3話・帰り道で……。(後編)

 三人。

 私と、久穏くおんと、柚子ゆずは、小学生の頃同じテニススクールで練習に励んでいた。

 プレイスタイルは三者三様。小柄ながらも鋭い瞬発力と無尽蔵のスタミナを用いて的確に相手を詰める久穏、長身を活かしたサーブアンドボレーを軸に速攻で勝負を決める柚子、そして無理な攻撃はせずひたすらに相手のミスを待つ泥沼耐久型の私は、強烈なスマッシュを打ち込む爽快感とも観客を沸かせる美麗なショットとも無縁だった。ただ、勝てればよかったから。

 ともかく。

 そんな私達以外にも同学年の生徒はいて、みんなそれぞれにテニスを楽しんでいたけれど、低学年の頃はそれほどなかった差が、成長するにつれだんだん如実に現れる。

 やがてスクール内で序列が出来上がり、その頂点に君臨する久穏を誰もが意識して、妬んで、憧れた。しかし当の本人はどこ吹く風で、誰に対しても平等な塩対応だったように思う。

 たった一人、柚子を除いて。

「ゆずこ」

 はたから見れば柚子が一方的に久穏へと敵愾心を燃やしているように映ったかもしれないが、幼馴染である私には久穏も柚子をライバルと認め、むき出しの対抗心でぶつかっていることがわかった。試合も、実力差は歴然なのにどうしてだがどちらが勝つともわからない名勝負ばかりだった気がする。

「なぁに? 久穏ちゃん」

 二人の間に何があったかを聞くような真似はあえてしていない。今はそれぞれ別々の道を邁進しているんだし、昔の禍根なんてとうになくなっていると思っていたから。けれど……。

「ずるい」

 まだまだ全然、バチバチっぽい。

「なんのことかな~?」

 柚子は明らかにわかっていそうな雰囲気で、どうやら久穏を軽くからかっているらしい。

 離れていくテニス部集団を気にもせずこちらへ近づいてきた久穏は、頭突きでもかましそうな勢いでズイと柚子との距離を詰める。

「ずるい」

 一回目と同じトーンだけど、大きさは二段階くらい上がっていた。

 真剣な気迫に気圧されたのか、私と繋ぐ彼女の手に少し、力が入る。

「……」

「……」

 二人の硬直状態が続く中、蚊帳の外になった私は考えてみた。

 会話にも加わらず集団の最後尾を歩く久穏。振り返ると、小学校からの付き合いがある二人が一緒に帰っている。

 ……。まぁつまり、寂しかったんだろう。前からも後ろからも押し寄せた疎外感のせいで、感情的になってしまったに違いない。

 テニスをしているときはプロ顔負けの集中力や駆け引きの上手さがあるけれど、実生活ではどこか子供っぽい久穏のことだし。

「おいで、久穏」

「っ!」

 んばっと。私が言うや否や『待て』から解き放たれた犬のように差し出した左腕へと飛びついてきた久穏。

「……相変わらず甘えん坊だね、久穏ちゃんは」

「それはゆずこの方。いつまで経っても耀離れできてない」

「「……」」

 お互い目は合わせずに話しているくせに、私の体に込めている力は二人とも同じくらいでなんだか面白かった。

 でもあの……できれば私を挟んでいがみ合わないでほしいな……。


×


「じゃあまたね耀ちゃん」

「ん、じゃあね。今日はありがとう」

 結局、合体ロボみたいに三人でひっついてぎこちなく帰路を辿り、まずは柚子の家に到着した。

「久穏ちゃん、あんまり耀ちゃんを困らせちゃダメだよ」

「ゆずこもね」

 少し寂しそうな笑顔を浮かべつつ玄関へ向かう柚子へ、肌寒くなった右手で手を振る。

 ドアが締まる瞬間まで見送ると、久穏は私の腕を引いて歩き始めた。

「どこいくの?」

「大事な話」

 微妙に噛み合わないなぁと思いながら、ふんすふんすと意気込んでいる久穏の横顔を眺めつつ身を任せた。やがて私達の家のすぐ近くにある小さな公園に入って、塗装の剥げたベンチに隣り合って座る。

