十五話

 遠くの紺色の空は少しずつ白み始めていた。王国から黙々と歩を進めること四時間、特に障害もなく、私達は羽人族の住む渓谷の入り口にたどり着いた。この辺りからは緑が減り、岩肌をさらした断崖の景色が広がる。道らしい道はなく、どこも石や岩がごろごろと転がっており、いかにも歩きにくそうな場所だ。だが羽のある羽人族にはまったく問題はないのだろう。もしかすると、私達人間が容易に入り込まないように、わざとこうしている可能性もある。だとしたらルカトゥナを見つけるまで、かなりの時間がかかることも覚悟しなければ。


「陛下、あの渓流を遡ってみましょう」


 護衛の一人が指で示した。そこには速い流れの川が岩の間を縫うように流れていた。私達はルカトゥナという場所の存在は知っていても、それが渓谷のどこに存在するのかは知らされていない。人間を入れないと決めているから、羽人族としては教える理由などないのだろうが、そんな家の場所も知らない相手が王国の長年の友人だなんて、やはりおかしな印象だ。まあ、それはさておき、正しい道が見い出せないのでは、とりあえずこの渓流を遡ってみるしかなさそうだ。羽人族だって水は使うだろうから、その側にルカトゥナがある可能性は大いにある。


 ここからは羽人族の領域となり、人間は拒まれる対象となる。前後を兵士に守られながら、私は渓流に沿って慎重に進んで行った。話ではどこかに見張る羽人がいて、人間を追い出すというが、一体どこから現れるのか――左右にそびえる崖を見上げていた時だった。


「……あれは……」


 崖上に小さな影を見つけた瞬間、そこから何かが飛ばされたのがわかった。


「お下がりください陛下!」


 私よりも早く反応した兵士が進路に立ち塞がり、咄嗟にかばった。直後、前方の地面にガッと音を立てて一本の矢が突き刺さった。


「人間、ここは僕達の地だ。さっさと引き返せ」


 降ってきた声に全員が見上げる。やはり崖上にあった影は羽人だったか――その羽人は羽を広げながら崖の足場を伝ってふわりふわりと下りて来たが、尚もこちらを見下ろす位置で弓を構え続ける。


「嫌だっていうなら、今度は当てるぞ」


 ギリ、と弦を引き絞り、青年は攻撃姿勢を取る。姿は若いが、羽人族は老いる早さが人間よりも遅い。こう見えて彼も私より年上かもしれない。あまり侮るわけにはいかない。


「……陛下、いかがいたしますか」


 かばってくれた兵士が聞いてくる。


「少し、話してみるわ……」


 私は兵士を下がらせ、羽人の青年の前に出た。


「おい、引き返せと聞こえ――」


「あなた方の領内へ勝手に入ったことは謝るわ。けれど、こちらは長に会わなければならない緊急の用件があるの」


「………」


 青年は戸惑いといぶかしむ視線を向けてくるが、私は構わず続けた。


「王国に派遣されていたイーロという羽人を知っているかしら。彼が突然消えてしまってね。彼がいなければそちら側とは何もやり取りが出来ないわ。だからこうして私自らが会いに来たというわけよ」


「そんな事情なんか知らない。僕は入り込んだ人間を――」


「長に一言伝えてくれるだけでいいの。フレンニング国王ティラ・エスタ・アンスガルが訪ねて来ていると」


 これに青年はわずかに目を見開いたが、すぐに険しい表情に戻した。


「……よくそんな嘘がつけるもんだ」


「あなたは人間の王を知っているの?」


 青年はむっとした顔を見せる。


「知らないのに嘘と決め付けるのはよくないわ。……さあ、伝えてくれるの?」


「……僕の仕事はここで人間を追い返すことだ。伝えることじゃない」


 緩みかけていた弦を青年は再び引き絞る――やはり、すんなりと通してくれはしないか。


「そう、残念だわ……でもこちらも引き返すわけにはいかないの。他に伝えてくれる者を捜させてもらうわ」


 私は青年をいちべつし、歩き出そうとした。


「ま、待て! 何勝手に行こうとしてるんだ。この矢で射られ――」


「好きなようにしてちょうだい。こちらは反撃などしないわ」


 顔だけを向け、私は青年を強く見つめた。


「けれど、国王に矢を射る覚悟だけはして。その手を動かして、どうなってしまうかということだけは……」


 青年は動けずに息を呑んでいる――少し脅かすような真似になってしまったが、彼の攻撃する意思を鈍らせられればそれでいい。ここは強引にでも進まなければ。


「……行かせてもらうわ」


 私は兵達を促し、引き続き渓流沿いに歩き進んだ。


「おい、入るな……」


 青年は進む私達を止めることも出来ず、おろおろと見下ろしている。発した声にも当初の威勢はない。私が王だと明かしたことで、判断のつかない疑いが行動をより慎重にさせているのだろう。賢明な青年ならば、背後から矢を射ることなどしてこないはずだ。


