第9話 姫兵の教練
教練を任された
遠目に見ていると、紅花は声が大きく、背も高く、指導力に長けた人物のように思える。
だが、相手は武器の扱いもおぼつかない五十人もの女官や侍女だ。紅花も並ばせるのがやっとで、当然ながら陣形を整えるような教練には程遠い。
しばらく興味深く見物した後、ちょうど休憩に入ったのを見計らって、
「お疲れさま、紅花。調子はどうかしら」
「おはよう、陽紗。どうもこうもないわよ。見ての通り、調子は良くないわね」
紅花はお手上げとでも言う風に、両手を挙げた。
「そう思って、助っ人を連れてきたのよ」
陽紗がわたしを紹介する。
「はじめまして、紅花さま。
「あら、凛々しいお嬢さまね。あなた、女官や侍女にもてるわよ、きっと」
紅花はくっきりとした目鼻立ちで、厚みのある唇が親しみを醸し出している。姉御肌なのだろう。少し話しただけでも、勝気でさっぱりした気性であることがわかった。
陽紗が紅花に説明する。
「あのね、紅花。この小雨はここだけの話、安家の軍師なの。きっと頼りになるわよ」
「まぁ。女なのに軍師だなんて、素敵ね」
「安家のお父さまは、小雨のことを、戦乱の世なら諸葛孔明や張良子房に匹敵する逸材だと言っていたわ」
「陽紗さま、それは褒め過ぎです」
わたしは慌てて陽紗の話を遮った。
五十人の女たちは広場の端で休み、水を飲んだり汗を拭いたりしている。わたしは彼女らを眺めつつ、紅花に言った。
「それにしても、内侍府も無茶なことを言いますね。突然、教練をしろだなんて」
「そうなのよ。しかも明日には、高官の前で教練を披露しなきゃならないの」
その言葉に陽紗が驚き、わたしを振り返る。
「明日まで? 小雨、どうしましょう」
わたしは陽紗と紅花に微笑んでみせた。
「形を整えるだけなら、一刻もあれば十分です」
「そんな短い時間で大丈夫なの?」
「はい。戦うためではなく、あくまで見せるための教練であれば。ただし、それなりに準備は必要です」
そこで、かたわらにいた
わたしは芽衣が戻るのを待つ間、陽紗と紅花に話した。
「今回はまるで、
「へぇ、それはどんな話かしら」
二人とも知らなかったので、わたしは説明した。
「孫武というのは、かの有名な兵法書『
紅花がうなずくのを見ながら、わたしは話を続けた。
「孫武は、百八十人を二つの部隊に分け、王の寵妃二人を隊長に選びました。そして、『前と言えば前を、左と言えば左を、右と言えば右を見るように』と動き方を教えたのです」
わたしの話を二人とも真剣に聞いている。
「さて、太鼓を打ちながら、孫武は『右』だ『左』だと命じました。しかし女たちは大笑いするばかりで動きません。何度やっても同じことです。そこで孫武はどうしたと思いますか?」
二人は顔を見合わせ、かぶりを振った。
わたしは答えを明かす。
「孫武は、『命令がはっきりしているのに兵が動かないのは、隊長の罪だ』と言って、寵妃二人の首を斬ってしまったのです」
「えっ、うそでしょ。なんて恐ろしい」
陽紗と紅花は自分の首を押さえた。
「寵妃二人が斬られ、王は意気消沈しましたが、女たちはそれから命令通り動くようになったそうです。王は力量を認め、孫武を呉の軍師にしました」
わたしが話し終えると、紅花はごくりと喉を鳴らす。
「ねえ、小雨。わたしたちのことは、まさか斬らないわよね」
「ふふふ。どうしましょうか」
「怖いこと言わないで。冗談はやめてちょうだい」
わたしは二人の顔を見比べながら言う。
「冗談ですよ。そんなことはしません。そもそも、わたしはこの故事は、後世の作り話だと思っています」
「そうなの?」
「考えてもみてください。目の前で寵妃二人の首が斬られたら、女たちは恐れおののき、教練どころではないでしょう。乱暴で、王に対しても許されない所業です。物語としてはとびきり面白いですが、現実味は薄いですね」
「確かに。それもそうだわ」
「ただし、この話には真実が含まれています」。わたしはここで力をこめた。「兵を動かす方法は、ふたつあります。ひとつは力で押さえつけること。つまり、言うことを聞かなかったり、過ちを犯したりしたら、必ず罰するやり方です」
孫武が寵妃二人を斬ったのも、その点においては正しい。舞台が戦場ではなく、軍隊でもなく、呉の王が戯れに命じた余興であったから、乱暴にみえるだけだ。
陽紗がわたしにたずねる。
「なるほどねぇ。それでは、もうひとつのやりかたは何かしら」
わたしは五十人の女たちを見ながら言った。
「それはこれから実際にやってみましょう」
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