中編

 昔々、星の彼方より一雫の涙が落ちてきた。涙は分たれ、欠片は世界中に散らばった。

 その欠片には不思議な力があったという。

 強大な魔力を操る力。


 その力を手にした時、人はどうなっただろうか。

 不老不死? 風紀栄華?

 欠片は所詮欠片である。それを使う者次第。


 ――道具と何も変わらないのだ。その本質は、何も。


 さあ果たして、待ち受けるのは悲劇か喜劇、どちらなのだろうか――






◆◇◆◇






 その日、村中の大人が集まり、話し合いが行われた。中心にいるのは族長や要職に付く高い位にいる者達だ。

 彼らはカンナのことについて考えた。

 ある者は言った。


「大国から逃げて来たのだ。あまりにも不憫だ」


 またある者は言った。


「よく分からない相手は怖い。追い出すべきだ」


 彼らは平和ボケした村民だ。しかし閉鎖的な側面もあり、カンナという未知の存在に怖気付いていた。どう対処すれば良いかも分からないのだ。


 そこで全員が言った。


「ここは巫女婆様にお話を伺おう」


 巫女婆様とは、この村の族長より偉い司祭である。

 既に齢八十を超えるが、一度外に行った経験もあり、思慮深かった。

 村の最終的な意思決定権を持つ者でもある。


「そうさね……」


 巫女婆様は深く悩むように、顎に手をやった。


 後ろを見ると、室内には簡易的な祭壇があった。

 かけられたタペストリーには流星を現すシンボルとそれを星図のように取り巻く天使と悪魔の子供達が描かれていた。

 彼らの宗教、星神教において、天使は善を、悪魔は名の通り悪を司っている神である。彼らは生と死を司り、星神たる流星と共にこの地上に降りてきた。そしてその流星――即ち星の石たる隕石の欠片を祭る村人達は、死しても天使と悪魔が生み出す輪廻の輪に回帰できると信じられていた。


「この場合、星神様ならなんというか……」


 と、巫女婆様は呟いた。


 実は巫女婆様だけは知っている。

 実際に隕石の欠片を核に、この村一帯は結界の魔術で隠されているのだ。そのため百五十年以上あまり、村民達は大国の目から逃れる事が出来ていた。しかし今、その結界に、易々と侵入者が入り込んできている。普通ならあり得ない事態だ。どんな者であれ弾いてしまうのが、結界の効果なのに――


(つまり考えられることは一つだけなんだろうね。星神様がお認めなれたか、はたまた縁があったから通られたのか……)


 ともかくその“何か”が、カンナにあったに違いない。

 それを実際見てみないことには判断を下せないだろう。

 巫女婆様は結論を出した。


「じゃあ、カンナって子に顔を合わせてみようかねぇ……」







◆◇◆◇






 そうして、次の日である。

 まだ日も高い内に、巫女婆様とその側近達は指定の場所――広い草原地帯にやってきた。

 そこではカンナが待っていた。巫女婆様達を見ると、一瞬緊張しているように顔を強張らせ、だが開口一番、まずは感謝を伝えた。


「ありがとう。こんな見ず知らずの私に会いに来てくれるだなんて。とても嬉しいわ」

「ほう……外の奴にしちゃ礼儀正しいね」


 巫女婆様は意外と謙虚な態度に感心した。

 それから知人のように挨拶を返す。


「ご丁寧にどうもね。それでアンタがカンナとかいう奴かい?」

「ええ。貴女は?」

「私の名前はジェシさ。巫女を務めている」

「ジェシ……」

「アンタが仲良くなった子とおんなじ名前だろう? この村では良くある名前なんだよ。ややこしいなら巫女婆様で構わない。皆からはそう呼ばれている」

「ならば私も巫女婆様と。その方が親しみがあって良いわ」


 カンナは深く頷いた。


「ところでカンナや。後ろにいる奴は何かな?」


 既に巫女婆様は、“その気配”を感じ取っていたらしい。単刀直入に聞いてきた。当然、側近達は訳も訳も分からず首を傾げたが、カンナは苦笑いを浮かべ――


「やはり、隠し切れないわよね」


 カンナは杖を振り上げ、魔術の呪文を唱えた。すると迷彩が解除され、その巨体の姿が現れた。そこにいたのは大きな石の巨人――ククルル。

 不用意に怖がらせないよう、カンナが子供達と遊んでいる間、ここでずっと待機していたのである。まったく動かなかったので隠れるのは容易かった。


 しかし巫女婆様達からして見れば突然の出来事だ。皆あんぐりと口を上げ、中には硬直を通り越して腰を抜かしている者までいた。……やがて、一番早く動揺から抜け出したのは巫女婆様だった。やはり、少しだけ驚きを隠せずに、


