第16話(修正版) 李家の武姫

 わたしは相変わらず後宮に通い、陽紗ようしゃの侍女として働いていた。翠玲すいれいとの街歩きの翌日からは、早朝に宮城へ入るようになった。


 街で得た、ある着想を実行するためだ。


 まだ誰もいない宮城の広場で、朝焼けが辺りを赤黄色に染めるのを眺める。まもなく従僕が広場を掃き清めるのだが、その直後、皆が広場を利用し始めるまでの数十分間が勝負だった。


 わたしはその時間帯に、ある日課をひとりで続けた。そして七日目、早朝の広場で、ついに皇后と対面することになるのだ。


 さて、皇后については後述する。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 陽紗のもとで学ぶことは多かった。後宮にはきさきが百人以上いるが、皇后と四夫人に次ぐ地位である陽紗の支えがなければ、これほど実りある時間は過ごせなかっただろう。


 その日も、陽紗と連れ立って後宮を歩いていたわたしは、興味深い場面に遭遇した。


 昼下がりの広場で、剣の練習をしているものがいる。


小雨しょうう。ほら、あれをみて」

「女同士ですね。これは珍しい」


 女が二人、剣舞のような手合わせをしている。しかも木剣ではなく、鉄剣だ。剣が空気を切り裂き、ぶつかり合う激しい音が鳴り響いている。


 女は二人とも胡服こふく姿だ。ひとりは大柄で背がかなり高い。もうひとりは小柄で細身だった。


 大柄な方が明らかに動きが良い。でも、小柄な方もしっかり動きについていっている。やがて手合わせが終わり、二人がたがいに拝礼した。


 陽紗がいたずらっぽく笑って言った。

「小雨、あの二人をご存知?」

「いいえ、知りません」

翠玲すいれいが東宮妃選抜で競う相手、家の姫君よ」

「なんと、秀女しゅうじょ(妃候補)でしたか」

「小柄な方が秀女で、大柄な方が侍女なのよ」


 わたしは陽紗の言葉に微笑んだ。

「ふふふ、陽紗さまもお人が悪い」

「何のことかしら」

「逆でしょう。大柄な方が秀女ですよね」

 わたしがそう答えると、陽紗が笑った。

「あら、ばれちゃった。冗談のつもりだったのだけど、すぐに見破るなんて、さすがね」


 二人がこちらに歩いてくる。


 わたしは剣技を見ながら、二人の関係について推理していたのだ。


 大柄な方が技量は上だ。

 一方、小柄な方は遠慮があり、大柄な方に気持ちよく剣を振らせている気がした。小柄な方は拝礼もより深く、常に少し後ろを歩いている。どちらが秀女かは明らかだった。


「小雨、彼女たちに挨拶しましょう」

「ええ、ぜひ」

「李家の武姫ぶきと呼ばれているそうよ」


 陽紗とわたしは広場に出た。


 李家の秀女は陽紗を認めると、立ちどまって拝礼する。

「これは陽紗さま。ご機嫌よう」

「ご機嫌よう、李秀女」


 わたしは背が高い方だが、李秀女はさらに高い。わたしが宮中で出会った女のなかで、間違いなく一番高かった。


 陽紗が言った。

「李秀女、素晴らしい剣技を見せてもらったわ」

「お恥ずかしい限りです。宮中にいると気詰まりになるので、剣を振って発散しておりました」

 彼女はそう言って快活に笑った。


 目が覚めるような美貌で、意志の強さを感じさせる太い眉が印象深い。大輪の向日葵ひまわりのようだ。


 秀女たちは東宮の離れに一堂に集められ、妃教育を受けていると聞く。その合間に気晴らしに来たらしい。


 陽紗がわたしを紹介した。

「こちらはわたしの妹の侍女よ。妹はまだ宮中に入っていないけど、まもなく秀女になるわ」

あん家の侍女で天小雨と申します。どうぞお見知りおきください」


「わたしは李夏風りかふうよ。よろしくね。そうか、あなたが噂になっている安秀女の侍女なのね」

 夏風はに快活に挨拶すると、わたしを値踏みするように眺めた。


「ふうん。小雨、あなた、武芸のたしなみがあるわね。それもかなりの腕前だわ」

「夏風さま、少々たしなんでおりますが、たいしたことはありません」

 夏風は瞳を輝かせてわたしに迫った。

「小雨、謙遜しなくていいわよ。ただ者でないことは、見たらわかるわ。ねぇ、わたしと剣の手合わせをしてもらえないかしら」


「コホン」

 後ろにいた夏風の侍女がわざとらしく咳払いをする。

「夏風お嬢さま。いきなりそんなことを言うなんて、失礼でございましょう」


 侍女はわたしの方を見て言った。

春鈴しゅんれいと申します。はじめまして。そして申し訳ありません」

「ちょっと、春鈴。わたしは何も失礼なことは言っていないわよ」

 頭をさげる春鈴に夏風が反論する。


「十分に失礼です。夏風お嬢さまに手合わせを頼まれたら、小雨さまは断るに断れず。かといって夏風お嬢さまを打ち負かすこともできず。困ってしまうではないですか」


 春鈴はなかなか目配りが利くようだ。あるじの気まぐれをいなすと、「うちの夏風お嬢さまは、物事を剣で判断される少々困った方なのです」と付け加えた。

 それを聞いた夏風が頬をふくらませる。


 武門の誉れ高い李家らしく、夏風はずいぶんと勇ましい。だが、春鈴にやりこめられているところは少女のようでもある。


 わたしは二人のやり取りを微笑ましく感じた。

「夏風さまと春鈴さまは、とても仲がよろしいのですね」

「春鈴はわたしの乳母子めのとごなのよ。妹のようなものね」

「はい、そんな訳で、小さい頃からわたしが夏風お嬢さまのお守りをしております」

 夏風は微笑み、春鈴は嘆息をもらした。


 夏風と春鈴が去ったあと、陽紗がわたしに言った。

「小雨、なかなか気持ちの良いお二人よね」

「そうですね。翠玲お嬢さまの競争相手ではありますが、好感を持ちました」


 李家は後宮の最大勢力だ。

 敵意をむき出しにしてくるかと構えていたのだが、意外にもそうではなかった。


「ところで小雨。李秀女と剣で立ち会ったら、あなたは勝てると思う?」

「正直言って、無理でしょうね」

 わたしは即答する。

「あら、小雨でもそうなのね。じゃあ李秀女は強いのかしら」

「はい、実力は相当なものです」


 夏風の剣技はわたしよりも上だ。「武姫」の二つ名も伊達ではないと思った。


 だが、わたしは剣で負けることについては何とも思わない。それはわたしの領分ではないからだ。


 どんなに勇猛な武将であっても、千人の兵士には叶わない。そして千人の兵士も計略には叶わない。わたしはそう思っている。


 はかりごとを帷幄いあくにめぐらし、勝ちを千里の外に決す——。


 計略を練って、千里先の戦場を勝ちに導く。それが、わたしの戦いかただ。


 わたしは武将ではなく、軍師だからだ。

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