「見張りをお言葉だけで留めてしまわれるとは、さすが陛下……ですが、危険を高める言動はお控えください。ここはもう王国領内ではなく、助けを求めることは出来ませんので」


 側にいた兵士が小声で言った。私のやり方は彼らに負担をかけてしまう。それは何も言い返せないし、ただただ詫びることしか出来ない。けれど付いて来てもらった以上、護衛の役目は果たしてもらいたい。


「……くそっ」


 舌打ちするような声が聞こえたかと思うと、崖の足場を軽やかに伝いながら青年がその先へ消えて行こうとしていた。一人では手に負えず、仲間に助けを求めに行ったか。ということはあの青年が向かう先にルカトゥナがあるかもしれない。


「あの方向へ行くわ。急いで」


 兵達と共に私は青年の姿を追って行った。崖の陰に見え隠れする青年を横目に、渓流沿いを北上して行く。だが足場の悪さなど関係ない青年はどんどん先へ行ってしまう。これでは追い続けるのは難しい。


 すると崖の上に出た青年はそこで進路を変え、渓流から離れた東へ向かったところで姿を消した。崖の下にいるこちらからではもう目で追うことは出来ない。


「陛下、いかがいたしますか」


 兵士が聞いてくる。彼が仲間の元へ向かっているならば、進路を変えた東方面にルカトゥナがあるかも……。


「東へ行ける道を探しましょう」


 そう指示を出し、私達は周辺で東へ進めそうな道を探した。崖の上に見える狭い空は、気付けば大分白んでいて、暗闇が追い払われつつある景色はよりはっきりと見え始めていた。


「陛下! こちらに道が!」


 声を上げた兵士の元へ向かうと、そこには大きな岩が積み重なった光景があった。嵐などで崖崩れでも起きたかのようだ。だがその隙間から見える奥をのぞくと、確かに通れそうな道が続いている。


「陛下にお通りいただくには、危険ではないか?」


「しかし、東へ抜けられそうな道はここだけだ」


 岩が崩れた状況に兵達は意見を言い合うが、私の選択肢はただ一つだ。


「危険であろうと構わないわ。道があるのなら進むのみよ。大丈夫、転げ落ちたってこの程度ならあざで済むわ。さあ、よじ登って進むのよ」


 ためらう様子の兵達に率先して、私は積み重なる岩に手をかけ、よじ登った。高さは建物の二階程度しかなく、私でもどうにか越えられるだろう。隙間に手と足をかけ、ゆっくりと登り、そして向こう側へと下りて行く。木登りの経験などなかったが、内心で心配するほどのことでもなかったようだ。


 私を見て兵達も一人ずつよじ登り、全員が岩を乗り越えるのを待ってから態勢を整え、そして東へ続く道を突き進んだ。しかし、ここまで見張りは一人だけしか見ていないが、羽人族は思うほど警戒心を持っていないのだろうか。それとも入り口より奥へ入られることを想定していないのか。いずれにせよ、通れるのなら通るまでだ。たとえまた阻まれても、長に会うまで私は決して諦めることは出来ない。


 道なりにしばらく進んでいると、前を歩く兵士がおもむろに手を上げ、私達の足を止めた。


「……どうしたの?」


「先ほどから、不穏な気配を感じます」


「新手かしら」


「おそらくは……お気を付けください」


「けれど止めに来ないのならば、このまま進ませてもらうだけよ。慎重に行きましょう」


 言って再び歩き出そうとした時だった。


「ここは人間が入れる場所じゃない。即刻帰れ」


 岩場の陰から羽人の男性が現れ、こちらを睨み付けながらそう言った。その手には美しい曲線を描いたナイフが握られている。


「お願いがあるのだけれど、長に会わせてもらえないかしら。私はどうしてもお話しがしたいの」


「またそれか。勝手に入り込んだ人間を長に会わせられるわけがない。帰れ」


「また、ということは、入り口にいた彼に話を聞いたのね。では私が王だということも――」


「そんな嘘に俺達が騙されるものか。命を失う前に後ろを向いて来た道を戻れ。でないと本当に後悔するぞ」


 男性は見せるように手のナイフを揺らす。やはり信じる気はないようだ。向こうもこれ以上入り込まれたくないのだろう。あのナイフは単なる脅しなのかどうか……けれど、私の中に引き返すという選択肢は、悪いが微塵もない。


「戻るわけには絶対にいかない。私達は戦いたいのではないわ。ただ長とお話しをしたいだけなの」


 そう言うと男性は鼻で笑った。


「ふっ、そんな武装した人間を何人も連れて、素直に信じろと? 俺達はそこまで馬鹿じゃない」


 そう見られるとわかっていた。だから一人で来たかったのだが……今さら愚痴をこぼしても仕方がないが。


「これが最後だ。即刻帰れ」


 男性の睨む目付きに力が入る。私も負けじとその目を見つめ返した。


「……聞けないわ」


 そう返すと、男性は険しい表情で指をパチンと鳴らした。……一体何なの?


