第4章2節
机の上、左手に置いたブラウン管、そこで動くデジタル時計は予定した時刻を十秒ほど過ぎておった。
見過ごした訳ではない。モニターの手前に木槌、それに叩かれるための台座、逆側には立て掛けた六法全書。この期に及んでは、反って視界が開けておる。
それで、机の木目を爪で掻いて、漆喰で固められた天井を見上げて……。
と、ゼロゼロ分がもうすぐ終わろうとする――黒い袖を捲り上げ、人差し指の骨ばった第一関節で机を鳴らす。
《コレヨリ サイバンヲカイテイスル》
それで「これより裁判を開廷する」と、口頭にて繰り返す。前方の左手へ、右手へ、もう一度左手へと目を配る。
特段、異論もないと見えて、目線の先、左方に座る被告へ向けて打電を再開する。
《ヒコク ナンジノナハ マスダユウ ソウイナイカヤ》
「相違ない」
《ヒコク ナンジニハモクヒケンガアル コレハイカナルトイニタイシテモテキヨウサレル タダシイズレモ シヨウコトシテアツカワレルガヨイカ》
「かまわないよ、そもそも黙秘するつもりもない」
それを聞き届けて、今度は右方に座る検察へ促す。
「では、検察官。起訴状を読み上げよ」
[りょうかいであります]
ソヤツがフリップで返答する。して、それを降ろしてから、手元のキーボードを二、三、操作した。
手元のブラウン管、その画面が黒く染まる。それで左上からポツポツと、速くなったり遅くなったりしながら文章が表示されてゆく。
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やはり読み辛い。
被告の方へ目をやると、向こうは向こうでブラウン管に目を通しておった。ちゃんと動いてるようで何よりじゃ。
そんな風に眺めておると、被告と目が合った。アヤツにとっては存外読みやすいのかも知れぬ。
「待ってくれ、これは間違ってる。あの放送は虚偽なんかじゃない――」
左手に木槌を取って打ち下ろす、被告の発言が止まる。
それでまた、関節のところで机を鳴らす。
《ヒコク キヨカヲトツテカラ ハツゲンスルヨウニ》
「理解した」
《ウム デハヒコク イギハアルカヤ》
「あるよ――狂人病は私が戦闘機、時風に乗せて持ち込んだ。だから宣言は虚偽ではない。よって適用すべき罪状はそんな軽いものではない、極刑に相当するほどの重罪だ」
《イジヨウデヨイカ》
「よいですよ」
タヌキを見る、進めてもよさそうじゃ。
「では、検察官。証拠及び本件についての説明をされよ」
ソヤツは答えるように右手で○を作る。それで、再びブラウン管の画面が更新される。
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なので
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「いや、この論理は破綻して、」
木槌を打ち下ろす。
《ダメジヤト イツテオロウ》
「……理解した」
タヌキへ目線をやる。今度は「続けてよいのか」という風に小首をかしげておった。
そっちへ手のひらを差し出して続きを促す。続く説明が書き込まれる。
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また、
よって
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「なるほどなるほど、ちなみに動機はあるのかや?」
[えんこんですかね?]