「いやはや……、何かあるとは思っていたけど、こりゃたまげたね。アンタ、何者なんだい?」

「ククルルという。カンナの連れ添いだ」

「当たり前のように喋るんだね」


 これまた驚愕し、息を飲む巫女婆様。ククルルに似たゴーレムという魔造生命体もいるが、返答を返す高度な知性なんて聞いたこともない。


「それにデカ過ぎるし、完成度も高過ぎるし……本当に出鱈目だよ。まずはカンナ共々、少し話を聞かせてもらうよ」


 巫女婆様は大胆にもククルル達に近づいて、これまでの経緯を聞いてきた。ククルル達は想定していたので、あえて不利益な情報は伏せた上で、話をした。


 自分達は人間でないこと。大国から逃げてきたこと。先は海があるため立ち往生していること。


 一応、事情はなんとなく分かったらしく、側近を含めて巫女婆様達は納得した顔をした。


「……成る程ねえ。でもまだ怪しいねえ」


 しかしそんなことで簡単に信頼してくれる訳もない。

 全員の瞳には警戒の色が強く出ていた。

 カンナは言った。


「当然の反応だわ。私達を信じろという方が無理だもの。でも何もするつもりはないし、ただここにいさせてくれるだけで良い。何だったら村を守るために力を貸すわ。私達にはもうここしかないもの」

「ならば実際にそれを示しておくれ。私達はこれからアンタを見定めるさね」

「どうやって?」

「付いてきな。案内するよ」


 そう言って巫女婆様は、やはり石の巨人と少女という怪しい二人組を相手に堂々と背を向け、ゆっくりと歩き始めた。そして巫女婆様のそんな態度に信頼があるのか、何も言わず大人しく付いて行く側近達。ククルルとカンナは顔を見合わせ、戸惑いつつも後を追った。


 やがて辿り着いたその先には、ククルルより少し小さな、だが大きくて立派な石造りの神殿があった。扉の前には男の子が一人待機している。見ただけで巫女婆様とそっくりなのが分かった。孫なのだろう。

 そして彼女の血を引く影響なのか、男の子は驚きつつも怯える様子もなく、感激するようにククルルを見上げていた。


「スッゲー、何こいつ! 婆ちゃん、婆ちゃん、何なのコイツ、スッゲーデカいよ!?」

「こら、あまりはしゃぐもんじゃない。客人に失礼だろ」


 巫女婆様は威厳に満ちた声で孫をピシャリと叱った。

 男の子は、はーい、なんて不満そうに返事をする。

 

「こいつはイカロスだ。息子夫妻の忘れ形見でね、神事の手伝いをさせている」

「イカロスです。よろしく!」


 元気いっぱい、男の子――イカロスは飛び上がって挨拶をする。

 ちょっとヤンチャな子のようだ。


「ああ、よろしく。僕はククルル」

「私はカンナ」

「ククルルにカンナだね。なんかカンナもすごいね。すごい金髪に、すごい杖」

「……」


 悪い気はしないが、ククルルの時と比べて微妙に反応が薄かったので、ちょっと不服そうにしているカンナである。


 とまあ、そんなことはともかく、話を戻すとして、どうしてこの子がここにいるのか、祖母の巫女婆様にククルル達は視線を向ける。

 するとすぐに答えを教えてくれた。


「ここは星神様が座す村外れの神殿だ。我々司祭の一族は、神殿を介して星神様の意思を感じ取り、この村を代々守ってきた。特にイカロスは同調率がとても高いんだ。コイツに星神様の意思を確認してもらう」

「そうなんだよ。だからね、星神様とお話して、ククルル達がここにいても良いよって、許可をしてもらうんだ。そうすれば無事、俺達は仲間だよ」


 祖母に続いて孫が補足してくれた。

 が、ククルルとカンナは星神のことなど知らない。独自の宗教と予想はつけても、声や意思と言われて不思議に思う。しかし無機物なのに自分達も心を持っているのだ。そういう超常的な存在がいたとしても、なんらおかしく――

 

(……なんだ? ……今、頭の中に)


 その時、不思議な音が聞こえた気がした。

 明確な熱を持ち、誰かが鼓膜の更に奥から話しかけてくるような感覚。


(これは――声?)


 間違いように思う。高くて、少しあどけなくて。

 言葉を紡げる程の知性は感じられないが、微弱ながらその意思は本物。

 まるで感情が本人のように流れ込んで来る。


「嬉しい? 歓迎?」

「……あれ? ククルル、今なんて?」

「……誰かから声をかけられてる」


 ククルルが答えると、皆びっくりしたような顔をした。


「馬鹿な! 声が聞こえるのはイカロスただ一人なのに!」


 しかし、そこでもう一人が手を挙げる。


「私も同じよ。声が聞こえる……随分と優しい子みたいね」

「あらまぁ、カンナもかい。こんなのはあり得ない……とは言えないねえ」


 そもそもここにいる時点で大分おかしいのだから。巫女婆様は意味深な視線で瞳を細めた。


「恐らく、星神様が話しかけられてきてるのだろう。アンタ達に友好的であられるようだ」

「星神様が……?」

「とは言えだ。このままでは表層のやり取りしか出来ないだろう。そこでイカロス、お前の力で星神様と彼らを深く繋げるんだよ。お前自身は立ち合い人になり、内容を報告しなさい」

「分かった、婆ちゃん。ってことだけど、ククルルとカンナは良い?」

「ああ、良いよ」


 ククルル達は了承した。イカロスはそれを受けて彼らに手を翳し、


「んじゃあ、行くよ――」


 その瞬間に、ククルル達の意識は暗転した。







◆◇◆◇






 

