第15話(修正版) わたしとは違う

 翠玲すいれいの剣幕に女が後ずさる。


 翠玲はぜいぜいと荒い息を吐き、獣のように身をすくめた。


 わたしは翠玲の肩を抱いた。

「お嬢さま、落ち着いてください。こういう者たちは、嘘をつくものなのです」


雨雨ゆいゆい、嘘はついても、子どもは傷つけたらだめだ。骨を折るなんて、何でそんな酷いことができるんだ」


「確かに許されない行為です。でも、他に食べていく術がないのでしょう」


 わたしはこの親子を見た瞬間に、事情を察していた。この母親は子どもを見せ物にして物乞いをしていると。

 戦乱で流れてきたのは嘘ではないかもしれないが。母親のあばたで醜くゆがんだ顔では、春を売ることもできないだろう。


 翠玲が泣きそうな声で言う。

「だって、だって、自分の娘だぞ?」


 翠玲の言うことは間違っていない。


 だが、わたしは知っている。

 わずかな金のために、子どもを平気で傷つけ、捨て去り、売り飛ばし、場合によっては、殺す——。そんな人間を、わたしは腐るほど見てきた。


 女が笑った。

「あはは。さすが、貴族の姫さまだ。息子なら子どもでも働き手になるし、兵士になって稼いでくれる。でも娘なんて金がかかるだけだ。この子が男の客をとれる歳になるまで、わたしはどうやって暮らせばいいんだい?」


 翠玲が震える声でたずねる。

「お前は、自分の娘が、かわいくないのか?」

「かわいいはずないだろう。骨を折ってでも、食いぶちくらい稼いでもらわないと」


 翠玲は愕然とした表情を浮かべ、それから告げた。

「——わかった。お前は親じゃない」


 わたしは翠玲の考えていることに気付き、あわてて制した。

「お嬢さま、だめです」


 だが、翠玲は言ってしまった。

「この子は、わたしが連れてかえる」


 わたしは翠玲の前に立つと、語気を強めた。

「お嬢さま、そんなことはできません」

「こんな女のところにいたら、この子が不幸になるだけだ」


「お嬢さま、倫安には不幸な子どもが沢山いるのです」

「見てしまったら無視できない。この子は連れてかえる」

  

「子どもは犬や猫ではありません。簡単には連れてかえれません」

「雨雨、おまえだって、可琳かりんを育てているではないか。それと一緒だろう?」

  

「可琳は違います」

「どう違うんだ?」

  

 わたしはそこで口をつぐむ。

 違うのだ。

  

 わたしが可琳を育てているのは、わたしが可琳の父と母の命を奪ったからだ。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 あれは五年前だ。


 わたしは敵地から退却する途中、とある民家で休息をとった。


 通常ならどこかで野営する。そのときは水も食糧も尽きて、疲労が極限まで溜まっていた。たまたま善良そうな農家の家族を見かけ、頼み込んで休ませてもらったのだ。


 その夜、わたしが部屋の隅で藁をかぶっていると、夫婦が襲いかかってきた。


「こいつを殺して突き出せば、褒美の金がもらえる」

 夫婦はそう言って、二人がかりでわたしに刃物を突き立てようとした。

  

 わたしは抵抗し、刃物を奪うと、二人を刺した。


 仕方がなかった、とは言わない。

 だが、当時のわたしは今よりも未熟で、ほかに方法がなかった。

  

 わたしが夫婦の喉に刃物を突き立てたところを、部屋にいた年端もいかぬ娘が見ていた。それが可琳だ。


 可琳は目の前で両親が死んだ衝撃で、言葉を失い、喋ることができなくなったのだ。


 だから、わたしと翠玲は、違う。

 翠玲にそう言いたかったが、いまここでそんな話をするつもりはなかった。

  

 翠玲とわたしがにらみ合っているのをみて、女が言った。

「この娘を連れてかえるって? 物好きもいたもんだ。どうぞ連れてかえっておくれ。その代わり、もっと金を置いていきなよ」

  

 女の言葉に、翠玲が首飾りを外す。


 首飾りの先には、丸い琥珀こはくがぶらさがっている。翠玲がろうそくの炎に照らして何時間も見入っていた、お気に入りの石だ。

  

「お嬢さま。それはいけません!」

 わたしは声を張り上げたが、翠玲はその首飾りを女に差し出した。

  

「ひいっ」

 女が狂ったように声をあげ、首飾りを奪い取る。家と畑を買ってもおつりがでるだろう。


 わたしは女にすごんだ。

「息子はちゃんと育てろよ。首飾りを金に替えた時点で、お前の居場所は見当がつく。息子を捨てるようなことがあれば、お前の命はないものと思え」

 女はガクガクと頷き、逃げるように立ち去った。

  

 わたしは嘆息をもらす。

 翠玲はいつもこうだ。

 わたしの想定を軽々と飛びこえる。

  

 だが、こんな翠玲だからこそ、わたしは、自分のすべてをかけて、守り抜くつもりでいるのだ。

  

 翠玲は残された娘に「さぁ、こっちにおいで」と言った。

 娘はこくりとうなずくと、翠玲が差し出した手を、その曲がった手でつかんだ。


「もう帰りましょう」

 わたしはみんなに呼びかけた。


 屋敷へ帰る道すがら、通り沿いに見覚えのある人物が立っていた。


 海燕かいえんだ。

  

 どうせどこかで見張っているだろうと思っていたら、やはりいた。  


 黙って通りすぎようとしたら、海燕が小声でささやいた。

「面白いものを見せてもらったよ。この侍女にして、この姫あり、だよねぇ」


 わたしは無言で海燕のすねを蹴り飛ばす。海燕はひらりと避けると、言う。

「くくく。もうちょっとしたら、宮中でおふたりに会えるかもね」


 わたしは海燕を一瞥すると、返事もせずにその場を離れた。

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