「かものー」
「……」
体調でも優れんのか、被告は酷く不愉快そうに挙手をしておった。
《ヒコク イジヨウノチンジユツニ ソウイアレバノベヨ》
「……まず、証拠については相違ない、そこだけは認める。けれど、そもそもの本筋が可笑しい。『実証できない』ではなくて『実証していない』だけだ、墜落現場の土壌を採取して、真っ当な機関で検証すれば黒だと分かる。そもそもがだ、ミノリ。君だって見ていただろ、私が病原体の入ったフラスコを積んだところを」
《ナルホドー》
「分かるだろ?あいつが一度河川へ流入した上水は勿論のこと、感染者や吸着した作物が世界規模でばら撒かれる。特にサトウキビは今頃シロップとして加工され、至る場所で食品という形をとって経口摂取される筈だ。それを狙って実行した、これをバイオテロと言わず何と言うんだ」
《ナラバコウシヨウ コツチガフラスコノナカミヲ ノドガカワイタカラノミホシタ》
「……言葉遊びをするために呼んだのか」
《マサカマサカ オナジコトジヤトイイタイダケヨ ソツチモコツチモダンテイデキヌ》
「だからってそんな暴論は通らないだろ」
《サヨウ ユエニリクツデカタルベキジヤ デアレバソノビヨウゲンタイ モチイルドウリハアルノカヤ》
「何が言いたい」
《ナンジガ イチバンワカツテオロウ》
「……分からないね、私は君が思うほど賢くはない。それこそ衝動的な、怨恨でやったのかもしれない――そもそも、原則は『疑わしきは被告人の利益に』だろ。つまり真偽が不明であれば、こちらの主張を優先すべきだ」
矢継ぎ早な、結論ありき、暴言紛いの自己弁護。
過去の判例をいくらほじくり返しても、こんなんで死刑判決を下した例はなかろうに……まあ、まったくもって人のことは言えぬが。
《ソレコソガ ナンジノサイワイニナルノカヤ》
「そうだ」
《ナラバ トウテモヨイカヤ》
「黙秘はしない」
《ホンサイバンヲトオシ ミズカラノカシツヲカエリミテ シンキョウノヘンカ ハンセイノベンハアルカヤ》
「ないね」
《ソレハ モクヒトカワラヌ》
「……津波へ謝れと言って何になる、以上だ」
《ウム ワカツタ》
「どうも、心優しい裁判長さん」
「――ん、あれ?狐くん、勘違いだったらあれだけど、おかしなことになってない?」
フリップの陰から覗っておったタヌキが、ことを飲み込めぬように発話した。
「心配するな、まだ始まっとらん」
「どゆこと?」
「……まあ、見ておれよ」
そう言って席を立つ。それで被告人の前、坊の前へ歩み寄って、ソヤツの机に、ゴトリと盗品を一つ返す。
「そうか……そうなるわけだ」
坊が右手にそれを取る。その親指でセーフティを外す。
こっちも予定通りに姿を戻す。
「整備はしておいた、弾も一発だけじゃが入っておる」
「なるほど、水掛け論なんかより至極明瞭だ」
「そうじゃろ。コヤツで示せばよい、汝が何者であるか」
坊は銃身をそっぽに向けながら、スライドを引いて薬室を覗き見る。
「こんな可笑しな姿になっても……なんとなく落ち着くというか、しっくりくるよ」
「まるでネコの髭みたいじゃな」
「どうだろう、それは猫になってみないと分からないかな、」
と、後ろから物音がした。そっちへ目をやれば、タヌキが居ても立っても居られないと身構えておる。
「ねえ、それってさ、そんなもので何をしようってのさ」
見ておれと言ったのに、恐る恐るといった様子でこちらへ出て来る。
左手を翳し、制止する。一応、ソヤツは足を止めた。
「……どうして教えてくれなかったの、答えてよ」
その物言いは蚊帳の外にしたからか。どうにも珍しく怒っているようじゃった。
とりあえず一つ、ジェスチャーしてみる――こっち、そっち、利害、グッド。
その返答に、タヌキはヤケに時間をかけてから、一言を絞りだす。
「……今夜は鮎が食べたいです、三人で」
こっちはうなずく。
タヌキは、尚も飛びかかってやろうという風体で構えておった。
それを見収めて、目線を前方へ戻す。
