第4話 後宮の中

小雨しょうう、後宮に何の用だ?」

 曹文徳そうぶんとくが重ねてたずねる。


「曹先生、そんなに警戒しないでください。陽紗ようしゃさまへのご挨拶ですよ」

 わたしはにこやかに答えた。


 陽紗は翠玲すいれいの異母姉だ。

 あん家から後宮に入り、仁祐帝じんゆうていの妃となっていた。くらいは皇后と四夫人に次ぐ九嬪きゅうひんのひとりで、仁祐帝との間に娘を一人もうけている。安家の縁者は後宮に何人もいるが、最も位が高いのが陽紗だ。


「陽紗さまか。うむ、それは確かに重要だな」

 曹文徳も納得した。


 さて、そうと決まれば、やるべきことがいくつかある。


 わたしは部屋の外に声をかけた。

可琳かりんはいるか?」

 廊下に控えていた少女が弾かれたようにやってくると、わたしの前に無言でひざまずいて拝礼した。


 可琳はわたしの従者で、年齢はまだ十歳を超えたところだ。わたしは可琳の髪を撫でながら話す。

「わたしはこれから出かける。帰るまで、お嬢さまを守ってほしい。誰も奥の間には入れないように」


 可琳は戦場から連れてかえった孤児だ。おしのため、耳は聞こえるが、話すことができない。武芸を教えたところ異才を発揮し、いまでは並の兵士よりも腕がたつ。わたしの言葉に、可琳は繰り返しうなずいた。


「小雨、その男装のままで行くのか?」

「まさか。後宮ですから、ちゃんと着替えますよ」

「よければ、馬車で送ろう」


 曹文徳の申し出をわたしは有難く受けた。わたしがちゃんと後宮に行くのかが気になったのかもしれないが。

 安家から持参した陽紗への土産は何箱もあり、もともと馬車を手配するつもりだった。屋敷付きの侍女も二人借りることにした。


 それからわたしは女官風の服装に着替えた。

 薄絹の長衣に肩掛けを羽織る。髪を整え、紅もさした。


 女のなりをするのは、久しぶりなので、妙な感じだ。翠玲に見せて感想を聞きたかったが、眠っていたので遠慮した。


 屋敷の外に出ると、馬車で待っていた曹文徳がわたしを見て目を見開く。わたしはこれでも容姿は整っていると自分では思っている。翠玲にはもちろん比ぶべくもないが。


「曹先生、あまり見ないでください。わたしにも恥じらいはあります」

「人は衣装によって引きたつ、とはよく言ったものだな。ずっとそのままで良いのではないか」

「正直、落ち着きませぬ」


 わたしは細長い包みを持って、馬車に乗り込む。

「何だ、その包みは」

「中身は剣と着物です。帰りは男装で帰るつもりなので」

 そう答えると、曹文徳はやれやれという顔をした。


  ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎


 宮城きゅうじょうは倫安の街区の北端にそびえたっている。


 宮城の正門である朱雀門まで馬車で乗りつけ、そこからは侍女に荷物を持たせて徒歩で入った。さらに三つ門をくぐった先が、宮中とよばれる中枢の区域だ。


 石畳が敷かれた広場の周囲に、皇帝の居所である太極宮たいきょくきゅう、皇后や妃が居る後宮、それから皇太子が居る東宮が並んで建っている。


 広場は丁寧に掃き清められ、秋風の吹く季節にもかかわらず、葉っぱのひとつも落ちていない。


 後宮の入口までは、曹文徳の手引きで難なくたどりついた。

「わしが案内できるのは、ここまでだ」

「曹先生、ありがとうございます」


 わたしは後宮の建物を仰ぎ見る。その荘厳なたたずまいには、背筋が伸びる思いがする。


 入口をくぐると、まず別室に通された。

 内侍府ないじふの役人である宦官らが射るような視線を浴びせてくる。


 手続きをして、しばらく待たされた後、ようやく陽紗の部屋へと案内された。


 後宮の中は、妃の位に応じた大小の部屋が並んでいる。陽紗のそれは部屋というよりも家と言っていいほどの大きさだった。


「お初にお目にかかります、陽紗さま」

「わざわざ来てくれて嬉しいわ。天小雨てんしょうう


 拝礼するわたしを陽紗が抱きしめる。わたしはあたたかくてふわりとした感触と芳しい香りにつつまれた。


 陽紗は翠玲とは似ていない。


 豊かな黒髪とふくよかな身体つき、そして柔和な笑顔の持ち主だった。

 母親が違うから似ていなくてもおかしくはないが。翠玲の姉だとは、言われなければ信じられない。


 侍女らを控えの間に待機させると、陽紗はわたしを部屋の奥へと導いた。


 陽紗は好奇の眼差しを隠さない。

「国もとから噂を聞いていたわよ。お父さまが翠玲のために優秀な人を連れてきたって。あなたのことだったのね」

「いえいえ、そんな」

「歳はいくつ?」

「十八歳です」

 わたしは十六歳の翠玲よりも二歳上だった。陽紗は二十代半ばなので、翠玲よりも一回り歳上だ。


「ふふふ、男装の麗人と聞いていたから期待していたのに。まるで女官のような普通の格好なのね」

「ふだんは男装です。でも、そのまま訪れるのはまずいかと思いまして」

「そんなことはないわ。最近は男みたいな胡服こふく(遊牧民族風の服)が流行っているから。胡服姿の妃も多いのよ」

「安心しました。では次は男装でおうかがいしますね」


 不思議な感覚だった。


 わたしは陽紗とは初めて会う。

 にもかかわらず、話しているうちにすっかりうちとけ、何だか昔からよく知る近しい人と過ごしているような気分になる。


 陽紗はわたしを緊張させぬよう、笑顔を振りまき、話題をうまく引き出してくれる。さらに、茶や菓子を勧めながら、ゆったりとくつろげる雰囲気を醸し出してくれていた。ごく自然な振る舞いで。


 これが皇帝の寵妃か。

 わたしは少なからず感動していた。


 言い方は良くないかもしれないが、「これでは男が骨抜きになってしまうのもわかる」と思った。


 わたしの自己紹介や近況をひとしきり話題にした後で、陽紗がたずねた。


「それで、翠玲は元気にしているかしら」

「はい。陽紗さまにお会いになったら、翠玲お嬢さまもお喜びになると思います」


 わたしが何気なくそう答えると、そのとき初めて、陽紗の表情が陰った。








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