第11話 妃の派閥

 紅花こうかはわたしに言った。

小雨しょうう。東宮妃候補に仕えているなら、残念だけど、うちには来てもらえないわね」

「申し訳ありません。紅花さまにお誘い頂けて、お世辞でも嬉しいです」


 紅花が陽紗ようしゃと視線を交わして微笑む。

「あはは。お世辞じゃないよ。わたしは、中立派だから、それほど力はないけど。困ったことがあったら相談にのるわよ。借りはきっと返すわ」

「ありがとうございます。心強いです」

 わたしは紅花に拝礼した。


 中立派——。


 後宮のきさきが派閥に分かれていることは、公然の事実だ。主な妃の勢力図はわたしの頭の中に既に入っている。紅花が中立派であることも知っていた。


 派閥は、出身の家柄、帝の寵愛の度合い、皇子の有無、妃同士の関係などによって決まる。


 家柄では最も格上なのは家だ。建国当初からの名家であり、皇族との関係も深い。四夫人のひとり、李淑妃りしゅくひをはじめ、妃の数も群を抜いて多い。


 だが、最も権勢を誇っているのは、李家ではない。

 こう家だ。


 家柄では李家に劣る高家が幅をきかしている理由は、帝の最愛の寵妃、高貴妃こうきひの力による。高貴妃は四夫人の筆頭で、皇后に次ぐ地位だ。帝の溺愛ぶりは目にあまる程と聞く。


 いまや後宮は高家(高貴妃派)と李家(李淑妃派)の二強が競う構図だった。

 三番手が皇后派だが、皇后はあまり前に出る性格ではないようで、旗色が悪い。


 そして、三大派閥以外の妃は、ひとまとめに中立派と呼ばれていた。紅花が「中立派だから」と語る口ぶりは自嘲めいているが、それだけ三大派閥の力が強いのだろう。


 安家の陽紗も中立派だ。

 蓮の四家に数えられる安家ですら、高家や李家には差がつけられている。


 陽紗と紅花は、たがいに中立派という事情もあって、懇意にしているようだ。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


「後宮では、このところ東宮妃選抜の話題で持ちきりよ」

 紅花が言う。

「そうでしょうね」

 わたしもうなずいた。


 わたしにとって問題なのは、東宮妃選抜が、後宮の派閥争いの代理戦争になっていることだった。


 東宮妃を手中に落とさんと、高家と李家が激しく競り合い、それぞれ選りすぐりの秀女を送り込んでいると聞く。


「あら。噂をすれば、何とやらね」

 陽紗が目配せをした。


 広場の向こうに、十人くらいの一団が出てきていた。その中に、従者の宦官に日傘を差し掛けられた、やんごとない雰囲気をまとった男たちが混じっている。


 この広場は後宮だけでなく、太極宮や東宮からも出入りできるのだ。後宮の女たちが、皇帝以外の皇族と遭遇する場面も、広場においてはあり得る。


 太鼓の音を聞きつけ、教練の見物にきたらしい。その頃になると、休憩中の女たちも一団に気づき、ざわめきがさざ波のように広がっていた。


 紅花がわたしにささやく。

「小雨。ほら、日傘の三人が皇子よ」


 三人はいずれもほうと呼ばれる特徴的な朝服ちょうふくを着ているので、すぐに分かった。


 蓮の皇子たち。

 翠玲が嫁ぐことになるかもしれない相手だ。そう思うと、胸がつまり、息苦しくなった。


 いや、余計なことは考えなくていい。

 わたしは深呼吸すると息を整え、平静を保つ。


 こちらから見て一番左が、第三皇子の王志成おうしせいだった。皇太子であり、東宮のあるじでもある。


 志成は大柄で、胸板が厚い。紫色の上衣を着て、肩をそびやかすように広場を眺めている。時おり従者に笑いながら話しているところを見ると、女たちの品定めでもしているのだろうか。


「あれが、皇太子の志成さまですね。噂通りの人物だとお見受けしました」

 志成は、つい最近も帝付きの女官に手を出して問題になったそうだ。彼はそんな醜聞にこと欠かない。


 わたしの言葉に、紅花が苦笑した。

「まぁね。いろいろ噂を聞いているわよね。ほぼ見立て通りだと思うわ」


 その志成の隣には、第四皇子の王万里おうばんり、そして第五皇子の王利英おうりえいが並んでいた。


 青色の服を着た万里は、志成とは違って、穏やかな性質と聞いている。いまも志成の傍らに静かにたたずみ、黙ってうなずいていた。


 一方、黒色の服を着た利英は、志成と同じくらい背が高かった。腕を組んで微動だにせず、愛想を感じさせない。この男は禁軍(近衛軍)を率いる武人でもあった。


「勢ぞろいだわ。大ごとになったわね」

 陽紗がつぶやいた。


 皇子のほかにも、いつのまにか女官やら宦官やら、何人もの見物客が広場を取り囲んでいる。


 わたしは正直に言うと、皇后が出てくるのではないかと淡い期待を抱いていた。

 だが、皇后の姿はなかった。


 代わりに皇子らを遠目に拝見できたので、良しとしよう。


 そんな風に、周囲を眺めていたわたしは、ふと、ある人物に目をとめた。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


「紅花さま、陽紗さま。すみませんが、この場をちょっと外します」


 わたしは紅花と陽紗にそう伝えると、ただちに駆け出した。何事かと眉をひそめる彼女らを、後に残したまま。


 広場に面した通路に、内侍府の役人が三人いた。


 文書か何かを運ぶ途中で、広場に差し掛かったようだ。そして教練をひとしきり見物して立ち去ろうとしたとき、その中の一人が木簡の束をうっかり落とした。


 そんな場面のように見えた。


 他の二人は、落とした者をあざけり、笑いながら立ち去った。


 落とした者は頭をかきながら木簡を拾い集めていたが、相当な粗忽者そこつものらしい。拾うそばからまた落としている。


 わたしは足もとに転がってきた木簡を拾い、その役人に差し出す。


「おっと、これはどうも」

 役人は笑みを浮かべながら、頭を下げて受け取った。


 わたしは役人を見下ろすと、冷ややかに言う。

愚者ぐしゃの真似ごとも、なかなか大変そうだな」


 役人が顔を上げた。


 それは、街で出会った、あの藍色の服を着た宦官だった。















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