「タヌキも早くして欲しいようじゃ。この距離であれば外すことはなかろう、撃つがよい、撃てるものならの」
「ああ、そうだね。ところで、どうしてこんなことを思い付いたんだい」
スライドが弾性で戻って金属音が鳴る。
「少しでも公平にしたかった、そんなところじゃ」
「命を張ることでかな」
「うむ、こっちは敵、汝の死神じゃから。でも、そうであっても、単なる暴力装置。そっちの言った『津波』ではありたくない」
「そうかい。もっと楽な道なんて腐るほどあるだろうにね、今の君は風邪でも惹いてるみたいだ」
「死神が風邪なんぞ惹かぬじゃろ」
そこで一つ、区切りが付く。無駄話が終わる。
「じゃあ、確認するよ。撃てばそれで終わり、相違ないかな」
「もちろんじゃ、ワザと外さん限りはな」
腕を広げる。銃口がこっちを向く、撃鉄が起こされて淡白な金属音がする。
足音がした。何かに突き飛ばされる、それで今を断絶するような炸裂音が嘶いて――。
酷い耳鳴りの向こう側で、カランと薬莢の跳ねる音が聞こえた……倒れたこっちの横にグチャリと何かが落ちてくる。
「あらま、手元が狂ったみたいだ」
躰を起こす。目の前に見慣れた女の背中があった。
ソヤツの向こう側、ビチャビチャと音を立てるように赤い水溜り……血溜まりが刻々と広がってゆく。
「どうしたんだい、豆鉄砲にでも撃たれたような顔をして」
「……え。ち、違っ、」
装薬は抜いた、雷管も殺した、わからない、鼓動が耳の内側で鳴るように障る。
「何故、どうして、救急車」
「あつい、、いたい、」
「――喋らなくてよい、大丈夫じゃからッ、大丈夫、なんとかしないと、なんとか、血が、血を止めないと」
自らの右腕を握って、引き倒すようにタヌキの躰を上へ向けさせる。
その上着を開く、サラシが巻かれておる。その下部まで赤く染みができていて……アバラの下を手で抑える。弄ぶように指の隙間という隙間から流れだす。
どうする、どうする、どうする――ゆらゆらと、タヌキは手のひらを持ち上げる。
「な、なんじゃ、こりゃ、、へへ、」
「何でもないッ、大丈夫じゃから」
「なに、言ってるの、、わかんない、」
「大丈夫、テープがあった筈じゃ、大丈夫――」
「へへ、、くすぐったいよ」
右腕をもっと押し込む、出血が少しずつ収まる……。
「あれ、、なんだか、まぶた、、おもい」
「待て、目を瞑るな、大丈夫じゃから」
「ありがと、、あついの、、、いたいの、、なくなった」
「嘘じゃ、そんなわけが――」
「ちょっと、、さむすぎる、けど……ありが、、と……」
目が半分開いたまま、プツリと糸でも切れたように、その頭が転がる。
……カラカラと車椅子が近づいてくる。
「まあ、ミノリ、落ち着きなよ。これだけの出血なら、相当太いのがやられてる」
坊が車椅子の上から見下ろしてくる、わからない、わからないわからない。
「ちがう、ちがうちがうちがう、ちがう……これは、ちがう」
「そうなのか、まあ、何でも良いけどね。これで私の勝ちだろ、異議はあるかな裁判長殿」
わからない、からだ、たぬきをだきよせて、みたくない、まっくらで……たすけて、たすけて。たすけて……。
「どうして泣いてるの」
…………。
「怖いの?」
…………。
「それとも、悲しいの?」
…………。
……トン……トン……トン……トン…………。
「ごめんなさいって。誰に?」
トントン……トン……トン……トン…………。
「全部?そうか、大変だったね」
トン……トン……トントントン…………。
「独りにしないでって?独りは嫌いなんだね」
トン……トントン……トントン…………。
「救急車?残念ながら繋がらないし、そもそも要らないよ」
トン……トントン……トントン…………。
「そうかい、そこまで言うなら仕方ないかな。狸、救急車が一台欲しいって」
……。
「んー、それは狸使いが荒過ぎじゃない?」
……。
「まあ、ミノリが好きな子の為って言うんだから断れないだろ」
「ほうほう、なるほどなるほど、それなら仕方ないですねー、やぶさかじゃないですねー」
…………。
………………?
