十四話
兵達と共に帰城すると、真っ先に出迎えたのはスヴェンだった。
「無事なようだね……戦いがなかったとはいえ、かなりひやひやしていたよ」
一度さらわれた身で、今度は話したいという要望を受け入れたのだ。このわがままは我ながら心配をかけたと自覚している。けれどそのおかげで多くの興味深い話を聞くことが出来た。そして、ただちに確認すべき話を……。
「有意義な話は出来たのかい?」
「ええ。そうね。初めて聞くものもあったわ。……イーロはどこ? まずはイーロに――」
そう言って辺りに目をやった時、スヴェンの背後から静かに姿を見せたイーロを見つけた。
「あ、ティラ、戻ったのか」
普段と変わらない口調で笑みを見せたイーロに、私はすぐさま歩み寄った。
「イーロ、あなたにはいろいろと話を聞きたいの。時間はあるわよね」
「話……?」
「羽人族は、私達人間に何か隠していることがあるのではない?」
これにイーロは小首をかしげた。
「はあ? いきなり何のことだよ」
「たとえば、獣人族と戦うことになった発端……」
その瞬間、イーロの表情が固まり、紫の瞳に緊張が走るのを私は見た。だがそれはほんの一瞬で、固まった表情はすぐに笑みを取り戻した。
「何の話だ? さっぱりわからないけど」
笑いながら返すイーロを見て、私は内心で息を呑んだ。クラーグは話に嘘はないと言ったが、それは本当だったようだ。でなければ私の一言で心を乱すことなどないはず。だがイーロはそれを見せてしまった。もっとも見せてはいけないこの私に……。
「ティラ、もう夜も深い。話をするなら明日にしたらどうだ。君も着替えて休んだほうが――」
「話をするまでまだ休めないわ。私には構わないでいいから」
「しかし、こんな薄暗い廊下で立ち話をする気かい?」
「場所は関係ない。とにかくイーロに聞かなければならないことが――」
「わかったよ」
会話を止めるようにイーロは大きな声で言った。
「俺に話があるなら聞くよ。本当は眠いけどな」
「悪いな、イーロ」
スヴェンが苦笑しながら言う。
「別にいいさ。女王からのご指名だ。でもその前に着替えて来いよ。そんな鎧着てちゃ話すのに窮屈だろう。それが済んだ頃に俺が部屋に行くよ。それでいいだろう?」
確かに鎧のままでは体が重いし、落ち着いて話がしづらいだろう。
「……わかったわ。では後で私の部屋で話しましょう」
「ああ、後でな。……そうだ。ついでにこれ、戻しておくよ」
イーロは私の腰に下がるルギルを取り、にこりと笑った。
「そんな怖い顔するなよ。ちゃんと戻すって」
指摘され、私は思わず顔を伏せた。気が急いて表情に出てしまったか――意識して私は笑みを作った。
「ええ、お願い」
イーロは笑顔のまま廊下の先へ消えて行った。それを見送るとスヴェンが怪訝な様子で聞いてきた。
「……どうしたんだティラ。やけに急いでいるみたいだが」
「別に、急ぐ理由はないのだけれど、早く真実が知りたくて」
「真実?」
「まずは話を聞かないと始まらない。スヴェンにはその後に話すわ」
「そうか……じゃあ私は待っているよ。早く着替えておいで」
優しく背中を押され、私は足早に着替えに向かった。
普段なら獣人の返り血を洗い流すために浴室へ入るが、今回はその必要はない。二十分ほどで着替えを終え、私は部屋のソファーで独りイーロが現れるのを待った。しかしいくら時間が経っても扉は開かれない。三十分、一時間と過ぎ、さすがに私も待ち続けられなくなった。イーロは私の着替えがどれだけ長いと思っているのか。それとも待っている間に居眠りでもしてしまったのか。仕方なく立ち上がり、私は廊下に顔を出して目に留まった衛兵に声をかけた。
「イーロを呼んできてちょうだい」
敬礼をすると衛兵は小走りに去って行く。私は部屋に戻り、再びソファーで待った。止まったような時間と空気が部屋を満たす。目を瞑ると疲れがどっと押し寄せてきそうで、ただひたすらに扉を凝視し続けた。そんな状態で待つこと数十分、もう一度廊下に出て様子を見ようかと考えていた時だった。
廊下を駆けて来る足音を聞いて私はすぐさま扉へ向かい、その取っ手を引いた。扉を開けるとちょうど来た衛兵は少し驚きつつも、乱れた呼吸のまま言った。
「ご、ご報告、いたします。イーロ様をお捜ししたのですが、どこにもおられませんでした」
「ルギルの保管室にも?」
「はい。その、ルギルのことですが……」
衛兵は困惑したように言った。