 ――ククルルは原初の記憶を夢見ていた。


 それは一雫の石の涙の記憶だった。星空を巡り行く彗星、箒星。

 彗星は色んなところを旅して、色んな星を見てきた。

 燃える星、静かな星、氷の星、消える星。


 その中で一際輝く水の星があった。

 なんて綺麗なんだろう。旅好きの彗星は好奇心の塊だった。だからもっと近くで見たいと思って、しかし勢いがあり過ぎたために、彗星は流星となってこの水の星の地上へ落ちてしまった。


 しかも流星の宿す魔力は水の星にとって異物同然である。それぞれの魔力が反発し合い、その影響で流星は何千もの欠片となって散り散りとなってしまった。そこで流星の心も分割された。自我が崩壊し、地上に幾つものクレーターを作って、欠片達は眠りにつく。


 そうして十年、百年、千年、一万年――どれだけの時間が過ぎたのだろう。誰にも見つからずにいたところ、ひょんなことから、一つの欠片がとある王に拾われた。


 王はすぐに欠片の力に気付いた。

 誰かに奪わる前にと配下達に他の欠片も集めさせ、やがて大量に手に入れたそれを目の前に王はほくそ笑む。これですべての欠片は自分のものだ。だが、割合で言えば半分にしか満たなかった。彼はその事実を見落としたまま、欠片を用いてあるものを作り出した。


 ――石の塔だ。


(そうだ。そうやって僕は生まれたんだ)


 その塔がいつ、誰が作られたのか、誰にも“知られていない”けれど。

 でも“知られていないだけで”、ククルルは――塔だけはちゃんと覚えている。勿論、流星の欠片だった時の記憶なんてなかったし、まさか自分が元々そういう存在だったとは思いもよらなかったが。


 その建造方法だってわかっている。


 手段はたった一つ。魔法。欠片をそれぞれ岩のように大きくして、レンガの形に削り、組み上げた。

 その役割は兵器――当時、魔工学と呼ばれる魔術分野があり、その技術の推を集めて作られた生物兵器の生産工場こそが石の塔の正体だ。


 しかし、塔は欠陥品だった。誰かが一つ、それも重要なパーツを担う欠片を盗んだためだ。おかげで塔は肝心な時に役に立てなかった。やがて王は戦争に敗れた。

 王国は滅亡した。“カンナ”という国の名前も、地域名として残るだけだった。


 幸い塔は壊されなかったが、それでも無念だったし、悲しかった。

 だって道具は、使われてこそ存在意義を果たせるのだから。ただの役立たずは何の意味もないのだから。それは親の期待に応えられなかった子供と同じ。ククルルにとって人間は親だった。

 だからこそ、人間を見守り、側にいるのが幸せだった訳で。


 しかし、今のククルルは石の塔ではなく、石の巨人だ。

 誰もがククルルを怖がり、更には流星だった頃の名残なのか、世界を旅したいという個人的な願いが生まれてしまっている。

 間違いなく道具としてではなく、ククルルとしての自我に目覚めつつあるのだろう。


 だからこそ、どれが大切かなんて分からない。どれもククルルにとっては重要で捨てられないもので、天秤にその重しを乗せても一方に傾かない。


(じゃあ“僕”と同じ、カンナはどうなんだろう――)


 そう思った途端、記憶が別のものに映り変わった。


 もう半分残った欠片達の記憶。魔術師の集団がその欠片達を蒐集していく。

 やがて彼らは集め終えると、王のようにほくそ笑んだ。これですべての欠片は自分達のものだ。

 だが当然、半分なので、流星の魔力は復活せず。


 代わりに出来上がったのは、演算装置。

 賢者の石と呼ばれた、星の欠片を凝縮し、一つの赤い宝石にしたもの。研究の結果、偶然生まれた産物なれど、魔術師達は狂ったように喜んだ。


 これこそが、魔法の深淵へと至る鍵――だがそこに宿る意思など気付かず。ただただ魔術師達――「お父様」のためだけに、それが役立ちたいと思っていることも気付かず。


 魔術師達は様々なことを演算装置に教え込んだ。

 そしてある日――演算装置の前に、「お父様」の中でも唯一の女性がやってくる。


「お願い。“お父様”を悲しませたくないの。死にゆく私の代わりに、どうか私のフリをする人形を作って頂戴」


 ――だから、“なった”。

 彼女を模倣する完璧な人形。だけど彼女の“お父様”は許さなかった。そこから演算装置は――


「もう、見ないで」


 ……その声と共に記憶が止まった。

 目の前には、金糸の髪を緩く長す少女、カンナ。そしてククルルと同じように記憶を見てしまったのか、酷く気まずそうにしている少年、イカロス。

 周囲を見ると、そこは宇宙空間だった。

 まるで浮遊するかのように、三人はプカプカと空間に浮いている。


「カンナ……君は……」


 ククルルは何と言っていいのか分からず、言葉を詰まらせる。

 カンナもまた何も言わなかった。しんと静寂が訪れる。イカロスはそんな両者を見てオロオロとするばかりである。


 だがやがて何かにハッと気付き、後ろを振り返る。


「もしかして、星神様?」


 それと同時にククルルとカンナも振り返った。

 いつの間にか誰かがいる。

 カンナの姿を元にしたのか、カンナと瓜二つの少女の似姿。ただし顔はなく、光の集合体のように全身が白い。酷く仄かに、光り輝いている。

 そんな彼は口を動かさなかった。


 ただ思念のみが伝わってくる。


 やはり歓迎していること。ずっと待ち侘びていたこと。この土地でイカロスの一族を見守ってきたこと。

 そして――驚くべきイメージまで伝えてきた。


(これは……)


 それは石の塔が造られる作業場での出来事だ。

 ある男が勝手に流星の欠片を持ち出し、去っていったのである。その欠片は男の子々孫々にまで受け継がれ、やがて祭壇に祀られるようになっていった。つまり、星神の正体というのは――


「……ククルルの最後のパーツ?」


 信じ難い気持ちでいっぱいだった。

 だが、無視できる話でもないのは事実。


(まさか巫女婆様やイカロスの一族は、パーツを盗んだ者の子孫だというのか?)