「陛下、上を……!」


 何かに気付いた兵士が崖上へ視線を向ける。そこには十人以上の羽人が私達を見下ろし、弓を引いて構えていた。反対側の崖上にも、同じように羽人がずらりと並び、弓をこちらに向け構えている。こうなるとわかって揃えていたか……。


「矢の雨を受けてもいいんだな」


 男性は緊張を帯びた声で言う。そこからはこの攻撃は本意でないという意思が感じられる。それはそうだ。羽人が人間を殺したら、絆を結んだ二種族間に間違いなく亀裂が走る大事となる。逆に言えば私達も彼らを傷付ける行為はしたくないし、してはならない。互いに戦うべきではないとわかっているのだ。だが私達を追い出すには武器で威嚇するしか手段がないのだろう。それもわかっている。けれど、ここは私も退けないのだ。


「やればいい。こちらは強行突破をするだけよ」


 この言葉に周りの兵達がざわめいたのを、私は目で制した。


「……陛下、この中を突破なさるのですか?」


「大丈夫よ。向こうはうかつに攻撃など出来ないのだから。私達を殺せばそれだけで一大事。あんな弓など見せかけでしかないわ」


 再び男性に顔を向けると、迷うような難しい表情のまま動く様子がない。私の思っている通りだ。手を出すことにためらっている――私は兵達に小声で言った。


「私に続いて走るのよ」


 兵達に緊張が走る中、私も前を向き、道の奥を見据えて身構える。そして――


「……走って!」


 声と共に私は全速力で走り出した。側に付く兵達も一斉に続く。


「なっ、何……!」


 向かって来る私達を見て、男性はたじろいでいる。


「攻撃はせず、無視して!」


 そう言い、私達は後ずさる男性を通り過ぎ、道を直進した。


「うう、この先へ行かせるわけには……人間め……!」


 背後でパチンと音が鳴った。その直後だった。走るすぐ横の地面に風を切って矢が突き刺さった。それを皮切りに頭上から次々と無数の矢が飛んで来る。……これは、予想外だわ。彼らなら最後までこらえると思ったのだけれど。


「陛下! 一度避難出来る場所を探しましょう」


 横を走る兵士が叫んだ。


「駄目よ。止まれば追い詰められる。このまま道を走って!」


「しかし、頭上から狙われては、あまりに――」


「危険でも行くの。行かなければ退くしかなくなる!」


 幸い、弓の精度はあまり高くはない。近くに刺さりはするが、走る私達を狙い切れていないようだ。扱う羽人の腕が悪いのか、そもそもこういったことに羽人族自体が慣れていないのかもしれない。戦いはすべて人間任せだったから、いざ自分達の手で守ろうとすると、技術的なつたなさが目立つのだろう。それでも、これだけ矢が放たれれば、下手でも当たる危険は大いにあるが。


 矢の雨を避けながら曲がりくねった道を走り続けて行くと、前方にそれは現れた。


「……門だわ!」


 そびえる断崖にぴったりとはめ込まれたように、そこには見上げるほど大きな門があった。金属製で、表面は一面緑のさびに覆われている。明らかな人工物……この先にルカトゥナがあるに違いない。


 私は駆け寄り、体当たりをするように門を押した。しかし開く気配はない。これを見て兵士数人が息を合わせて門を押すが、やはりびくともしない。


「閉じられているようね。当然だけれど」


「陛下、ここにいては追い詰められます!」


 崖上を見上げれば、弓を持った羽人が飛び跳ねながら私達を見下ろせる位置へ移動している。それを警戒し、兵達は私の前に壁を作り、腰の剣を抜いて構えた。


「ある程度の矢は剣で叩き落とせますが、それも限界があります。一度に放たれれば防ぎ切れません。陛下、ここは引き返すしか……」


 ルカトゥナの直前まで来て、引き返さなければならないなんて……向こうが攻撃を始めてしまっては、もう大丈夫だと楽観はしていられないか。その気はなくとも私達の誰かが殺される可能性が高まった。身の安全を優先するべきとはわかっているのだが、でも、私はやはり長に真意を――


「袋の鼠だ。さあ、覚悟しろ!」


 追って来た男性が距離を取りつつ叫んだ。


「二度と入り込まないよう、痛い目を見せてやる……!」


 男性が軽く手を上げ、指を鳴らそうとする――無駄に命を落とすことは出来ない。悔しいけれど、諦めて出直すしか――


「やめろ! 何やってんだ!」


 その時、頭上から大声と共に一人の影が降って来て、私達の前に舞い降りた。その見覚えのある後ろ姿に、私は思わず叫んだ。


「……イーロ!」


 呼ぶとその顔がこちらをいちべつする。険しい表情ながら、それは紛れもなく、王国から消えたイーロ本人だった。

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