第3話 蛇の道は蛇

 曹文徳そうぶんとくは疑わしげにわたしを見た。

小雨しょうう、東宮妃選抜がまだ始まっていないとは。いったいどういう了見だ」


「曹先生、いまの状況はもちろん把握しています」


 わたしはそこでいったん立ち上がる。扉の前にたたずんでいた翠玲すいれいに近づき、片目をつむってささやく。

「お嬢さま、お疲れでしょう。奥の間へお戻りください」

「わかった。爺との話は雨雨ゆいゆいに任せる」

 翠玲はそう言って素直に従い、奥に下がった。


 曹文徳がわたしの次の言葉を待ってれている。わたしはその様子を横目に、悠々と茶の香りを楽しむ。


 東宮妃選抜とは、東宮妃、すなわちれんの国の皇太子妃を決める手続きだ。


 きさきとしての資質を見極める名目だが、皇族や貴族らを牽制する狙いの方が大きい。何しろ、東宮妃は将来、皇后になる可能性があるのだ。


 東宮妃を巡るつばぜり合いは、皇子が生まれた瞬間から、いや生まれる前から既に始まっている。その争いが過熱しすぎたため、二代前の皇帝の時代から妃候補を一堂に集めて競うやり方になった。


 妃候補は全土から集められるが、主役はやはり四家、すなわち、こう家、家、家、そしてあん家だ。いずれもこれまでに皇帝の寵妃を数多く輩出している有力な外戚がいせきだった。


「曹先生。他の三家の秀女しゅうじょも粒ぞろいのようですね」

 秀女とは、妃候補のことを指す。

「うむ。小雨も承知の通り、いつもにも増して厳しい選抜になるだろう」


 わたしは嘆息をもらして言う。

「選抜といっても、どの秀女が優れているかを決めるものではありませぬ。東宮妃として誰が都合が良いかを判断し、その決定に文句を言わせぬ為のものでしょう」

「まぁ、そうとも言えるな」


「優れている秀女を選ぶなら、お嬢さまが一番に決まっています。わたしなら、お嬢さまがいたら、他の秀女など不要です」

 思わず力説したわたしの剣幕に、曹文徳がのけぞった。

「うむ。もちろんそこに異論はない。だが小雨、お前が東宮妃を選ぶ訳ではないからな」


 さて、ここからが本題だ。


「ところで、曹先生。いまの皇太子は、第三皇子の王志成おうしせいさまですよね」

「そうだ。何を今さら」


 蓮は王氏が建てた国で、現在は第十二代皇帝、仁祐帝じんゆうていこと王祐真おうゆうしんの治世だ。第一皇子と第二皇子は逝去しており、第三皇子の志成が先ごろ立太子された。それに伴う東宮妃選抜である。


 わたしは羽扇うせんで口元を隠しながら述べた。

「はっきり申しましょう。志成さまは、はたして、いつまで皇太子でいられるのか」


 曹文徳はあんぐりと口をあけた。それから左右に慌てて目を走らせる。

「こら、お、お前、めったなことを言うでないぞ!」


「曹先生は当然、志成さまのお人柄をよくご存知のはず」

「むっ」

 曹文徳が言葉を詰まらせる。


 志成は皇太子のうつわではない。

 わたしはそう見ている。

 人品に問題があり、粗暴で脇が甘い。何よりも艶聞が多すぎる。


「わたしはお嬢さまを安売りするつもりはありませぬ」。声をひそめて曹文徳にささやく。「いずれ志成さまは廃嫡はいちゃくされ、次の皇子が立太子されます。そこからが本当の勝負ではありませんか」


 いくら皇太子とはいえ。そんな品性のない者に、大切な翠玲を嫁がせるわけにはいかない。


 曹文徳は苦悶した表情でうなった。

「しかし、しかしだな。ここで手を挙げておかねば、次もないぞ。安家が姫を出し惜しみしたとあれば、そしりはまぬがれまい」


 わたしはそこでさらりと言い放つ。

「大丈夫ですよ。それほど待つ必要はないでしょう。機が熟したから、都にお嬢さまを連れて来たのです」


 曹文徳は、再び大口をあけて呆然とした。そしてハッと気づくと、わたしの両肩をつかみ激しく揺さぶる。


「小雨! まさか、何か仕掛けたのではあるまいな!」

「痛い痛い。ちょっと、おやめください」

「なんと大それたことをするのだ」

「仕掛けてはいませんよ。ええ、今はまだ何も」


 仕掛けるなら、これからだ。


 曹文徳はぶるぶると身体を震わせる。

「だから、わしは策子さくしを雇うのは反対だったんだ。お前らは幕裏まくうらで策略ばかり練っている。どうせ他人なんて将棋の駒だと思っているのだろう」


 わたしは表情を変えない。

 このような誹謗中傷には慣れっこだ。


「曹先生。皇子廃嫡に関与したとあれば、九族皆殺し。お嬢さまにも害が及びます。そんな馬鹿な真似はいたしませんよ」


「本当だろうな」

「はい。わたしがわざわざ仕掛けずとも、状況が変わりつつありますから」

「どういう意味だ?」


 わたしは羽扇をひらひらともてあそび、それから曹文徳に告げた。


「すでに連中が動いています」

「連中とは、どこのどいつだ」

ふくろう

「まさか」


 梟は蓮の国では凶兆を告げる鳥とされる。そこから転じて、皇宮では「間諜かんちょう」を意味する隠語として使われていた。それも後宮を司る内侍府ないじふの、特殊な間諜を指す。


「梟が動いているなら、上の御方は既に決めているかもしれませんね」

「上とは、誰だ?」

「それはあえて言いますまい。梟を動かせる御方は、限られています」


「小雨、お前はさっき倫安に着いたばかりなのだろう? そんな情報、どこで仕入れたのだ?」

「曹先生、じゃの道はへびですよ」

 わたしはふふふと微笑む。

「策子が加担しているのでは無いだろうな」

「それは無いです。でも落ちた木の葉は、枝には戻りません。風に舞う葉に息を吹きかけるくらいは許されるでしょう」

「お前というやつは、まったく……」


 わたしは頃合いとみて立ち上がる。

「さて、そろそろ準備をしなければ」

「小雨、外出するのか?」

「はい。お嬢さまが寝ている間にひと働きしてきます。あっ、そうだ。曹先生、取り次ぎのふみを書いてくれませんか」

「それは構わんが。どこへ行くつもりだ?」


 わたしは答えた。

「ちょっと後宮に」




 







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