 確かに流星の欠片はそれだけで膨大な魔力の塊だ。

 誰かが目をつけてもおかしくなく、それを家宝として大事にするのも理解できる。そうやって流星の欠片の話に尾鰭がついて、遂には神として崇められるようになっても――


(何もおかしくはない……)


 そう、何もおかしくはないのだ。

 そうやって過ごしている内に、彼独自の意思が僅かながらに生まれたのだろう。つまり彼はもう一人のククルルであり、兄弟。

 同胞たる彼に、ククルル達を拒絶する意思はない。

 この土地に入れたのも、彼自らククルル達を迎え入れたからに他ならないのだ。


「じゃあ、この土地で二人が暮らすのも――」


 何の問題もないことになる。むしろ、星神だってそれを望んでいることだろう。

 それを理解して、イカロスは段々喜ぶように顔を明るくさせた。


「やった。二人と一緒にいられるんだね」

「……」


 しかしククルルとカンナは顔を見合わせた。そのくらい、今胸に渦巻いているものは複雑だった。






◆◇◆◇






 こうして、ククルルとカンナは村に留まることを許された。

 子供達は無邪気に喜び、怪訝な目を向ける大人達も「星神様が言うならば」と、渋々受け入れてくれた。それ程、イカロスの言葉は重いらしい。イカロスの口は、神の言葉を代弁する口なのだ。


 そうして村では祭りが催される。彼らは実は閉じこもってばかりではなく、時々外から血を取り込むらしい。その時一族総出で、新たな同胞を歓迎する儀式を行う。それとまったく同じものを、彼らはククルルとカンナにしてくれたのだった。


 とはいえ、十数年ぶりであるようだ。とっくの昔に、血を取り込むため交流していた他の一族も断絶してしまった。


 それは即ちこの村の一族も、代を重ねる毎に血が濃ゆくなるということ。血が濃ゆくなればそれだけ子は脆弱となる。それが積み重なった場合、数十年後、百年後はどうなっているか。


(この村は、やがて消えゆく村なのかもしれないな)


 ククルルは漠然とそう思った。

 ククルルの感覚からすれば、数十年など瞬きのような、一時の微睡みのような時間なのだ。道具であり、不変な存在であるククルルは、いつまで経っても老いで死ぬことはない。


 つまり、また人間に忘れられる日がやってくる。いつかこの居場所もなくなってしまう。その未来を考えると覚悟していたこととは言え、どうにも気が滅入る。

 けれど、また人の側にいられるのだ。


 ――ククルルはその日、子供も大人も関係なく、村人達と言葉を交わした。彼らはククルルに遠慮をしていたし、やはり驚いた様子で怖がってさえいたが、それでも良かった。思えば、こんなことは今までになかった。彼らは逃げずにちゃんと話をしてくれる。


 やっぱり、自分は人間が好きなのだ、と改めてそう感じた。

 そして、それはカンナも同じなのだろう……。


 ククルルと違いカンナは人間の姿だ。

 村人達も比較的受け入れやすいようで、沢山の人に話しかけられていた。特に顔見知りの子供達は嬉しそうにしていて、カンナも楽しそうだった。今までに見た事もないほど、穏やかな顔をしていた。


 ここがカンナの、誰にも受け入れてもらえなかった彼女の、いるべき場所だ。ククルルはそう思って、本当に良かったと心の底から安堵すると共に、いつかくる別れに思いを馳せて、この決断は正しかったのだろうかと、何処かで相反する気持ちを抱えた。


 その内、あっという間に時間は過ぎていった。

 祭りは終わり、村人達はククルル達にお別れの挨拶を告げて帰っていく。辺りはすっかり暗くなっていた。見上げれば星々が輝いている。


「ねえ、ククルル。少し話があるのだけど」


 そして二人きりになったからか、カンナは早速言ってきた。

 ククルルはこくんと頷く。


「ああ。何だいカンナ」

「ククルル。まずはごめんなさい。ありがとう」


 静かに頭を下げるカンナ。


「思えば私は、貴方を無理矢理巻き込んでいた。それなのに、貴方は私に居場所をくれたの。なんと感謝をしたら良いか分からないわ」

「そんなこと……」


 ククルルは首を振る。

 そんなに深くお礼を言われることじゃない。これはククルルにとって、当然のことなのだ。

 それに、カンナが幸せならなんだって良いのだから。


「本当にククルルは優しいわ。私の兄弟、片割れの貴方」


 その思いが伝わったのか、カンナは頭を上げて目を細める。しばらくの間、沈黙。少ししてから、意を決したように、


「見た以上は隠せないわよね」


 ギュッと拳を作って、ポツリとポツリと話し始める。


「あのね……私はね、自分のことが本当は大嫌いなの。私は私の価値を認められないのよ」


 まるで、この気持ちが分かるでしょう? と。

 そう言っているようにカンナは自嘲するように微笑んだ。ククルルは悲しくなった。その感覚を誰よりもククルルは分かっていたのだ。

 そうしてカンナは続ける。


「過去を見たなら分かるでしょうけど、私は魔術の演算装置。大魔法を行使するため、その膨大な術式を処理するために生み出された賢者の石。私は「お父様」――大国の魔術師達を本当に敬愛していたわ。彼らに仕え、その願いを叶えるのが役割だと思っていた」

