第6話 藍色の影

 どうすれば皇后に会えるのか。

 その問いの答えはすぐには思いつきそうにない。わたしは考えることを中断し、ひとまず屋敷に帰ることにする。


 そして帰る前に、もうひとつ陽紗ようしゃに頼みごとをした。


「陽紗さま、ご無理を承知でお願いします。わたしをしばらく雇い入れてくれませんか」

「えっ。小雨しょうう、あなたを?」

 陽紗が目を丸くしてわたしを見つめる。


「はい。わたしは宮中のことをよく知りません。翠玲すいれいお嬢さまが東宮妃候補として宮中に入る前に、わたしも陽紗さまのもとで侍女として修行を積みたいのです」

 そう説明すると、陽紗が「なるほど」とうなずいた。


「そういうことなら、わたしは構わないわ。安家からも何人か侍女が来ているから、小雨も働きやすいでしょう」

「ありがとうございます。ほんの数日間でも構いません。ぜひ陽紗さまのもとで学ばせてください」


 これで良い。

 後宮に出入りできれば、情報を集めやすい。皇后に会う機会もうかがうことができるだろう。


 わたしは陽紗に別れを告げると、城内に待機させていた馬車に戻る。そして馬車の中でいつもの男装に着替えると、屋敷付きの侍女を先に馬車で返し、自分は歩いて帰ることにした。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 陽紗に歓待され、つい予定よりもゆっくり過ごしてしまった。

 道行く人々の影が長く伸びていた。夕闇が迫っている。


 翠玲はとっくに眠りから覚めているだろう。わたしが屋敷に居ないのに気付き、騒いでいるかもしれない。早く帰りたいのはやまやまだったが、倫安の街の空気を肌身で感じたかった。

 安家の屋敷は宮城から近い一等地にあるので、歩いてもそれほど時間はかかるまい。


 わたしは露店が並ぶ賑やかな大通りを歩く。男のなりをしていると、娼妓しょうぎや店番の女がやたらと色目を使ってくるのには閉口した。上等な着物を着ていたので、貴族の放蕩息子か豪商の若旦那にでも見えるのかもしれない。


 干した山査子さんざしの実が露店で売っていた。

 わたしは菓子はあまり食べないが、干した果物は好きだ。携帯食としてよく戦場にも持参していた。

 久しぶりに食べたくなり、翠玲と可琳かりんへの土産に包んでもらう。


 そのときだ。

 わたしは自分が尾行されていることに気づいた。


 露店の店主に渡す銅貨をわざと落とし、拾う振りをしてあたりをうかがう。


 目立つ動きはない。怪しい人物はいないし、周辺に隠れられそうな場所もない。それでも間違いない。見張られている気配を感じる。


 おそらく、宮城からずっと後をつけていたに違いない。

 わたしは物見遊山で浮かれていた自分を恥じる。戦場から離れて久しいとはいえ、少々なまっていたようだ。


 山査子の包みを腰に下げた袋に入れると、わたしは尾行に気づいていない振りをして歩き出す。頃合いをみて、人気のない横道に曲がった。


 壁際に身を隠し、剣のつかを握って相手を待ち構える。


 そのまま数秒、息を潜めていると、背後から声がした。


「へぇ、まさか見破られるとはね」


 馬鹿な。

 背後をとられた?


 わたしは剣を抜いて反転する。しかし、声の主が一瞬早くわたしに剣を突きつけていた。


 長身の男だ。藍色の服を着て、まるで影のようだ。

「おっと、怖い怖い。その対応は予想外だ。先回りしていなけりゃあ、こちらが斬られるところだよ」


 やや甲高い声音で、ふざけているような話し方だ。しかし剣先はわたしの喉元をぴたりと正確に捉えている。

 

 男は目つきが細く鋭い。

 まるで狐だ。

 わたしは嫌悪感を感じた。


「何者だ?」

 わたしはたずねる。

「おやおや。そんな偉そうな物言いができる状況じゃないよね。剣を手放しなよ」


 仕方がない。

 わたしは剣をその場に落とす。


 男が前屈みのすり足で近づく。

 仕立ての良い藍色の着物から、ほのかに伽羅きゃらの香りがした。


 男は剣を握っていない方の手をわたしに伸ばす。腰の財布を抜き取るのかと思ったら、着物の合わせ目から手を入れ、わたしの胸のふくらみを下着ごしに触った。

 探るような手つきに、虫唾が走る。


「ふうん。ご同類かと思ったけど。ちょっと違ったかな」

 男がからかうようにつぶやく。


 次の瞬間、わたしは身をひきざま男の手を取り、ねじりあげる。地面に叩きつけようとしたが、男は器用に身をひねって逃れ、距離をとった。


 わたしは素早く剣を拾い、構える。


 男が口元に笑みを浮かべて言う。

「きみ、強いね。気に入ったよ。よく見ると、顔立ちもきれいだ」

「ふざけるな」

「男に化けたつもりだろうけど、頬に少し白粉が残っているよ」

「くっ」

 わたしは思わず袖口で頬を拭いた。

「ふふふ。きみは女の格好をした方がいいんじゃないかなぁ。寵妃になれると思うよ」

「それ以上ふざけた口をきくと、斬るぞ」


 だが、男は剣を鞘に戻すと両手を挙げた。

「この通り、きみと戦う気はないさ。ちょっとからかっただけだよ」


 わたしは剣を構えたまま、にじりよる。

「宮城からずっとつけていたな。どこのいぬだ」

「さあてね」


 この声音と所作、間違いない。

「お前、宦官だろう?」

「ご同類じゃなくて残念だよ。男の格好をしたお嬢ちゃん」


「目的は何だ?」

「だからご挨拶だよ。だって、安家のご令嬢がようやく都に来たんだ。関係者にはお会いしたいじゃないか」

 こちらの素性を知っている。


 ふと、思いついた。

「あぁ、そうか。狗じゃない。鳥だな」

「ふふふ」


 わたしは確信した。

 ——こいつ、ふくろうだ。







 




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