第46話 畠山重忠、郎党を鎮めること

 鎌倉軍の正式な先陣は、畠山はたけやま重忠しげただの軍である。


 夜通し篝火かがりびを焚いて敵の襲来に備えていたが、突然に背後から現われ、暴風のごとく駆け去ってゆく小軍勢をみて、たちまち混乱に陥った。


 仮眠をとっていた重忠は、眠り鼻を家臣に叩き起された。

「敵集かッ」

 太刀を身に寄せ、重忠はえた。


「いえ、殿、どうやら友軍の抜け駆けのようでござりまする」


 ――これを聞くや、たちまち家臣たちは忌々しげに、口々にわめきたてた。

「先陣の名誉は、われら畠山のものとあらかじめ決まっておろうのに、朋軍の奴ばらのなんたる浅ましきこと」

「わが軍も急ぎ、きゃつらの後を追い、前途を塞ぎましょうぞ」

「殿ッ、二品様に事の次第を訴えましょう。そしてこの暴挙を押し止め、わが軍こそ先陣を切りましょう」


 蜂の巣をつついたような騒ぎに、重忠は太い腕を押しあげ、五本の指を空におしひらいて叱咤しったした。

「落ち着けッ」

 たちまち静まりかえって、郎党たちは主君を見つめた。


 畠山重忠、この年、齢二十六――若いながら、治承以来の歴戦の貫禄がある。

 かれはわかりやすい口調で、はっきりと説き示した。


「抜け駆けした朋輩どもが、われらより先に合戦をして、敵を退けたとしよう。例えそうだとしても、すでにこの私が先陣を承った以上、その勲功はみな、重忠一身の勲功となる。それが軍中の習いだ。

 それに加え、先を争って血気にはやる奴らの、騎虎の勢いをあえて止めるのは、武略にもとる。後々になって『畠山は合戦のことわりには無知で、わが身の褒賞のことしか考えておらぬ』といって、この重忠が歴戦の諸将たちからそしりを受けようぞ」


 理路整然たる言葉に、家臣たちは心から感服し、混乱はたちまち静まった。


「二品様に報告せよ。進軍の準備をしておけ。御声がかかり次第、起せ。軍を進めるぞ」

 重忠はそれだけ指図すると、大あくびをかきながら、ふたたび寝床にもぐりこんだ。





 抜け駆けした混成軍は、四里の山道をまたたくまに駆け抜けた。


 越河こすごうの関に陣を張る敵軍の姿を捉えるや、どっとときの声をあげて突っ込んだ。


 千鶴はもう、なにがなにやらわからぬまま、味方の奔流のままに馬を走らせていた。

 いや、馬が勝手に走っていくのにも気づかぬ有様であった。

 敵や味方の怒声が、頭の上で渦を巻く。

 矢叫やたけびが、兜の耳元を唸りながらかすめてゆく。


「工藤殿っっ」

 かれは必死になって、先をゆく親光に馬を並べた。


 さすがに親光は歴戦のつわもの、勇ましくまなこを見開き、颯爽と馬を走らせていた。

 ところが驚いたことには、喉元から天にむかって一本の矢が突き出ているのだった。


「工藤殿、敵の矢が……」

 そう口にした途端、親光は表情ひとつ変えず、馬の脇腹へ、地面にむかって崩れ落ちていった。

 歴戦の勇士は流れ矢に当たり、すでに絶命していたのである。


 この恐ろしいばかりの光景に、度肝を抜かれた千鶴は、急に呼吸が乱れ、胸が押さえつけられたように苦しくなり、どのように息をすればいいのかさえも分からなくなった。

 膝が、全身が、小刻みにがくがくと震え出して止まらなくなった。


 突如、敵の馬が強引に突っ込んできて、千鶴の馬を横倒しにした。

 わっと、千鶴の体は空に投げ出され、荒れ地の上を転がった。 


 転落の勢いが止まり、ようやくのこと息をついて、上を見あげたその瞬間、とてつもなく重たい物が腹の上に落ちてきて、またしても呼吸ができなくなった。


 気がつくと、奥州の荒武者が馬乗りになっていた。

 顔と顔が迫り、野卑な息づかいとよだれが、千鶴の鼻づらを生臭く覆った。

 鋭いやいばの光が、暁闇ぎょうあんのなかに白い弧を描いた。


(死ぬ……)


 ――千鶴の上に、死の暗黒が覆いかぶさった。

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