「ああ」

「だけどモニウェット様――ああ、この姿の元になった方ね――が「お父様」の中にいて、その方は治らないご病気を持っていたの。彼女の本当の“お父様”を悲しませたくなくて、私はモニウェット様の死後、彼女に成り変わることにした」


 だって彼女にそう望まれたから。そうしろと命じられたから。


「でも愛されなかった。……ううん。本当はね、何処かで下心があったのよ」


 本当なら、人形を生み出すだけで良かったはず。

 それなのに彼女は自分が“人形”そのものになって、賢者の石であることを放棄した。


「私の心は望んでいたの。私は私であると、誰かに気付いて欲しかった。――誰かに愛されてみたかった。だから人間の姿になれば、人間に愛されるかもしれないと考えた」


 しかしそれは大いなる矛盾。結局主人の命令を無視した道具は、モニウェットの父には受け入れられなかった。すぐに正体がバレて追われる身になった。


「自業自得よ。貴女を助けたのだって、自分と同じだと思ったから。でもそれが貴女のためになったかは分からない……そのせいで、貴女はしなくても良い苦労を背負った」


 少女は罪人みたいに、神父へ告解をしているようだった。だがククルルはそれが気に入らなかった。溜め息をついて。


「よしてくれ、カンナ。僕は君のこと、なんとなく分かってたよ」


 人間じゃないことも。自分と何か繋がりがあるのだということも。

 だからこそ、ククルルはそんな彼女に救われた。

 自分を見捨てないでくれたことが嬉しかった。


「カンナ、僕の片割れ、優しい君。僕は今の僕を好いている。こうして人と話せるのも、君のおかげだ」

「ククルル……」

「気にしないでくれよ、カンナ」


 カンナは瞳を震わせた。

 人間ならば涙を溢しそうな、悲しげな表情だった。


「けれどもククルル、忘れないで。結局私とククルルは一つよ。私と貴女の心は別だけど、同一人物であることに代わりはない」

「……」

「自分自身と話してても、寂しさは紛れないの。いつか来る人間とのお別れの日……その時二人きりになってしまったら、貴方はどうするつもり? その後に行き着くのは永遠の孤独かもしれないわ」


 カンナといても、人を求めてしまったみたいに。心の穴は埋められないのだ。酷く大きな、虚無の穴は……。


「それでも……人の暖かさを知って良かったって、思える? 私はそれ程残酷なことをしたのよ?」

「分からないよ、そんなことは」


 しかしククルルはそう答えるしかなかった。

 現実から目を逸らすように。そのククルルを見て、カンナは「実はね……」と口を開いて。


「貴方のその体なんだけど……星神がいることで状況が変わったかもしれない。この方法で解決出来れば後は――」


 だがそこまで言い掛けて、ハッとして。かぶりを振った。

 言ってはいけないと思ったらしい。


「何でもないわ」


 そうやって呟く彼女は、酷く寂しそうに見えたのだった。








◆◇◆◇







 一方で、村の祭壇奥。

 巫女婆様とイカロスが話をしていた。勿論、星神様とのやり取りを伝えるためだった。


 そうしてすべてを聞いた巫女婆様は、しかし驚く程平静だった。


「そうかい、そうかい。そういうことだったか」

「なあ婆ちゃん。何でそんなあっさりしてられるんだよ」


 イカロスには不可解だった。少なからず自分は動揺しているのに。


「星神様はそりゃ良い人だけど。でも星神様が言ったことが本当なら、星神様は神様じゃないってことじゃん。俺達が今まで信じてきたものはなんだったんだよ」


 それは彼の迷いだった。


 星神様の声がイカロスにもずっと聞こえていたが、ここまではっきりと話したのも、姿を見たのも初めてだ。

 今までイカロスは神様の話を信じていたし、天使と悪魔へ毎日祈りを欠かさなかった。しかしそれがすべて嘘っぱちだと告げられ、だからこそイカロスは何が正解か分からない。幼い少年にとって、それは世界が丸ごとひっくり返るような衝撃だった。

 正直言って、どうすれば良いか分からなかった。


 だが巫女婆様は孫をピシャリと叱った。


「甘いね。そんなだから何時まで経っても半端者なのさ」

「でもっ!」

「良いかい、イカロス」


 巫女婆様は言った。


「この世には本当のことなんて何一つありゃしないのさ。真実なんて単純に捻じ曲がる。それでも星神様が“我々を守って下さっているのは事実”だ。ならそれだけで充分じゃないのか? 星神様を崇める理由は」

