしてついには姿を完全に消してしまったのだ。歴史書では不明とされていたが、想像するに伝染病にでもかかってしまったのだろう。無事な人間は病を恐れ、この地を離れたに違いない。そうしてここには我々だけが残されたのだ」


「一度は消えた人間……時を経て、今度は私達の祖先が上陸した」


 これにザクリアスは苦笑いを浮かべる。


「ここまで話を聞いたのなら、我々の気持ちははもうわかるだろう。なぜお前達を騙し、戦わせたのか」


 羽人族は仲間を失った歴史から、人間は脅威で恐れる対象となった。そこに私達の祖先が現れ、当時の羽人はかなり慌てたことだろう。また攻め入られるかもしれないと。アイノの結界がなければ身を守ることは出来ない。そこで長代理は計画を立て、私達に嘘をついて自分達の身を守らせることにした。見返りに国作りに協力すると言って。その一方でアイノの休眠期短縮も狙い、私達にルギルを与え、敵だと偽って獣人を切らせた。その意思は歴代の長代理に引き継がれ、ザクリアスもそれに従い、今に至る――それぞれを動かしているものは恐怖だ。羽人族は人間を恐れ、人間は獣人族を恐れる。そして恐れるあまり、立ち止まろうとしなかった。彼らは恐れるものだと決め付け、冷静に知ろうとせず、偏見を続けてきてしまった。だが本当は違うのだ。私達の目は恐怖に曇らされている。獣人族には平和的な者もいるし、人間に憧れる者もいる。人間だって必ずしも好戦的な者ばかりではない。戦いを嫌う者、それを終わらせたいと考える者もここにいるのだ。誰しも好き好んで戦うのではない。そうせざるを得ないと思うから戦いを選んでしまう。だがその前に立ち止まらなければいけなかった。そして相手が本当の敵なのか自分達で考え、見定めるべきだったのだ。与えられた恐怖に支配などされずに。


「過去の歴史の恨みがなかったとは言えない。だがそれ以上に我々は人間の豹変を恐れていたのだ。高い戦力がいつこちらへ向けられるか、言葉は通じても心だけは知ることが出来ない。……アイノ様、我々はルカトゥナを、仲間達を守りたかったのです。過去の悲劇を二度と繰り返したくなかったのです」


「だからって他種族を犠牲にしていいはずがないんだ。これは間違ったやり方だったんだよ」


 イーロがそう言うと、ザクリアスは睨むように目を向けた。


「では、貴様は人間の心理をどこまで理解しているというのだ。攻め込まないという確証があるのか」


「確証なんかないさ。でも俺はずっとティラを見てきて――」


「表面上だけで一体何がわかるというのだ。長代理の私にはルカトゥナを守る大きな責任がある。そのためにこの計画は最適な方法だったのだ。貴様も納得したからこそ従ったのだろうが」


「俺はそれが間違いだったって気付いたんだよ。だからこうして――」


「おやめなさい」


 落ち着いた声が二人の言い合いを即座に止めた。


「……も、申し訳ございません、アイノ様」


 ザクリアスはすぐに頭を下げる。その姿をアイノは穏やかに見つめる。


「このような計画は行うべきではありませんでした」


「アイノ様……!」


 無念な表情をザクリアスは見せる。


「あなたの気持ちはよくわかります。私も、同胞が襲われたことは未だにはっきりと憶えています」


「ならば、計画へのご理解も――」


「罪なき方々を戦わせ、その命を失わせることをどう理解しろというのですか?」


 これにザクリアスは、うっと言葉に詰まった。


「あなた方、歴代の長代理の判断は間違っていたのです。私のため、ルカトゥナのためと言いながら、過去の人間と変わらない罪を犯していたのです。わかりますね?」


 反論出来ないのか、逆らえないのか、ザクリアスは目を伏せたまま押し黙ってしまった。それを横目に私は聞いてみた。


「長殿、私達を罪なき方々と仰りましたが、昔にはお仲間を襲った罪があります。それは遺恨にはなっておられないのですか?」


 アイノの細められた瞳がこちらを見つめる。


「なぜですか? あなた方は私達を襲ってなどいません」


「しかし、同じ人間であり――」


「あの時の人間とあなた方は別人です。種族が同じだからと、それが恨みを抱く理由にはなりません。ティラ様は、植えた種を鳥に食べられたからといって、別の鳥を恨みますか? 植えた種は、それを食べた鳥にしか返せないのです」


「長殿は、私達人間が恐ろしくないのですか?」


「少なくとも今は。ティラ様は私達を前にしても襲っては来ず、同等にお話しをしてくださっています。恐ろしいと思える要素はどこにもありません」


 横たわったままのアイノの表情は、休眠期のせいかどこか虚ろではあるが、それでも発する言葉には気持ちを表した力強さがあった。これこそが羽人族の本当の長の真意――これで、ようやく終わるのだろう。


「……ティラ、何してるんだ?」


 隣のイーロが聞いてくる。私はローブの下をまさぐり、腰の剣を鞘ごと取って、それを脇に放った。


「我らフレンニング王国は、この先もルカトゥナへ侵略する意思はありません。長く続いた戦いの日々も、ようやく終わりを迎えられます。誰の命も奪い、奪われずに済む……長殿、すべてあなたのお心のおかげです。感謝を申し上げます」


 これにアイノはわずかに微笑んでくれたように見えた。特異な時間を生きる彼女とはもう二度と言葉を交わせないかもしれない。けれど彼女の意志が羽人族の意志である限り、私達人間との関係は明るいものだと思いたい。偽りの絆を、本物に変えられるくらいに……。

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