our films.

高村 芳

our films.

 カチ、カチ、カチと、コマを送る無機質なクリック音が部屋に響く。机の上に置いたエナジードリンクのほっそりとした缶の表面に、カーテンの隙間から漏れた光の筋が反射している。そこで俺は夜が明けたのだと気がついた。目玉の奥側に熱を感じるが、マウスを握る手は止められない。映像の片隅に映ったゴミをポインターで囲んでは、ひたすら消していく。またコマを送り、同じ作業を繰り返す。

 

 アイツからの連絡はない。俺はため息をついて目頭を揉んだ。モニタの端に表示された今日の日付に、ゆっくりとピントが合う。俺たちが応募しようと思っている映画コンテストの締切まで、あと一週間に差し迫っていた。




 俺の自宅(と言っても、築三十年のただの八畳ワンルームだ)でソウタと映画を作り始めて、もう三年目になる。高校時代から一人、スマートフォンで映画を撮り続けていた俺は、大学生になってすぐに映画サークルに入った。しかし、そこは映画鑑賞するだけのサークルだったようで、期待外れの俺は早々に辞めようかと考えていたのだった。そんな矢先、ソウタに出会った。新入生歓迎会の自己紹介で、顔を真っ赤にしたソウタは大きな声で言い放った。


「工学部一年、原田ソウタ。映画は観るだけでしたが、今後は自分でも撮っていきたいと思います! よろしくお願いします!」


 いかにも人に好かれそうなヤツで、俺とは合わなさそうな人間だった。しかし、自分でも映画を撮りたいという言葉に、期待が膨らんだ。もしかしたら、アイツと一緒に映画を作ることができるんじゃないだろうか? 


 俺は酔っ払った先輩が席を立った隙に、ソウタの席の近くに移動する。一人、氷が溶けて薄まったコーラを飲むソウタに話しかけた。


「コーラの美味しい飲み方、知ってる?」


 いま思えば、性格の悪い話しかけ方だったと思う。でもソウタは黒縁眼鏡の奥の目を丸くした後、ハハハ、と大きな声で笑った。


「窪塚ハルキくん、だっけ? 相当な映画好きだな」


 ソウタはマイナーな青春映画の名前を挙げて、「あのシーンの台詞じゃんか」と喜んだ。その瞬間、鳥肌がたった。この映画を観てるなんて、同世代だとなかなかいないだろう。コイツとなら、映画を一緒に撮れるかもしれない。


「なあ、俺と一緒に映画を撮らない?」


 大学に入って最初に男を口説くことになるなんて思っても見なかった。喧騒の中、目を輝かせてソウタは言った。


「その話、詳しく聞かせてよ」




 それからというもの、二人で映画制作を始めることになった。ソウタは映画を作ることに関しては素人で、俺は一からソウタに教えていった。ソウタには主にカメラや音響を任せ、俺が脚本・演出を考えて、二人で撮影に出る。


「ほら、あの映画のフレーミングとか使えないかな?」

「いいじゃん、撮り直そうぜ」


 意見を言い合って、もっと良い映像にしていく。こんなに楽しいと思ったことはなかった。二人でなんでも試した。良い備品を揃えるために、二人でバイトしては金を貯めて買って使ってみる。短編映画を撮っては、動画サイトにアップする。そんな日々が二年続いた。形になった映画の本数は少なかったけど、少しずつ自分たちが作りたい映画に近づいてきている。そんな気がしていた。




 大学二年の冬、ソウタが雪の中、鼻の頭を真っ赤に染めて家にやってきた。この頃には、俺の家にソウタが来て、二人で手分けして編集作業を行うようになっていた。


「おい、ハルキ。これ」


 ソウタは頭にのった雪が溶けて髪が濡れていくのも構わず、ポケットからスマートフォンを取り出す。ソウタにとりあえずタオルを渡してやると、俺の目の前にスマートフォンの画面が突き出された。 


「……映画コンテスト?」

「そう、アマチュア大学生向け。グランプリに選ばれた作品は映画館で上映されるらしい」


 俺はソウタからスマートフォンを奪い取り、記事に目を通していく。締切までは半年。いま作っている作品を完成させてからでも、急げば間に合うはずだ。俺はソウタを見る。いつもコイツの目には明るい光が宿っていた。ワクワクさせられる光だ。


「挑戦してみるか」


 ソウタはニッと白い歯を覗かせた。


「そう言うと思った。ハルキは企画練り始めろよ。獲りに行くぞ、グランプリ」


 ソウタが赤くなった手のひらを差し出す。俺は頷いてからその手を叩いた。指先は冷たいのに、叩いたところは熱を帯びていた。




 それからしばらくは映画一色の生活になった。俺は新しい短編映画の企画と絵コンテ、台本を作り、ソウタと練り上げる。ソウタはほとんどウチに泊まり込むような状態だった。単位は二つ落とした。時には徹夜で討論した。ぶつかることもあったけど、いよいよコンテも台本も演出も固まり、撮影に入る頃だった。