「……」

「イカロス。お前は閉鎖的な村で育っちまった。お前は視野が狭い。すべてを理解するのはまだ難しいかもしれん……」


(……)


 イカロスはその言葉に、反発したい気持ちになった。


 だが、イカロスは己が未熟であると分かっていた。それこそ、まさしく、祖母の言うことは正しいのかもしれない。認め難いが、イカロスは巫女婆様の言うことを受け止めることにした。


 しかし不満というか、モヤモヤした気持ちも生まれていた。

 じーと物言いたげに見つめると、巫女婆様は呆れた表情を作って。


「やはりお前は未熟者だね。……今回のククルルとカンナの来訪は、お前にとって得難い経験になるだろう。イカロスや、お前はあの二人をどう思う? 外の世界の者をどう思った?」

「俺は――」


 イカロスはしばらく考え、思ったことを話した。


「二人のことスゲエって思ったよ。もっと知りたいと思った」


 あんな奴らは見たこともなかった。

 魔法、巨人。興味は尽きない。それに世界が広いことも、二人の記憶を見て知った。出来れば話を聞きたいと思った。


「ならばイカロス。まずお前は二人のことを知ることから始めるんだ。そして友人になっておあげ……そうすれば、自ずと村人も彼らと仲良くするだろう」


 うん、とイカロスは答えた。パタパタと外へ向かってしまって、恐らくだが、早速ククルル達に会いに行ったのだろう。

 気が早い子だ……と巫女婆様は微笑んだ。


「やはりイカロス。お前は元々好奇心旺盛な子だよ。この村はお前にとって狭過ぎるだろう……」


 巫女婆様はイカロスのことが心配だった。イカロスは人懐っこいが頭が良い分、友達が少ない。

 その証拠に巫女婆様は、流星の話も、宇宙のことも、話を聞いていて実は半分も分からなかった。しかし、イカロスはそれをどういう概念であるか完璧に把握しているようだった。

 きっと外に出れば、天才と呼ばれていたかもしれない。


(ああそうさ。こんな村にいること自体、そもそもあの子のためにはならない)


 それに村人の皆は、気付いているだろうか。奇形児が増えていることに。肌の浅黒さが、同じ遺伝子の積み重ねが原因であることに。

 安寧はいつか崩れ去る。崩壊は迫っている。


 ここで何かが変わらなければ、行き着く先は崖っぷち。

 イカロスにはそれを変えて欲しい。巫女婆様はそう思っていた。


「ゴホ……」


 ……そして巫女婆様は咳をした。

 最近特に体調の悪化が酷かった。自分もそろそろ時間がないと……巫女婆様はやるせなくて笑ってしまった。


 だが外に飛び出していたはずのイカロスは、こっそりとそれを物陰から見ていた。自分がいなくなった時、祖母がどんな顔をするのか。何となく気になって戻ってきたのだった。


 ――イカロスは、巫女婆様の思いを重く、重く受け止めていた。






◆◇◆◇






 そうして、ククルルとカンナの、村での生活が始まった。

 案外、溶け込むのは早かったように思う。


 子供達と若者はカンナと顔見知りだったし。何より大人であっても純朴だ。イカロスの存在もあり、数日すると普通に話しかけてくれるようになった。


 そしてククルルとカンナもまた、村人達のために働いていた。

 魔術で狩りを手伝い、家の補修を手伝う。


 今ではすっかり、「ククルル様」、「カンナ様」と呼ばれるようになった。平和だが穏やかな日々の中で、ククルル達は幸せを噛み締めていた。


 そんな彼らは当然、イカロスともとても仲良しになっていた。

 巫女婆様が関係しているのか、イカロスは積極的に二人の元へ通ったのだ。そうしていつも外の話をせがんでいた。

 どうやら彼は村の外について知りたいらしい。


「なあなあ、今日はどんな話をしてくれるんだ?」


 イカロスがあまりに目を輝かせるので、ククルル達はイカロスが可愛くてしょうがなかった。色んな話をした。

 砂漠のお話、草原のお話、とある王国のお話。

 イカロスはそれを最後まで聞くと、必ず「良いなあ……」と呟くのだった。


「ククルル達は色んなこと知ってるんだなあ! すげえよ!」


 何処までも何処までも、そう無邪気にはしゃぐイカロス。

 彼は怖いものなんて何も知らないみたいだ。ただ綺麗なものばかりを知って、無知に世界が素敵だと信じている。


 でもその幻想はまだ許される。幼い今は幸せな夢を。現実を知るのは、先で良いのだ。


 だが、イカロスは思ったよりも頭が良いのだった。

 彼はこの村の現状を理解しているようだった。


「なあククルル、カンナ。お前達はこの村をどう思う?」


 何故なら村の人達を見る時も、話す時も、彼はいつだって難しい顔をするから。そこには複雑な感情が見え隠れてしていた。


「良い村に見えるか? 俺達はこのままで良いのか? 昔のご先祖みたいに引きこもるのが正解か?」

「それは……」


 ククルル達は何も答えられない。彼らはその問いに関する答えを持ち合わせていない。

 それでもイカロスは空を見上げている。青い青い空の彼方を。


「思えば世界って不思議なことだらけだ。太陽ってかなり遠くにあるんだな。星は天球に張り付いてない。空の向こうにはまだ見ぬ果てが広がっている。……俺は、そんなことすら知りはしなかった」

