第14話(修正版) 宝石と嘘
正直に言うと、翠玲は出歩かせたくない。不測の事態が怖いからだ。でも、もし宮中に入るようなことになれば簡単には外に出られない。本人も街歩きを楽しみにしているので、期待に応えてやりたかった。
わたしは何日も前から準備した。
深夜、翠玲が眠った後に屋敷を抜け出し、倫安の街をつぶさに探索した。どの通りをどんな風に歩けばいいか、明け方まで時間をかけて調べるのだ。
通り沿いの屋敷の素性や、賊が隠れられそうな箇所についても徹底的に確認した。
わたしは眠らなくても平気なので、翠玲が眠った後の時間を有効に使えるのは有り難い。他の人の倍の時間を生きているようなものだ。
検討した結果、翠玲の同行者はわたしと
翠玲の外見も何とかする必要がある。あまりにも目立つので、髪を隠す頭巾や、庶民の服などを事前に準備しておいた。
そして当日の朝。
わたしが屋敷の者に手はずを説明していると、翠玲が準備万端で現れた。
「
まぶしい。 翠玲の周囲が輝いてみえる。
銀白色の長い髪をなびかせ、西域風の絹の衣を着て、宝石を山のようにぶら下げている。
わたしは絶句し、頭を抱えた。
翠玲は貴族であることと異国の外見であることを、隠すどころか強調していた。まるで西域から朝貢に訪れた公使のようだ。
しかも宝石の数が多い。さまざまな色と形が入り混じっていて、はっきり言って趣味が悪すぎる。
「雨雨、どうだ?」
翠玲が胸をそらして腰に手を当てる。その得意満面な表情が可愛らしくて、文句を言う気が失せてしまう。
屋敷の侍女はうつむいて笑いをこらえているし、可琳は目をむいて固まっているし、わたししか注意できる者がいない。
「あのう、お嬢さま」
わたしは声を張り上げたい気持ちを抑え、周囲の目を気にしながら静かに話しかけた。
「どうした。ふふふ、わたしの美しさに言葉も出ないか」
「はい。それはそうなのですが、やや目立ちすぎです」
「目立ってもよいだろう?」
「いや、お嬢さまが目立つと不都合が多いのです。美しすぎるのは問題です」
「雨雨、お前はいつもわたしを美しいとほめてくれるではないか。ほら、昨夜も寝台でわたしを愛でながら——」
「そんな話はここで言わないでください! あのですね、人には守るべき節度というものがあるのです」
「雨雨の言うことは全然わからん」
「つまりですね。街には、宝石を狙う盗っ人や、貴族に害をなす不届き者がいるのです」
「ううむ。確かに、お母さまから頂いた大切な宝石を奪われる訳にはいかない」
「そうですそうです」
結局、わたしは翠玲を無理やり着替えさせた。あまりに嫌がるので、つい「宮中に行くときは好きな格好をしていいから」と約束までしてしまった。
翠玲はこの約束をしっかり覚えていて、宮中入りの際、その服装で周囲の度肝を抜くのだが、それは後の話だ。
麻の簡素な服を着せて、頭巾を被せる。肌や顔は薄墨で汚し、宝石は最低限の首飾りだけを許した。
そこまで徹底しても、まだ貴族の姫にしか見えないが、最初の格好よりは随分ましだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
出かける前の騒ぎでへそを曲げていた翠玲だったが、街に出ると機嫌が戻った。
倫安の大通りの活気は心を浮き立たせるものがある。わたしたちは露店で餅菓子を買って食べ、目につく店を見物した。
このところ、わたしも実をいうと行き詰まっていた。皇后になかなか会うことができず、悶々としていたのだ。街歩きは頭を切り替える良い機会だった。
街にはいろいろな人がいる。
道端で字を書いている若い女がいた。奉公に出るために筆を練習しているらしい。
逆立ちや宙返りなどの曲芸で小銭を稼ぐ男もいる。翠玲は見るもの全てを珍しがり、露台で将棋を打つ老人にまで注目していた。
「雨雨、ここには何でもそろっているな」
「ええ、ほんとに。興味深いですね」
街の風景を見ているうちに、わたしはふと閃いた。
そうだ。翠玲が興味を持つことは、皇后だって興味を持つのではないか——。
皇后といかに接触すべきか。頭を悩ませていた問題に、解決の着想を得たのだ。
これで何とかなるかもしれない。
さて、わたしたちがそんな風に、大通りを歩いていた時のことだ。
翠玲が目をやった方向に、母子が座りこんでいた。
「雨雨、あれは何だ?」
「物乞いです」
物乞いの母親らしき女はくたびれている。顔の半分があばたで覆われ、鱗のようになっていた。おそらく三十代だろうが、まるで老婆のようだ。
女は隣に五歳くらいの娘を座らせ、かたわらの籠には二歳くらいの息子を寝かせている。
わたしは胸騒ぎを覚えた。
「さぁ、向こうへ行きましょう」
翠玲の手を引き、急いでその場を去ろうとした。
だが、翠玲は動かない。母子をじっと見ている。
「雨雨、あの者たちに
翠玲はそう言って母子に近づいた。
母子は薄汚いぼろ布のような衣をまとい、こちらの鼻が曲がりそうなすえた臭いを漂わせていた。翠玲は平然と近寄ると、母子の前にしゃがみこむ。
娘は痩せ細り、肘から下が両手とも途中で「くの字」に曲がっていた。
翠玲が女にたずねる。
「この子の腕は、なぜ曲がっているのだ」
女がしゃがれた声で答えた。
「わたしたちは
「何と、それはかわいそうに」
翠玲は娘に手を伸ばすと、
女が翠玲に言う。
「姫さま、この子の怪我を治したいのです。どうぞお恵みくださいませ」
「うむ。よいぞ」
翠玲は可琳が下げていた物入れから、銅銭の穴に紐を通して縄状にした束を出させた。「これを使え」と言って女に渡す。
女が驚き、銅銭の束をおしいただいた。おそらく、女が期待していた金銭の何百倍もあっただろう。
わたしは翠玲に声をかけて促す。
「そろそろ行きましょう」
もう十分だ。一刻も早くこの場を去りたかった。
だが、立ち上がりかけた翠玲が突然、全身をびくりと震わせ、叫び声をあげた。
「あああああ!」
まずい。
翠玲の顔面が蒼白になっている。
わたしは翠玲を抱きかかえるようにして、無理矢理連れて行こうとした。
翠玲がわたしの手をはらい、呆然と女を見つめる。そして苦しそうに顔をゆがめると、女に言った。
「お前は、嘘をついている」
「な、何のことでございましょう?」
女が驚いた顔で翠玲を見上げた。
翠玲は言う。
「兵士に傷つけられた? 違う。娘の手を傷つけたのは、信じられないが、お前だ」
翠玲の真実を見抜く目が、女を射すくめていた。
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