「保管室に入ったところ、あるはずのルギルがすべて、なくなっておりました」
予想もしない不意打ちのような報告に、私の頭は小さな衝撃を受けた。
「……え? ま、待って。すべてないって一体……」
「これについては軍部に知らせ、現在城内を捜索しており、合わせてイーロ様の行方も捜している状況です。他にご指示があればお申し付けください」
私は額に手を当て考える。軽いめまいを起こしそうだ。イーロに話を聞くはずが、その姿は現れず、そしてルギルが消えた……やはり彼の仕業と考えるべきか。私が聞いた時のあの反応がすべてを物語っている。こちらが気付いたように、イーロもおそらく気付いたのだ。戦いの真実を知られ、追及されるということを。だから部屋に来なかった……。
「スヴェンを、呼んで……」
それだけ言って私は部屋に戻った。溜息を漏らしながら、まだ闇に包まれた窓の景色を眺める。これでもう聞くまでもなくなってしまった。疑いは決定的なものになってしまった。私達は羽人族を長く信じ、絆を結んでいたと思っていたのに、一体なぜ嘘をつき続けたのか……。
ほどなくして扉が叩かれ、スヴェンがやって来た。その表情はすでに深刻さを見せていた。
「兵に聞いた。ルギルがすべてなくなったと」
「ええ。そしてイーロが逃げたわ」
「逃げた? 姿がないとは聞いているが……」
「彼はルギルを持って逃げたのよ。私からの追及を避けるためにね」
「話がよく見えない……君はどんな話を聞いてきたんだ?」
「そうね。説明しないとね……」
私はクラーグから聞かされた話をスヴェンに伝えた。戦いの発端、それは羽人族だったということを……。
「――聞いた時はとても信じられなかったけれど、イーロにそれを言った時の反応に、今のこの状況を見れば、答えは一つしかないわ」
「羽人族は、我々人間を騙し、獣人族と戦わせていたというのか」
私は頷く。
「そうなのだと思う。残念ながら」
「ならば人間は建国以来、無意味に獣人を殺し続けたという大きな過ちを犯していたことになる」
「その罪は深いわ。そうさせた羽人族も……」
「本当ならこれは、歴史を一変させてしまう話になるが……しかし、羽人族はなぜそんなことをする必要があったんだ? 戦わせることで何か得することなどあるのだろうか」
「こればかりは彼らに問いただすしか方法はないわ。けれど、イーロはすでに逃げてしまった。ルギルと共にね……」
「今はイーロの行方不明より、ルギルを失ったことのほうが重大と言える。獣人に襲撃されれば、こちらには切り札が何もない状態だ。兵士は普段以上に多く駆り出され、犠牲も増えることだろう。そんな戦いが続けば士気にも影響してくる」
「その心配はしばらくしなくても大丈夫だと思うの」
スヴェンは不思議そうに見る。
「なぜ?」
「私がさらわれてから今日まで、少なくとも王国中央への襲撃は起きていないわ。その理由はおそらくクラーグ……彼が獣人族内で仲間と共に説得を試みているのでしょう。私達との戦いを早く止めたいと願っていたから。次に襲撃があるとすれば、それはこちらが獣人族に対して否定的な行動を見せた時。何らかの答えを返すまでは、クラーグが内側で引き止めてくれるはずよ」
「だといいが、こちらの返答が遅すぎれば、焦れた者の反発もあるだろう。向こうの善意ばかりを頼るわけにはいかない。ルギルに代わる備えを早急に整えなければ」
「スヴェンはそちらのことで忙しくなりそうね。では私はイーロを捜しに――」
「ティラ、何を言っているんだ。こういう緊急事こそ君の指揮と判断が必要だ。明日からは私と一緒に君も忙しくなる。だから今夜はしっかり休んでおいてくれ」
「けれど、イーロに……羽人族に問いたださなければ――」
「どうやって問いただすというんだ? イーロは行方が知れない。まあ、おそらくはルカトゥナへ戻ったのだろうが――」
そう言うとスヴェンは、はっとした顔で私を見つめた。
「……まさか、ルカトゥナへ行く気じゃないだろうね?」
「行くしかないでしょう? 大使であるイーロがいないのでは羽人族側に連絡も出来ないのだから、私が直接行くしか――」
「なぜ君自ら行く必要がある。他の者に行かせればいい。知っているだろう。ルカトゥナは人間を入れない閉鎖的な場所だ。これまでも入ろうとした者には威嚇し、追い払っていると聞く。そんな危険なところへ王を行かせることは出来ない」