「……」

「俺は、婆ちゃんの考えていることがよく分からない。でも俺は婆ちゃんの夢を叶えてあげたい」


 イカロスは次に、海がある方角へ目を向けた。その先にはククルル達ですら知らない、宇宙と同じように未知の世界がある筈だ。


「だから手始めにこの海を越えれば……あるいは――」


 その時、向こうから子供達の声が聞こえてきた。イカロスはびくりと肩を跳ねさせると、アワアワとなって逃げ出してしまった。

 やってきた子供達は皆不思議そうにしている。


「アレ?」

「何かあったの?」

「イカロスじゃない?」

「イカロスかあ……」


 子供達のイカロスに対する評価は微妙だ。ククルルとカンナは苦笑して、子供達に聞いてみた。


「君達は、イカロスとは仲良くしないのかい?」

「んー、アイツ本ばっかりでつまらないから」

「巫女婆様の孫だし……」

「遠慮しちゃうよねえ」


 どうやら畏れ多いし、話しにくいみたいだ。イカロスもアレでいて同世代と何をしたら良いのか分からないようで、いつも一人でいることが多い。ここは力になってあげようとククルルとカンナは思った。

 そうしてククルル達は子供達に言った。


「イカロスは思ったより良いやつよ。お喋りすると分かるわ」

「うん。それになかなか博識だ。ほら、隠れてないで出てきたら? イカロス」


 生憎いくら隠れようが、ククルルには丸見えだ。イカロスは遠くに行ったと思わせて、側にあった木の影に隠れていた。ひょこりと出ると、気まずそうに頬を掻いている。


「今日は皆に楽しい物語を話してあげる。遠い昔話の思い出を」

「マジで!? やったー!!」


 子供達は喜んで歓声を上げた。

 イカロスだけじゃなく、子供達も外の話は大好きなのだ。イカロスと同じように、皆目を輝かせていた。


「さ、イカロス」


 カンナの誘いに、イカロスはおずおずと子供達の輪に入る。子供達もまた微妙な顔をしていたが、自然と彼を受け入れた。


 ――この時から、彼らは唯一無二の仲間になっていくのだった。






◆◇◆◇






 正直な話。

 無垢な子供――しかも閉鎖的な村で育った――に不用意に外の世界を教えるのは、劇薬を飲ませるようなものだったかもしれない。


 彼らにとってみれば、まさに楽園か、はたまた夢のようなキラキラしたものに見えただろう。だが現実はやはり違う。ククルルとカンナが大国に追われたように――危険なことが沢山だ。外の世界は汚く、この鳥籠のような村こそが、ククルル達の目から見れば清浄に満ちた場所のように感じられる。


 しかし、それでもククルルとカンナは外の世界のことを話した。

 何も知らないままでいるのも……閉じた世界で、何も選べないのも、それはそれでいけないことのように思えたから。カンナもこの村に来て少し考え方が変わったようだ。

 旅の果てに、この村に辿り着いたのが大きいのだろう。

 カンナは、ククルルと二人の時によく言っていた。


「私ね、あの子達には自由でいて欲しいと思うのよ」

「カンナ……」

「私はあの子達に救われているわ。この先あの子達は何にでもなれる。その可能性を見てみたいと思うの、ククルル」

「そうだね」


 ククルルも同意する。

 やがて消えていく命。離れていく命。彼らの物語を、見守っていきたいとククルルは思う。

 たとえ、別れが来ようとも。


「ククルル、カンナー!!」


 と、その時だった。

 子供達が向こうから駆けてきていた。真ん中にいるのはフラーラという少女。彼女は子供達のリーダーだ。その少女に無理やり腕を掴まれている少年はイカロス。二人は最近妙に距離が近かった。


