第2話 倫安入城
ここが世界の中心だ。
城門をくぐり抜けた者は皆、そう思うに違いない。
わたしたちは西門から倫安に入城し、碁盤目状の大通りを馬車で進む。街には老若男女多くの人があふれ、市場には大陸各地の品が並ぶ。城内は活気に満ちていた。
「
「そうですね。攻めるに難く、守るに易い、素晴らしい街です。ただし交易路の維持が命脈でしょう。城内で食糧を自給できない弱点をつけば、意外に脆いかもしれません」
大真面目に答えると、翠玲が腹を抱えて笑った。
「あはは。雨雨はいつも戦をすることばかり考えているのだな。倫安をどう落とすかを聞いたのではないぞ」
「どうせ、わたしには戦しかありませんから」
わたしは少しすねた口ぶりで答えた。
翠玲がわたしに腕を絡めて微笑む。
「いよいよだな、雨雨」
「はい。いよいよですね」
わたしも笑顔で答えた。
これから翠玲とわたしの戦いが始まるのだ。そうだ。倫安は、わたしたちにとっては戦場なのだ。
✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎ ✳︎
さて、わたしたちは
四間続きの
「あぁ、疲れたぁ。もう駄目」
翠玲が部屋に入るなり、天蓋のついた寝台に飛び込んだ。仕方あるまい。ずっと馬車に揺られていたのだ。
「雨雨も一緒に横になろう」
翠玲が寝台から腕を伸ばす。わたしはその甘い誘惑を振り切ると、旅装を解いて荷物を仕分けする。
やることは山のようにある。従者や屋敷付きの侍女にあれこれ指示していると、向こうから大声が聞こえてきた。
「翠玲さま、お待ち申しておりました」
翠玲が顔をしかめる。
「
あの声は、
安家から中央に出仕し、文書行政を司る礼部の高官を務めた人物だ。高齢で一線からひいた今も、安家のご意見番として隠然たる影響力を持っている。
まもなく控えの間に、白髪を束ねて長い髭をはやした大柄な老人が入ってきた。わたしが仕方なく応対に出ると、老人が声を張り上げる。
「こら、
「これはこれは曹先生、ご機嫌よう」
わたしは円卓に座って茶を入れた。「ちょうど茶釜の湯が沸いたところです。香り高い南方の茶葉ですよ。一杯いかがですか」
「何を呑気なことを言っておるか。都からお前あてに、さんざん
「まあまあ、落ち着いてください」
わたしは適当にあしらおうとしたが、曹文徳は椅子にどかりと座り、孫ほども年齢が違う私をにらみつける。
「小雨、ごまかすでない。なぜもっと早く、翠玲さまを都に連れてこなかったのだ」
わたしは「ふぅ」と嘆息を漏らした。
悪い人物ではない。安家を長きにわたり支えた功績と忠誠心は尊敬に値するが、いかんせん真っ直ぐすぎる。
「曹先生、お言葉ですが。わたしはこの件について、ご当主さまから全て一任されております。考えあってのことですので、どうぞご安心を」
「侍女のくせに、何を生意気なことを言うか。うかうかしていたら、他の三家に東宮妃の座を奪われるぞ」
「侍女はあくまで役割のひとつ。わたしは安家には軍師として雇われております」
わたしは卓上にあった
そのとき、奥の間に続く扉ががらりと開き、翠玲が現れた。
「爺!」
「翠玲さま。ようお出でなされた」
相合を崩して立ち上がった曹文徳の顔つきが強張った。
翠玲の上衣がはだけている。帯を解いて寝転がっていたからだろう。胸元から下腹までが
翠玲というのは、身だしなみに無頓着なのだ。衣が崩れていても全く気にしない。
「翠玲さま、わ、わたしは、何も見ておりません!」
曹文徳が真っ赤になって、両手で顔を覆っている。面白いからしばらくそのままにしておこうかと思ったが、そういう訳にもいくまい。それに翠玲の美しい肌を無駄に人目にさらすのも嫌だ。
「お嬢さま、帯がほどけております」
「ふふ、どうりで風通しが良いと思った」
翠玲は、どんな乱れた格好をしていても、美しくみえる。そして、自分の美しさをしっかりと自覚していた。
わたしは翠玲の帯を締め直し、衣服を直してやる。整ったところで、翠玲が言った。
「爺、あまり雨雨を
「苛めている訳ではありませぬ」
「わたしは雨雨の言うことを聞く。それで万事問題ない」
「いや、しかし」
「曹先生」
わたしは向き直って真面目な顔で呼びかけた。このあたりできちんと説明し、老人にも納得してもらう必要があるだろう。
「何じゃ、小雨」
「先ほど、言われましたな。東宮妃選抜はもう始まっていると」
「うむ。四家のなかで候補が宮中に入っていないのは安家だけだ」
わたしは羽扇を持ち直すと冷ややかな笑みを浮かべて言った。
「それは違います。東宮妃選抜は、まだ始まってはおりませぬ」
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