目蓋を開けると、笑みを貼り付けた顔が眼下に映る。
「あら、狐くん、おはようございます」
「……おはよう」
ソヤツが当然のように起き上がる。
「いやはや、少年、まったくもって軍人らしくないね」
「そうかい、らしくないついでに上着もやるよ」
「おー、これはこれは――しっくりくるぜ、キリッ」
「いや、ダボダボじゃないか」
「分かってないなー少年、このバンカラ感がいいんだよ」
「なるほど、分かったから前を閉めなよ、風邪惹くから」
「えー、なーんか傷つくというか。もっとフランクに扱ってよ、観葉植物じゃないんだからさー」
「そんなつもりはないけど、まあ、今はそれどころじゃないだろ」
「あーっと、そうでしたそうでした、ボクは殺されそうなほど忙しいんでした、はてさて、ひとっ走りしますかねぇーっと」
タヌキは何処ぞの白兎みたいに駆け出すと、両開きのドアを盛大に開けて行った。
過ぎ去った後から、一階にある発動機の喧騒が漏れてくる……何もなかった……夢?……夢。
「おかしい」
「どれがかな?」
「いや……こっちは化かされたのか?」
「思いのほかね」
「飲み込めん」
と、坊は持っていた拳銃、そのスライドを思い出したように引き切る――飛び出た銃弾が、コトンッと鈍い音をさせて転がる……。
「まあ、私の方も飲み込めないというか。良い言葉が思い付かないけれど、ミノリはもっとドライな反応をすると思ってた」
「……猫騙しを食らったのなら、誰だって驚くじゃろ」
「いや、そうじゃなくてさ、まるで台詞の飛んだ役者みたいな――まあ、泣くとは思わなかった」
「泣いとらん」
「そうかい。どうやら、こちらの目が悪かったみたいだね」
坊が手を差し出してくる。その手から目線を切って立ち上がる。
それで、席に置かれた木槌が目に留まる。
「……被告人」
「なんだい――ああ、まだ貰ってなかったね」
「本当は、本当はな……すまぬ、まだ少しばかり乱れておる」
「良いよ。急いで並ぼうとしなくたって」
「……諭そうとするな、片棒を担ぐどころか元凶であった癖に」
「なるほど?それは初耳だ」
何を白々しいことを……なれど、その声色からは嘘を聞き取れぬ。
「坊がアヤツに『信頼してない』なんて言うから、こっちが流れ弾を食らう羽目になったのじゃ」
「……色々と分からないけど。とりあえず、ごめん」
「まあ、よいがの、刑罰が重くなるだけじゃから……それで、どうして信じてやらんのじゃ。別に、どうでもよいが、聞いてやってもよいぞ」
「どうしてか。それは難しい……あいつにとっての『信じる』は、私のと少し違うみたいだからね。私自身よりはよっぽど信用しているつもりだけど……後日で良いかな?」
「よかろう、アヤツを狸汁にしてからでも遅くない……きっと、これからは走り続けねばならん。然もなくば、その場に留まることすらかなわぬ」
「そうかい、君も随分と不思議な世界に迷い込んだらしいね」
「構わぬよ、最後には子ネコを手にしてはっぴーえんどじゃろ」
「あれはハッピーエンドだったかな」
立ち眩みか、ぐわんぐわんと視界が揺れて思える。それでも白線の上でも歩くように、真っ直ぐに自分の席へ向かう。
椅子を引いて、重い躰を預ける……約束は約束、ルールはルール。それこそがここにいる理由、やけっぱちで拵えた繋がり。
少しずつ収まってきて、体勢を直す。机で囲われた中央に、証言台で待ち構えた坊がおる。
ソヤツを真っ直ぐに見据える。
「被告、判決を言い渡す」
ソヤツは一つ、静かに頷く……。
「主文、被告人を――汝を死刑に処す」
妖狐のおはなし🦊 吉日 凪(きちじつ なぎ) @kichijitsu
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