「威嚇はしても殺すことはしないわ。そんなことをすれば築いた絆が断たれてしまうもの。絶対に危険とは言えないわ。それに、私が直接行かなければ、これは解決出来ない。イーロが逃げるのなら長を問いただし、羽人族の真意を聞き出さないと」
するとスヴェンは私の肩をつかみ、眉間にしわを寄せた顔を近付けた。
「君の気持ちと考えはわかるが、それでも行かせることは出来ない」
「王の私が行けば、強引に追い返すことはしないはずよ」
「それはわからない。君が王だと名乗っても、あちらが信じるかどうか」
「信じてもらえなくても、私は羽人族に話を聞く必要があるの。これだけは他の者に任せることは出来ないわ」
スヴェンは私から手を離すと、困り切った様子でふう、と息を吐いた。
「……とにかく、今日はもう時間が遅い。君は休んだほうがいい。明日また話して決めよう。いいね?」
「……ええ。わかったわ」
微笑んだスヴェンは私の頬に口付けると、静かに部屋を後にした。その気配が遠ざかり、私はソファーに腰かける。スヴェンは明日決めようと言ったが、その結果はわかり切っている。ルカトゥナは人間を拒む。そんなところへ王を行かせていいと思う臣下などいないだろう。代わりの使者を送るという結果がすでに目に見えている。だがそれでは事態は進まないのだ。イーロとルギルのことも大事だが、それ以上に羽人族の真意を聞き出す必要がある。なぜ人間に嘘を言ったのか、なぜ獣人族と戦わせ続けるのか……。私はまだ会ったことのない長にそれを直接聞かなければならない。歴史に過ちがあったのならば、多くの犠牲者に詫びるためにも、王である私には問いただす責任があるのだ。
「……明日になれば、動けなくなる」
事態の収拾でスヴェンは私に城内での指揮を望むだろう。そうなれば自由に動くことは難しくなる。ルカトゥナへ向かうのなら、もう時間は限られている。独りだけのこの時間……今まさに、この時しかない!
決意した私は早速衣装部屋へと向かい、普段着のドレスから戦闘用の動きやすい衣服に着替える。いつもはこの上に鎧をまとうが、それを着るには侍女の手が要るため、今回は無理だ。代わりにローブを羽織り、頭にフードをかぶれば、私だと気付かれずに済むかもしれない。
着替えを終えて、私はそっと開けた扉から廊下の様子をうかがう。衛兵はいるが、少し離れた位置でこちらには気付いていない。ろうそくの灯りだけの廊下は薄暗く、物音を立てなければ出て行けるだろう――わずかに開けた扉に身を通し、後ろ手で慎重に閉めるが、衛兵は微動だにしない。それを確認し、私は影のように廊下を進んだ。
ルカトゥナへは戦いに行くわけではないが、それでも道中何があるかわからない。念のため剣くらいは持っていたほうがいいだろう。衛兵の目を避けながらどうにか武器庫にたどり着き、そこに置かれていた剣を一本拝借する。
「誰かいるのか」
背後からの声に私は咄嗟に身をかがめた。見回りの兵士か。武器が置かれた棚から棚へ身を隠しながら、灯りを提げた兵士から離れる。
「……気のせいか?」
そう呟く姿を横目に、私はさっさと武器庫から脱出した。危なかった……。
正門はこの時間、当然閉じられていて衛兵も見張っているだろう。他に城から出られそうな道は、各所にある通用口くらいしか思い付かない。主に兵士や下働きの者が使う出入り口だが、衛兵の有無や閉められているかどうかは把握していない。とりあえず行って見てみるしかないだろう。ここから一番近いのは、後門側の通用口だろうか。
灯りを避けながらひた進むと、目的の通用口はすぐに見つけた。壁に身を隠しながら周囲を確認するが、見張る衛兵も巡回兵も見当たらない。足音を立てず、素早く扉に近付き、その取っ手を引いてみる――と、呆気なく開いた。こんな時間でも鍵がかかっていないとは少し驚いたが、けれど今は好都合だ。私は扉の隙間から外をうかがい、誰の人影もないのを確認してから一歩を踏み出した。
「まずは城から離れて、北へ進まないと……」
ルカトゥナがある北方向へ、星も月も見えない真っ暗な空間を手探りで歩き進もうとした時だった。
「やはりだな」
どこからか不意に声がして、私は足を止めた。……誰もいないと思ったのに、見つかったのか? 声も出せず、じっと気配を探っていると、その人影は側の木立の中から現れた。
「私の予想通りだ」
「……スヴェン!」
微笑みを浮かべる顔を見て私はしばらく口を閉じられなかった。行動がばれていたの……?
