第7話 嘘が多すぎる

 すっかり日が暮れてしまった。


 わたしは安家の屋敷にたどりつくと、奥の間にずかずかと入った。

「お嬢さま!」


 翠玲すいれいは円卓に座っていた。わたしはホッと息をつく。


 あの藍色の服を着た宦官が立ち去った後、わたしは急いで帰路についた。あいつが翠玲に直接何かをするとは思えなかったが、安心はできなかった。


 あいつは許さない——。

 あの宦官のふざけた態度を思い出すだけで、吐き気がする。

 

雨雨ゆいゆい、遅いぞ」

 翠玲が口をとがらせた。例によって着物が崩れ、すらりと細長い白い手足がむき出しになっている。

「お待たせして申し訳ありません」

「雨雨の帰りがあまりに遅いから、可琳かりんを着飾っていたところだ」


 見れば、可琳が色とりどりの布地を巻きつけられ、顔に紅を塗りたくられ、無言で震えていた。

 可琳はわたしが「翠玲を守るように」と言いつけていたので、翠玲から逃げられなかったのだろう。


「お嬢さま、わたしの従者を玩具おもちゃにしないでください」

「玩具ではない。人形だ」

「同じことです!」


 まったく、これだから翠玲からは目が離せないのだ。


 わたしは可琳を翠玲から引きはがし、顔の紅を拭きとってやる。

 買ってきた山査子さんざしを皿に移し、お茶を用意し、それからようやく、陽紗ようしゃと会ったことを翠玲に報告した。


「そうか。陽紗お姉さまは、お元気だったのだな」

「素晴らしいお方でした。お嬢さまのことを案じておられましたよ」


 そんなやり取りをしていると、突然、翠玲がわたしの顔をじっと見て言った。


「雨雨、どうした? 何かあったのか」

「何もありませんよ」

「ちょっとこっちへ来い」


 わたしは翠玲の椅子のそばに近づく。


 翠玲が立ち上がった。

 翠玲は女にしては背が高いが、わたしは翠玲よりもさらに少し高かった。


 翠玲は立ったまま両手でわたしの顔をはさみ、澄んだ目でのぞきこむ。

「雨雨、何か嫌な目にあっただろう?」

「いえ、あっていません」

「お前はまた嘘をついている」


 翠玲には、嘘が通じない。

 これは理屈では説明できない、特殊な能力だ。翠玲は他人の嘘を見分けることができる。


 ただし、翠玲はわたしに対しては、その能力をあまり使わない。何故ならわたしは嘘ばかりついているからだ。

 翠玲に言わせると、わたしは嘘が多すぎて、「いちいち確認していたらきりがない」らしい。


 翠玲がいきなり、わたしの着物の帯を解き始めた。わたしは抵抗せず、されるがままで、まもなく下着姿にさせられた。


「雨雨から、男の匂いがする」

「男と密会などは致しておりませぬ」

 わたしはやや弁解がましく言った。

 あいつは男とは言い切れない、宦官だったが。


 翠玲はくくくと笑う。

「雨雨の浮気など微塵も疑っておらぬ。だって雨雨は、わたしのことが大好きだからな」

「まぁ、それは否定しませんが」

 わたしは顔が赤らむのを感じる。


 翠玲が下着の上から、わたしの胸を撫でた。


「あ」

 思わず声が漏れた。

 そこはちょうど、あの宦官に触られたところだ。


 翠玲の手のぬくもりに、わたしは何だか涙が出そうになる。繰り返し、やさしく撫でられているうちに、ささくれだっていた気持ちが落ちついてきた。


「雨雨。馬鹿だな、お前は」

「馬鹿でしょうか。自分では利口な方だと思っています」

「馬鹿に決まっている。ひとりだけこっそり傷つくことはない。嫌なことがあれば、わたしに言っていいのだぞ」


 翠玲はわたしの顔を再び両手ではさみ、わたしに口付けをした。まず、おでこに。それから、鼻と頬と、最後に唇に。


 わたしは吐息をもらすと、ささやく。

「……子供が見ています」

 可琳が部屋の隅で真っ赤になって、もじもじしていた。


「あれは人形だ」

 翠玲が笑う。

「ひどいです。人形呼ばわりなんて」

 そう答えながら、わたしも釣り込まれて笑った。


 わたしは翠玲から身を離すと、上着を拾い上げて羽織った。


 気持ちが落ち着き、頭が冷めていた。

 翠玲に触られた胸は熱くなっていたが、でも大丈夫だ。いつもの調子が戻っている。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 翌朝、わたしは夜明けの光に浮かぶ室内を眺めていた。


 寝台では翠玲が健やかな寝息をたてている。わたしは寝台のそばの椅子に座り、翠玲の寝顔を見守る。扉の近くでは可琳が子犬のように丸まって寝ていた。


 わたしは普段から眠ることがない。

 いや、眠れないと言った方がよい。


 いつの頃からだろう。わたしは眠れなくなった。

 体力を回復するために横になって目をつむることはあるが、眠りに落ちることはない。


 間違いなく身体には悪いと思う。寿命を縮めているのではと不安を感じることもある。

 香をたいたり、枕をかえたり、安眠にきくといわれる牛の乳や漢方を飲んだり。いろいろ試してみた。だが、まったく眠くならない。


 そんなわたしに、翠玲はこう指摘した。

「雨雨は戦場暮らしが長すぎて、気が抜けなくなっているんじゃないか」


 そうかもしれない。

 その指摘には、わたしも納得した。


 翠玲はこれまでにも、何度もわたしを眠らせようとした。「一緒に寝てやるから、ちょっとは肩の力を抜け」と言って、わたしをよく布団に引っ張りこむ。


 翠玲と一緒だと、心が満たされて安らぐこともあれば、むしろ気持ちがたかぶってどうしようもなくなることもあった。いずれにせよ、翠玲が一緒でも、わたしは眠れなかった。


 だから、わたしは夜はひとり、こうして朝まで過ごしながら、思索にふけったり、戦略をたてたりするのが常だった。


「雨雨、いつか、お前を眠らせてやるぞ」

 翠玲はそう口癖のように言うのだった。



 










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