 ジジジと音を立てる街灯が、朧げに明滅していた。

「耀、演劇部に入るの?」

 なんの前置きもなく久穏は問う。私を覗き込むような瞳は瞬き一つする気配もない。

「……入るって言ったら?」

 言ってからすぐに、悪い性格だなと痛感した。どうしてこんな返しをする必要があるんだ。……いや、わかってる。

「…………耀が決めたことなら………………応援する」

「そう」

 わかってる。わかってる。私は、止めてほしかったんだ。

 なんて情けないんだろう。私は久穏に入るなと言われたかった。そしてまた一緒にテニスをやろうと、誘ってほしかった。いい加減誰かに、逃げ道を潰してほしかったんだ。

「だけど……」

 久穏は猫が甘えるように、額を私の胸元に寄せた。

「一緒の時間が減っちゃうのはヤだ。寂しい」

「っ」

 こういうことをストレートに言えてしまう久穏は、やっぱり子供じみてる。いや、一周回って大人びているんだろうか。わかることと言えば、今嬉しくなってしまった自分がどうしようもなく幼いということだけ。

「じゃあ…………良かったね、入らないから」

 私は猫を撫でるように、久穏の後頭部から頸椎までをゆっくり右手でなぞった。「ん」と、心地よさそうな声を零してから、明るくなった声音で久穏が「本当?」と聞く。

「本当。今日見学してよくわかった、私には……無理だよ」

 居場所のない家から逃げるためにテニスを始めて。今度は負けるのが怖くてテニスから逃げて。結局残ったものは手のマメくらいで。

「私、何が向いてるんだろうね、何ならできるんだろうね。わからなくなっちゃった。みんな一つのことに打ち込んでさ、正直、羨ましい」

 困らせてしまう。わかってるのに、止まらない。

 コートで煌めく久穏、舞台で輝く柚子、テニススクールで頑張っていた皆や、良い作品を作るために協力し合う演劇部員……羨ましい人たちの姿がフラッシュバックする。

「笑っちゃうよね。一年間ウジウジしてたくせにさ、まだこんな……何も決められないまま……私――――」

 いつの間にか溜まっていた涙が、頬を伝った瞬間だった。

「――――なんで?」

 零れた涙を受け止めるように、久穏は静かに、唇を重ねた。

「……なんでこのタイミング……?」

 瑞々しい彼女のそれが離れてから、心臓が心地良く高鳴り始める。それでも、今まで以上に落ち着いてる自分が意外だった。 

「耀自身を責めないでほしかった。でも、演劇部に入ってほしいわけじゃない。だから……」

「だから……したの?」

「……した」

 久穏が自身の思いや感情を言葉にまとめるのは苦手だと、よく知ってる。

 それなのにきっと、すごくたくさん考えてくれたんだろう。悩ませてしまって、困らせてしまって、どうしようもなくなって、彼女なりの方法で私のマイナスな思考を断ち切ってくれたんだ。

「そっか」

 そうだ。

 人に誇れる成果も現状もないけれど、それでも私には久穏と柚子がいる。心の底から大切と思える友達がいる。

 何も残らなかったなんて、そんな恥ずかしいこと考えるな、ばか。

「ありがとね、久穏」

 繰り返し繰り返し、同じところを撫でる。少しでもこの気持ちが伝わればいいなと、染み込ませるように、ゆっくり、何度も。

「…………もう一回、する?」

 街灯が瀕死なせいでよく見えないけれど、たぶん、久穏は頬を赤らめてそう言った。こんな感じの口調のときは、だいたいそんな顔色をしている。

「1日1回なんじゃないの?」

「……さっきのは唇で唇を塞いだだけだから、ノーカン」

「……ノーカンか。じゃあ…………もう1回、しなきゃだね」

 ぶっきらぼうで、わがままで、掴みどころがなくて。努力家で、繊細で、強くて優しい、私の幼馴染。

「うん。しなきゃ、だよ」

 彼女の後頭部に添えていた手を引き寄せ、初めて私から、瞳を閉じてキスをした。

 柔らかくて暖かい温度が鼓動とともに全身に広がって、心も体も酩酊しそうな脱力感に包まれていく。

 ――ああ、

 一回目よりもずっと長い口付けの最中さなか

 ――どうしよう。

 私の脳裏に、一つの不安がぎった。

 ――久穏のこと、好きになっちゃったらどうしよう。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

1日1回、幼馴染とキスをする。 燈外町 猶 @Toutoma

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