「随分と驚かせてしまったようだね」
「なぜ、わかったの?」
「部屋での君の不満げな顔を見れば予想は付く。何が何でもルカトゥナへ行こうとするだろうとね。だから私達は唯一鍵のかかっていない通用口の外で待っていたわけさ」
「……私達?」
聞き返すと、スヴェンはおもむろに右手を上げた。すると木立の奥に次々と灯りがともり、そして数人の人影がこちらへ歩み出て来た。その姿は皆鎧を着て武装している。
「彼らは軍でも優れた功績を上げている、いわゆる精鋭と呼ばれる者達だ」
そう紹介されると、兵達はその場でひざまずき、私に深々と頭を下げた。
「私の頼みに、こうして急遽任を引き受けてくれた」
「任って、一体何を……」
「当然、君の護衛だよ」
私は瞠目し、スヴェンを見つめた。
「……ルカトゥナへ、行かせてくれるの?」
スヴェンは苦笑いを浮かべながら言う。
「正直に言えば行かせたくはない。だがそれでは君は納得してくれそうにないからね。一人でこそこそ行かれるよりはこちらのほうがいい。それでも私は全然安心など出来ないが」
私のこの行動に反対でも、意志を尊重し、行くことを許してくれる気持ちはとてもありがたい。だが――
「私は、長に話を聞きに行くだけよ。武装した兵士を連れて行けば誤解を招いてしまうかもしれない。出来れば一人で――」
「それは断固として拒否する。もしも護衛を置いて一人で向かうというのなら、私は兵達に命令して君を部屋まで連れ戻させるが、それでもいいかい?」
表情は穏やかでも、その口調には譲れない意志の強さが滲む。これ以上は妥協出来ないということか。今度はこちらが妥協をする番だと……。
「……わかったわ。行くことに目を瞑ってもらえるだけでも、ありがたいと思わなければね」
「私は喜んで送り出すのではないと、それだけは理解してほしい」
その言葉通り、スヴェンは複雑な表情を見せていた。私の身を案じてくれている証拠だ。
「でも、私がここに現れなかったらどうするつもりだったの? 一晩中待ち続ける気だったの?」
「そんなことにはならないとわかっていたよ」
「なぜ?」
首をかしげた私にスヴェンは笑いかけた。
「私がどれだけ君を見てきたと思う。何を考え、次にどう動くかなど、私にはすべてお見通しだよ」
スヴェンは最愛の夫だけれど、最良の臣下でもある。互いの思考や心は共に過ごした時間の中で多くのことを見せ合ってきた。そんな人物も、頼れる存在も、私にはスヴェンしかいない。
「あなたが敵でなく、私の味方でよかった」
そう言うとスヴェンは両手を伸ばし、私をそっと抱き締めた。
「こういう危険なわがままは、これきりにしてほしいものだが……気を付けて行ってくれ。上手く話が聞けることを祈っているよ」
「ありがとう。決意したからには、必ず長に会って真意を確かめてくるわ」
身を離したスヴェンは控える兵達に目を向けた。
「陛下が目的を達するよう、くれぐれも頼むぞ」
「はっ」
力強い返事をし、兵達は立ち上がる。そんな彼らを見回して私は言った。
「……では、ルカトゥナへ向かいましょう」
スヴェンに見送られ、私は護衛の兵士と共に城を離れる。辺りには闇しかないが、兵士の持つ灯りが足下を照らしてくれる。ルカトゥナで何が待っているか、私にはわからない。けれど戦いを終わらせるためには真実を明らかにしなければならない。そのためには長に会うことが必須。たとえ拒まれようとも、危険な目に遭わされようとも、私は必ず聞き出してみせる。そう決意したのだ……!
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