第10話 五色の隊列


 わたしが紅花こうか陽紗ようしゃに孫武の話を終えたところで、芽衣めいが戻ってきた。内侍府の役人に引かせた大きな台車とともに。

 芽衣の意気揚々といった明るい表情から、準備が無事に整ったことがわかる。


「紅花さま。それでは女たちを呼び集めてもらえますか」

 わたしがそう依頼すると、紅花はうなずいて声を張り上げた。

「みんな、ちょっと集まって」


 五十人の女たちが何事かと注目する。全員が集まったところで、紅花が言った。

「やり方を少し変えるわ。こちらの天小雨てんしょううに説明してもらう。彼女は教練の専門家なので、よく聞いてね」


 わたしは軽く拝礼して話を切り出した。

「天小雨です。紅花さまのおかげで教練がここまで進みました。この後のやり方を、わたしからお伝えしますね」


 わたしは役人に指示して、台車から荷物を下ろさせた。背丈くらいの長さの木の棒が人数分そろっている。


「まず武器を変えます。槍やほこは歩兵にとって最良の武器ですが、扱いが難しく、怪我をする恐れもあります。代わりにこれを持ってください」


 紅花がたずねる。

「ただの棒みたいだけど。これも武器なの?」

「はい。これはこんと言います」


 わたしは自己紹介がわりに棍の演武をみせる。棍は女の手でも容易に握れる太さと軽さだ。くるくると縦横に回し、踊るように足を踏み出すと、上中下に三段突きをして手元に戻す。


「おぉ」

 女たちが賞賛の声を漏らした。わたしはこれでも武器の扱いは一通り身につけている。はた目には、わたしの棍の動きは、生きている蛇のように見えたはずだ。


「棍は柳の木で作られています。よくしなるので、なかなか折れません。突けば槍、振れば剣。とても強力な武器です」


 演武を見せたことで説得力が増したはずだ。わたしは女たちに棍を持たせると、使い方を説明した。


「お互いの棍が当たらないように、間隔を広くとってください」


 歩兵の教練というのは、ただ並べば良い訳ではない。実戦を想定した動きを、ある程度は形にしなければならない。


 「右」と言えば右斜めに突く。

 「左」と言えば左斜めに突く。

 「縦」と言えば上段から振り下ろす。


 女たちには、三つの動きを繰り返し練習させた。まるで孫武の逸話のようだが、これくらいなら初心者でもこなせるはずだ。


 わたしは女たちの間を歩き回り、指導しながら各々の身のこなしを確認する。不真面目な者もいるし、不器用な者もいる。その中でも筋が良さそうな五人を選び、前に立たせた。


 さて、これからだ。

 わたしは紅花と陽紗に振り返って言う。

「先ほど、兵を動かす方法がもうひとつあると言いましたよね。それをお教えしましょう」


 またも役人に指示して、赤、青、黒、白、黄の五色の鉢巻を配る。筋の良い五人を班長として、十人ずつ五色の班に分けた。


「これから五色の班で競ってもらいます。指示した動きが一番よく出来ていた班には、褒美ほうびを出しましょう」


 わたしは芽衣に取ってきてもらった荷物から、麻ひもで結んだ木の束を取り出す。

「褒美はこれ。香木こうぼくです」

 みんなの目の色が変わった。


 木の束を掲げて言葉を続ける。

「西域産の白檀びゃくだんです。これほど品質の良いものは、倫安では金子きんすを大枚積んでも手に入りません」


 女たちが歓声を上げ、活気付いた。

 倫安の人は香木が好きだ。お香にしたり、木工品に加工したりして用いる。こういうこともあろうかと、手土産に持参していたのだ。


 安家は夷狄いてきと呼ばれる異国の民と関わりが深く、交易で力をつけた豪族だ。この白檀も、安家の力で取り寄せた最高級品だった。


 わたしは紅花と陽紗にささやく。

「これが信賞必罰しんしょうひつばつです。悪いことをすれば罰し、良いことをすれば賞する。罰だけでは片手落ち。やはり褒美が必要でしょう」

「やる気を引き出すのね」

「そうです。実際の兵士らも、論功行賞のために戦うのですから」


 ただし、何をどう評価するのか。戦場では目標を明確にしなければならない。最優先するのは、敵兵の首の数なのか、陣地の奪取なのか、進軍の速度なのか——。


 今回の場合、目標は二つ。指示通りにまとまって動くこと。そして、他の班よりも上手くこなすことだ。


 さて、わたしは女たちを縦五本の隊列に並ばせると、陣頭指揮を紅花に交代した。


 紅花は太鼓を打ちながら、見事に指揮をする。

「はい。全員こちらを向いて。まずは棍の突き出し。右、右、右。はい、次は左、左、左」

 紅花のよく通る声と、堂々とした態度は、こういう仕切りにぴったりはまる。


 ここからは応用だ。

 わたしは紅花にささやき、五色の隊列を動かしてもらう。左右両端の列を前進させて敵を囲う形を取ったり、列を少しずつずらして雁行がんこうと呼ばれる形を取ったりした。


 ここまでくると、ようやく陣形と呼べる。指示が明確で、みんなのやる気さえあれば、難しくはない。


 ひとしきり陣形をとった後、女たちは再び休憩に入った。


 紅花が満面の笑みでわたしに駆け寄る。

「小雨、すごいわ! みんなの動きがさっきまでとは全然違う」

「紅花さまの指示が適切なのです。紅花さまは間違いなく将のうつわですよ」

「ふふふ、大軍を動かす気持ち良さが分かったわ。男に生まれた方がよかったかしら」

 そんな紅花を見て陽紗が笑った。

「おやまあ、現金だこと」


 わたしは香木を紅花に渡した。

「これを進呈します。明日のお披露目の後で、褒美として配ってください」

「ありがとう。感謝するわ」


 紅花が陽紗に言う。

「ねぇ、わたし、小雨のこと気に入ったわ。わたしの所に来てもらいたいくらい」

「それは駄目よ。小雨はわたしの妹の侍女だから」

「あぁ、このところ宮中で噂になっている東宮妃候補ね」






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