「俺、彼女ができた」


 ソウタは撮影前の備品チェックをしながら、そうポツリと打ち明けた。へえ。とりあえず相槌を打ったが、俺の胸には暗いものがこみあげた。何でこのタイミングでそれを俺に言うんだよ。棘のある言葉が口からこぼれそうになり、俺はあわてて口をつぐむ。


「この間の作品に出演してくれた高畑さんと仲良くなってさ。でもいまは映画作るので忙しいって伝えてるし、こっちはちゃんとやるしさ。一応報告、ってことで」


 ソウタはそれで話を終わらせた。もしかしたら、俺の顔に何か出ていたのかもしれない。ソウタに彼女ができようができまいが、映画制作に支障は来たさないと言っているのだからいいじゃないか。これ以上この話題を続けると何かヘンなことを口走ってしまう気がして、俺はうん、と言って撮影の準備を進めることしかできなかった。




 それから、ソウタと予定があわないことが増えた。撮影の日を合わせようとしても、「その日はちょっと」と濁される。理由はいちいち聞かない。聞くとイライラしてしまいそうだからだ。ソウタを責めたいわけじゃない。なんとか日程を調整して撮影を進めていくが、進捗には確実に遅れが出てしまっていた。撮影はなるべく短期間で行わないと、特に外での撮影は天気や時期に光が左右されてしまう。ソウタもわかっているだろうに、進捗は一向に改善しなかった。



 すべての撮影が終わった頃には季節も移り変わり、無理なスケジュールを組まざるを得ない状況になっていた。俺はバイトを休み、パソコンと睨み合う日々が続いた。



 その日はソウタが部屋に久しぶりに来て、二人で編集作業を進めようという話になっていた。俺は自分のデスクで、ソウタはローテーブルで黙々とパソコンに向き合う。組んだ足の貧乏ゆすりが止められない。数時間その状態で作業していると、あるときソウタが大きく息を吐いてから切り出した。


「なあ、ハルキ。明日、映画、観に行かないか?」

「はあ? 映画?」


 いきなり何を言い出すのだ、というニュアンスが声色に出たのか、ソウタはあわてて続ける。


「いや、今度いつものミニシアターでやる映画が良さそうでさ。よかったら一緒に……」

「そんな余裕ないだろ。もう締切まで二週間切ってるんだぞ。修整するところもまだこんなにある」


 ソウタの言葉を遮り、俺は修整箇所が書かれたリストの紙束を振りかざした。バサ、と嫌な音が狭い部屋に響いた。


「行きたいなら一人で行ってこいよ。俺は編集してる」


 ソウタのむっとした顔に、「イラつきたいのはこっちのほうだよ」と吐き捨てそうになるのをグッと飲み込み、デスクに向き直る。なんでソウタはそんな呑気でいられるんだよ。まるで俺ばっかりがこの映画を良いものにしたいみたいだ。マウスのクリック音が、俺とソウタの仲を切り裂いていく。


「わかったよ。ごめん、今日は帰るわ」


 俺は「ん」とだけ声に出した。後ろでノートパソコンを片付ける音がして、ワンルームの扉がバタンと閉まった。俺が操作するクリック音だけが部屋に響いた。




 翌日、マウスの電池がなくなったので、街に買いに出た。その帰り、人混みの中でソウタと高畑さんの姿を見た。手を繋いでいるほうとは逆の手に、昨日ソウタが言っていた映画のパンフレットが握られていた。結局、高畑さんと観に行ったんだ。俺は二人から隠れるように路地に入った。


 なんだ、やっぱりそうだったんだ。

 不思議と怒りはなく、ただただ汚れた自分のスニーカーの爪先を見つめながら家路を急いだ。


 それ以来、ソウタはウチに来ることはなかった。




 締切まであと一週間にさしかかっても、ソウタはウチに来ず、自宅で編集作業の続きを行っているようだった。夜に進捗の報告だけメッセージで送られてくる。それも芳しい進捗だとは言えなかった。俺も事務的なことを返すだけで、ソウタに何も問うことはなかった。少しだけ仮眠をとろうと、ベッドに寝転がる。


 まるで、独りきりで映画を作ってるみたいだ。布団にからだを埋めた瞬間、ほどなく睡魔に襲われ、俺は抵抗することなく目を閉じた。




 スマートフォンの着信音で、俺は目を覚ました。あわててスマートフォンの画面を見る。「高畑さん」と表示されている。映画に出演してもらった際に連絡先を交換して以来だった。タップして電話を受ける。


「はい、窪塚です」

『もしもし、高畑です。忙しいところごめんね。突然で申し訳ないんだけど、原田くん、近くにいる?』


 ソウタの居場所なら高畑さんのほうが知っているだろうに。最近家にも来てないし会ってもいないと答えると、電話の向こうで驚く声がした。


『原田くん、先週一緒に映画に行ったんだけど、それ以来会えてなくて。メッセージも返ってこないし、どうしたのかな、って思って』


 不安そうな高畑さんの声色に、俺は電話口で混乱していた。てっきり高畑さんと会っているのだと思っていたが、会っていないしメッセージも返してないだって?


