第60話 それぞれの道
「お姉様、行ってまいります!」
「ええ、気を付けてね」
教室を出る前にもう一度振り返れば、クロエは目を輝かせた令嬢たちに囲まれている。凛とした態度だけでなく、最近は柔らかい雰囲気を纏うようになったクロエの周囲には、多くの令嬢が集まるようになった。
元々クロエは礼儀作法も完璧であり、王子妃教育で培った教養や見識の広さは他の貴族令嬢と比べると傑出していたのだ。交友関係が広がったことで多くの令嬢にとって羨望と尊敬の対象となり、クロエの立場は盤石なものとなった。
(信頼できるご友人も増えて、お姉様も以前より肩の力を抜けるようになったのだわ)
それがクロエの魅力を引き立て、さらに人が集まってくるという良い循環になっているようだ。少し寂しく感じたこともあったが、二人だけでは駄目になるとどこかで分かっていた。お互いに知らないことが増えたからこそ姉妹のお茶会では話題が尽きない。
少し早足でガセボに向かえば、そこには既にリシャールの姿があった。
「リシャール様、お待たせしました」
「そんなに急がなくていい。俺も今来たところだ」
柔らかな眼差しに、最初の時はあんなに鋭い目つきで睨まれたのにと思いつい笑みがこぼれる。
「何か楽しいことがあったのか?」
「ふふ、最初にリシャール様と会った時のことをふと思い出したんです」
「………それは出来れば忘れてくれ」
項垂れるリシャールの前に作ってきたサンドイッチを広げると、口元が緩むのが見えてアネットも嬉しくなる。
手作りのサンドイッチはエミリアのことを思い出すので、今まで作っていなかったが嫌な思い出なら更新すれば良いことに気づいてリシャールを誘ったのだ。
あの日エミリアはポテトサラダのサンドイッチを作っていたが、こちらの世界には見ない組み合わせだった。そもそもあれは日本発祥のものだった記憶がある。
気づく機会はあったのにと後で悔しい気持ちになったが、それも全部忘れてしまおう。
「昨日はクロエ嬢と侯爵邸に戻ったんだろう?」
バスケットの中身が半分ほどなくなった頃に、リシャールが真剣な表情でアネットの様子を窺う。これは心配してくれている時の顔だと分かり、アネットはにっこりと笑顔を浮かべた。
「マティアス王太子殿下とナビエ公爵のおかげで、何の問題もありませんでしたわ」
ルヴィエ侯爵家にアネットが必要なのは後継が不在だからであり、この国では女性は爵位を継げないため結婚相手にその権利が発生する。だがそれ以外にも王家の許可を得れば当主が指名した人物を後継者にすることが出来るのだ。
アネットがルヴィエ侯爵家から逃げ出そうと画策していた時にそれを知り、味方に引き入れようとしたのはシリルだった。
能力の高さはカミーユも認めるところであるし、かなり遠いもののルヴィエ侯爵家の傍流である男爵家の令息でもあり忠誠心も高い。
とはいえシリル本人が二つ返事でアネットの提案に頷いたわけではなく、検討すると告げたのもこのままではアネットが暴走しかねないと危惧したそうだ。
実現する可能性がかなり低かった提案をひっくり返したのが、ナビエ公爵の口添えとマティアス王太子の後押しだった。
「お父様も何だかんだとシリルを――シリルお義兄様を信頼していますし、優秀なことは間違いありませんもの」
唯一アネットが誤算だったのは、シリルをお義兄様呼びすると何だか面映ゆい気持ちになることだ。どうにか次に帰宅するまでに慣れておきたい。
「そういえば昨日セルジュから手紙が届いた」
苦笑交じりの声にアネットもくすりと笑いが零れる。
「私にも届きましたが、きっとリシャール様と同じ内容ですわね」
毎週かかさずクロエと手紙のやり取りをしているはずなのだが、離れた場所にいる婚約者が心配でならないらしく、アネットやリシャールにも変わったことがないか頻繁に確かめてくる。
(お姉様に密かに想いを寄せる方も多いのだから、無理もないとは思うけど……)
誘拐に対するアネットへの賠償はルヴィエ侯爵家の後継問題だったが、セルジュへの罰は隣国への留学だった。
「状況の認識と報告の甘さは王族として命取りになる。周囲に頼る人間がいない場所に放り込めば少しは鍛えられるだろう」
セルジュは何とか回避しようと抵抗したらしいのだが、婚約者であるクロエがマティアスに賛同したことから、確定事項となった。
「セルジュ様、わたくしとて時として個人としてではなく公人として取捨選択する必要があることぐらい理解しておりますわ。でも今回の件については話が別ですわね?」
冷やかな眼差しを向けられてセルジュは必死で謝ったが、行動で示せと言われてしまったそうだ。ちなみに全科目履修するまで帰国できないらしい。
「俺もあの時は流石に腹を立てていたが、最近は応援してやりたい気分だ」
「マティアス王太子殿下が、早く戻ってこないとお姉様を婚約者に迎えるなんて脅しておりますものね」
マティアスの婚約者は友好国の王女なのだが、まだ14歳とあって結婚までにあと4年かかる。そう簡単に反故には出来ないのだが、王位継承問題などで婚約者が変わることは珍しいことではないのだ。
「本気ではないだろうが、クロエ嬢のことを評価しているからセルジュも気が気ではないのだろう。さて、デザートはこちらで準備したが、食べられそうか?」
リシャールが取り出したのは、イリゼで大人気となったクロッフルだ。
菓子のレシピを提供するので婚約を辞退して欲しいとフェルナンに持ち掛けたことがきっかけで食べられるようになったお菓子である。侯爵家と天秤に掛けて最終的にはいくつか提示したレシピが魅力的だったようでわりとすんなり合意してくれた。
自分ではなかなか作れなかったお菓子も食べられるようになり、フェルナンとは友好的な関係を築けているので互いに良い取引だったと思っている。
「ええ、勿論」
「それは良かった。――どうした?」
(いや、どうしたって真顔で言われても……)
大好きなお菓子を前に自然と頬が緩んだが、手渡しではなく直接口元に運ばれてしまったのだから動揺しても仕方がないはずだ。
「こ、子供ではありませんし……恥ずかしいです」
「クロエ嬢には敵わないが、たまには俺に甘やかされてくれ」
そう言われてしまえば、アネットも拒否できず目を逸らしてクロッフルを一口かじる。嬉しそうに、愛おしそうに向けられる眼差しに頬が熱い。
「……リシャール様、半分こしましょう」
「ああ。――今週末に街に出掛けないか?ベニエが食べたくなってきた」
初めて出会った時のことを思い出して、二人で笑みを交わし合う。
(お姉様がいればそれで幸せだと思っていたけれど)
学園に通うようになってリシャールと再会し、友人を得て、義兄まで増えた。お互い支え合っていた子供時代のままでいたならば、手に入らなかったものかもしれない。
頑なだった過去の気持ちが溶けていくようで、アネットは幸せな気持ちを噛みしめた。
転生令嬢、シスコンになる ~お姉様を悪役令嬢になんかさせません!~ 浅海 景 @k_asami
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