第2話

 クレイジーボーダーの手帳には、裏表紙のところに小さなポケットがあった。まるで、ここにシールを入れて下さいよ、と言わんばかりだ。

 シールのシートを入れる時、少し引っかかる感じがした。縫製が悪いのだろう。made in Japan も怪しいものだと思った。



 私の仕事は、商社の広報担当だ。海外に送る文書を英訳をしたり、外国人客の案内に通訳として同行する。


 大抵のことは、上手く行っていた。上司が日本人にしかわからないようなジョークを言うので、それを説明するのが大変なくらいで。(大体、説明されなきゃわからないジョークのどこが面白いと思うんだろう)。


 が、ある日、ロサンゼルスからの客を怒らせてしまった。会社にとって、とても大きなビジネスパートナーだというのに。


 いつものように上司が笑わせようとしたジョークを、つい直訳してしまった。それは、とても失礼に当たるもので、相手が憤慨したのだった。

 疲れていて、頭が回っていなかった。

 部長に、こっぴどく叱られると共に、暫く休めといわれた。


 失業の危機が迫っているかもしれなかった。



 そんな落ち込んだ毎日を送っていた時、サラから連絡がくる。

「聞いて! ロバートとうまくいったの!」

思い切ってデートに誘った日の手帳に、あのシールを貼ったのだという。

「僕も君のことが好きだったって言われたわ!」

シールのお陰かどうかはわからないけど、と付け加えながらも、興奮気味に報告してきたのだった。


 もしかして、ホントに叶ったりしてね。


 そんなことあるわけないよな、そう思いながらも、手帳に翌日の仕事の予定を入れて、シールを貼ってみる。反省せよとばかりに1週間の休暇を無理矢理取らされたのだ、3日や4日でお許しが出るとは思えなかった。


 しかし、手帳にシールを貼ってから1時間も経たぬうちに、会社から電話があったのだ。仕事の都合上、急遽通訳が足りなくなったので、明日から来てくれと言われた。


 もしかして?

 いや、単なる偶然だ。

 ロバートがサラのことを好きなことなど、とっくに知っていたし。


 疑いながらも、「もしかして?」という、怖いような、でも嬉しいような、秘密の特別な能力を得てしまったかもしれないことを、私は、期待せずにはいられなかった。



 実は、私には、入社した時から気になっている上司がいた。杉崎すぎざきとおるさん。彼はカッコよくて頭もいい。仕事もできるし、人付き合いもいい。そんな風だから、当然のように周りからモテていて、ライバルは多すぎる。私は、自分など相手にされないと思っていた。


 ある日、私は、彼の仕事に同行することになった。彼は、元々通訳など必要なかったが、部長の話では、わざわざ私を指名して、つけてほしいと頼んだらしかった。  


 仕事終わり、カフェに立ち寄り、コーヒーを飲む。

「助かったよ。」

「いえ、杉崎さん、通訳なんか必要なかったじゃないですか。」

「いや、時々わからない表現もあるからね。一緒に来てもらわないと、自信が無くて」

頭をかきながら照れくさそうに笑う。

 この人のことが好きだなあと思った。


 手帳の金曜日の予定のところに書き込んだ。

「杉崎さんに食事に誘われ、つきあうことになる」

そして、シールを貼った。

 そんなわけがない。あれは単に仕事を頼まれただけ。馬鹿な自分を低く笑った。

「なに少女みたいなこと書いてるの」


 叶うわけないと思っていた。

 会社から急遽呼び出されて仕事に戻れたのだって偶然。こんなシール一つで「願いごと」だの「成功」など叶ったら、世話がない。そう思っていた。



「ホントに居酒屋なんかでよかったの?」

「いや、あの、もう、なんていうか……」

「急に誘って悪かったかな?」

「いえいえいえ、とんでもない。全然です。」

私は焦ってレモンサワーを一口飲む。

 

 ホントに誘われるなんて思ってもみなかった。いやいや唐突すぎない? 余りに急すぎない? 杉崎さんが何で私を食事に誘うなんて非現実的なことが起こるわけ? 


 何あのシール……?


「この前の仕事さ、俺の方から君を通訳に指名したの。聞いたかな?」

「あ……、それは課長から」

えっ? あの時からなの??

「実は、前から気になってたんだ……」

「えっ?」


 こうして、私は、憧れの杉崎さんとつきあうことになった。


 嬉しいのだ。うん、嬉しいはずだ。

 だが、何かがしっくりこないというか。

 納得がいっていないというか。


 何と言うのか……?

 言葉にならない気持ちが湧き出してきていた。

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