「ねえねえククルル、カンナ、遊ぼうよ!」


 いつものように遊びに誘うフラーラ。

 ククルル達と子供達は、海に行く。


「魔術を見せて!」


 そうしてせがまれれば、カンナは魔術を見せた。

 踊る電気、浮かぶ水球、激しくバチりと飛び散る火花。

 フラーラは特に魔術が大好きで、熱心に、食い入るように見つめている。


「本当に綺麗よねえ」


 そううっとりと言って。

 イカロスはそんな彼女をじっと眺めていた。そしてふと、カンナに聞いた。


「それ俺にも使える?」

「え?」


 カンナは一瞬、驚いた顔をする。気付けば、話を聞いていた子供達が一斉にこちらに視線を向けている。カンナは悩んだように、言葉を選ぶように答えた。


「そうね……努力すれば使えるようになるわ。これは特別な技術じゃないもの」

「本当に?」

「ええ」


 それを聞いた子供達は、顔を見合わせた。

 ――その時、彼らが何を考えたのかは分からない。たが次にはイカロスがいつもやっているように、彼らもまた海の向こうを見た。


 瞳には、育まれた憧れがキラキラ、キラキラと輝いて。

 しかし、イカロスだけは何かが違った。


 ――溢れ出る好奇心、魔術という力。

 無限の可能性に思いを馳せる。

 この村は自分には狭すぎる。


 ああ、見たいとイカロスは思った。


 見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい見たい――


 その遥か彼方の世界まで。自分が何処までやれるか試したい。







◆◇◆◇







「ククルル、カンナ!」


 ――それからしばらくして。

 ある日、子供達がいくつかの紙を持って、ククルル達に見せてきた。


 そこには、複雑な術式と、設計図と、それに付随する考察が書かれていた。まだ拙い部分も多いが、それは紛れもなく――


「――海を越える、方法?」

「そう! あたし達、一生懸命考えたのよ!」


 フラーラが自慢げに叫ぶ。彼女は自信家な性格だった。

 しかしそれを抜きにしてもその内容には驚きで、大人顔負けどころではない。


「すごいな……僕達では考えつかない代物だよ」

「でしょー!?」


 素直に褒めれば、フラーラは嬉しそうに胸を張った。当然だと言わんばかりだ。

 続けてイカロスが言う。


「二人からもアイディアが欲しいんだ。どうかな?」

「そうだな……」


 そうして、改めて紙の内容を見てみる。


 しかし、まず最初に根本的な疑問を問わなければいけないだろう。

 そもそも何故、この海を越えれないのか。


 その答えは至極単純である。

 この海の底には恐るべき魔物がいるからだ。

 名を海竜。名前の通り、海に生息する竜で、海岸付近にはおらず、海を見ていたり、遊ぶ分には何の害もない大人しい生物だ。

 しかし、船である程度進めば彼らは豹変する。

 彼らの縄張りに到達した途端、水のブレスを吐かれ、時には嵐を呼びよせられるのだ。それは人知を超えた力である。カンナとて囲まられたら勝ち目はない。そんなリスクがあるからこそ、ククルル達は立ち往生していたわけで。


 だが、それならば、他に方法がないと言えるだろうか?

 いいやある。海路が駄目なら、それ以外は?


「空を飛べば良いんだ。空を飛べるような――機械仕掛けの翼を作る」


 それがイカロス達の結論だった。

 確かにそれならば海竜を刺激することはないだろう。理論上、海を越えることは可能だった。しかし、


「貴方達、こんなのをどうやって考えたの」


 教えていないはずの魔術式、見たこともないはずの数式が紙には書かれている。

 異常の一言に尽きる。これを主に考え出したのは誰だ?


 すると、本人が名乗り出た。


「アイディアは皆から。理論は俺が考えたんだ」

「……イカロス」


 ククルルとカンナは言葉を失った。

 そう言えばイカロスはククルルとカンナの記憶から、古代の魔工学や現代の魔術の

粋を見ていた。それを元にここまで理論を構築したというのか。


(やはり足りない部分はある。だが……)


 走り書きの考察は、ゾッとするほど魔術の本質を付いていた。

 彼は理解している。


 ――『星の動き、配置は分子の動きと同じ』。


 ――『星図を解釈するのは世界の仕組みを知るのと同じ』。


 ――『膨大なエネルギーは流星だけでなく、この星自体にも宿っている』。


 そしてそのエネルギーを使い、魔工学と魔術を組み合わせれば。半永久的な推力を得、自由に空を飛び回ることが出来るのではないか……。


 それが機械仕掛けの翼を作る根幹の理論。制御装置は頭につける歯車の輪っか。人間がその翼を背負った時、その姿は“天使”のように見えるだろう――星神教における神に。それは神域の領域に人間が近付く。そんな風にも感じられて。


「ねえ、この方法で上手くいくかな? 距離は大丈夫か、計算は合っている?」


 そうやって無邪気に聞いてくるイカロスは、愚かにも禁断の果実へ手を伸ばす冒涜者のようだった。そうして、イカロスをスゲーだろ、と自慢する子供達。

 ククルル達は何とか頷くしかなかった。


 まさにイカロスは、それこそ神から特別な何かを授けられた才能の持ち主だったかもしれない。

 だからこそ戦慄があった。しかし相反する期待があった。

 もしかしてイカロスならば、自分達を生み出した技術の深淵に至るような、遥か高みへと飛び立てるのではないか?


 そして実際に彼は、この閉鎖的な鳥籠から飛び立ち、海の向こうへ、空の彼方へ行こうとしている。

 ククルル達は、それにどう向き合うか。


「ククルル、カンナ――」


 しかし答えは決まっているようなものだった。

 何故ならイカロスは、二人を望みのために“使おう”としている。利用しようとしている。それは目を見れば明らかだ。彼は自分自身の好奇心を抑えられていない。


 勿論、ククルル達は少し自制させるべきだとは思った。それがククルル達の責任だ。

 だがそれをやろうとすると体が固まった。

 だって使えわれることこそ、道具の本能、本分で。人間から求められれば、答えてしまうのがくくるククルル達なのだ。自分の思いさえも度外視して。特にイカロスのような身近な存在で尚更――それにここで否定すると、彼らの可能性を途絶えさせるような気がした。


 だから。


「計算は合っているわ。けれど実現には十年、二十年はかかる。今の魔術式に追加して“新しい体系の魔術”も必要でしょう。それでもやる?」


 カンナが確認する。本当にその覚悟は本物か?

 だがイカロス達は迷いなく答える。


「ああ」


 これで、決定だ。


 これより海を越えるため、人工の翼を作成する。

 それが――多くの、ひいては世界の未来さえ変えるとも知らず。


 ――イカロス達は、禁断の果実へと手を伸ばし始めた。

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石の巨人と少女 金餅 @wqwwwwa

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