 俺はとりあえず「ソウタと会ったら連絡入れるように伝えとくよ」と彼女に伝え、電話を切った。


 ソウタは高畑さんと会っているでもなく、ここに来るわけでもなく、何をしてるんだ? 不思議に思いながらも、スマートフォンに表示された時刻を見て、あわててパソコンの電源を入れた。仮眠のつもりだったのに、三時間も寝てしまっていた。早く編集を再開しなければ。机の上に置いたままだったエナジードリンクの残りを飲み干し、マウスを握ったそのときだった。



 部屋の呼び鈴が鳴った。玄関のモニターを確認すると、そこにはソウタがいた。突然のことに戸惑いながらも、俺は玄関のドアを開けた。


「おい、ソウタ。おまえ最近何やって……」

「ハルキ、急にごめん! 見てほしいものがあってさ」


 おい、と俺が制止するのも無視して、ソウタは部屋に押し入ってくる。いつものローテーブルにパソコンを置き、何やら操作している。


「高畑さんから俺に電話があったぞ。おまえメッセージくらい返してやれよ」

「これ見てくれ、ハルキ」


 パソコンの画面には、いま俺たちが作っている映画のワンシーンが映っていた。ソウタが編集を担当している部分だ。


「なんだよ、これがどうかしたのかよ」

「まあ見てくれ、……ココから!」



 ……あれ?


 流れ出した映像を見て、俺はすぐに気がついた。俺の編集指示と違うカット割りが差し込まれている。ここは長尺のはずなのに、細かくカットが繋げられている。


「おい、ソウタ。おまえ勝手、に……」



 俺は息をのんだ。ソウタが編集した映像に、目を奪われた。

 ああ、このカットで主人公の気持ちが際立つかも。

 ああ、こっちの方がエモさが出る。

 一目見て、違いがわかった。俺の指示より、断然こっちのほうがいい。肌の粟立ちが止まぬうちに、映像は終わりを迎えて画面が暗くなった。ソウタがバツ悪そうな顔で切り出す。


「勝手に指示変えちゃって、わりぃ。この間誘った映画、何か参考にできないかなって思って観に行ったらスッゲー良くて。俺なりに参考にしながら、カット割り工夫してみたんだよ。初めてやったから編集に結構時間かかったけど……どう思う? ハルキから見て」 


 俺はもう一度映像を再生した。確かに、編集が粗い。ヒキのカットは秒数長すぎるし、アップのカットはもう少しトリミングしたほうがいい。でも何より、俺が、いや、俺たちがこの映画を通じて伝えたいことが、この数分のシーンに詰まっている気がした。



 なんだ、独りじゃなかった。俺だけじゃなくて、「俺たち」で、作ってたんだ。胸の奥がぎゅっと熱くなった。



「この方向性でもっとクオリティ上げよう。他のシーンも急いで見直すぞ。どうせならギリギリまで足掻こうぜ」


 俺はソウタに向かって右手を差し出した。ソウタの目の下にはクマができている。この短期間ですべて一から編集しなおしていたのだろう。ただ、彼の目は出会ったときと同じように輝いていた。 


 ソウタが力強く俺の手を叩き返した。




 それから一週間弱、ソウタはウチに泊まり込み、ぶっとおしで編集した。仮眠をとりながら、エナジードリンクをかっこんでパソコンに向かう。身体は辛いが、俺の背後で鳴り続けるクリック音が背中を押してくれた。締切前日、すべての編集を終えた。二人とも髪はボサボサで、顔にはニキビができていた。


「よし、最終チェックといくか」


 俺のパソコンとプロジェクターをつなぎ、八畳の部屋の壁一面に映像を投影する。部屋は狭いので、席はベッドの上だ。カーテンをひき、照明を消すと、そこは八畳一間の映画館になる。


 真っ暗な部屋の中で、プロジェクターが煌々と映像を映し出す。ただの、光の集合体。なのに、なぜ俺たちはこんなにも焦がれるのだろう。こんなにボロボロになりながら、俺は、俺たちは、何を求めて撮り続けるのだろう。光は何も答えずに、ただただ映像を映し続ける。


 こっそりと隣のソウタを盗み見た。その目には、光だけではない何かが映っていた。なぜだか俺は泣きそうになって、手で顔を隠しながら視線を壁に戻した。



 映像が終わり、壁一面が真っ暗になる。俺は「面白かったな」と呟いた。ソウタは続けて、静かな声で言った。


「当然だろ。俺たち二人で作ったんだから」




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