第45話 千鶴、抜け駆けすること

 夜明け前、はりつめる緊張感のせいか、千鶴はおのずと目が覚めた。


 大鎧は着たままである。

 まわりの者たちを起さぬように、こっそりとむしろから抜け出し、愛馬の黄金雲こがねくもをなだめつつ工藤の陣へと移動した。


 心臓が喉から飛び出しそうなほど高鳴って、胸をきりきりと絞めつけた。

 奇妙なほどに誰も、かれの不審な挙動に気がつかなかった。

 この明けきらぬ暁闇のごとく、千鶴のちいさな胸には、言いようのない後ろめたさがわだかまっていた。


 ふと思い出して、すがるようにそっと、えびらに手を置いた。

 そのなかには、甘縄姫からいただいた、金鷲羽の御守が納まっている。


 ――途中、黄金雲が、頑として動かなくなった。


「おい、どうした」

 闇のなか、差し縄を何度も引き、尻を強く叩いたが、びくともしない。

 千鶴は塩を取り出し、舐めさせようとした。

 しかし馬は、鼻息を荒げ、そっぽをむいてしまった。


「なあ、頼むよ……」

 千鶴はなおも、黄金雲を動かそうとがんばった。


 その時ふと、心に景義の姿が浮かんだ。

 馬の名人である景義は、馬が動かないとき、静かに、馬に語りかけていた。

 その様子を思い出した千鶴は、ぐっと、愛馬の首に抱きついた。


「頼む、黄金雲。千鶴と一緒に行ってくれ。手柄が欲しいんだ。手柄さえ立てれば、みんなが喜んでくれる。こんなふうに、こそこそと、隠れている必要はなくなるんだ。

 お前も、有常兄の栗毛みたく、みんなから『最高の馬』だって褒められるぞ。頼む。帰ったら、たくさんたくさん、美味しい餌を食べさせてやるから。自由に、大庭野を走り回らせてあげるから。お願いだ。今、この時に、千鶴の一生がかかってるんだ。頼む、黄金雲――」

 千鶴は祈るような気持ちで、馬のたてがみに、顔を埋めた。


 しばらくして、すっと、馬の抵抗が消えた。

 今まであれだけ反抗していたのが嘘のように、馬は、みずから歩き出した。

 千鶴の言葉を、理解してくれたのだろうか……

 ……そうでなくとも、気持ちは通じたように、千鶴は思った。


「黄金雲――」

 千鶴は、めいっぱいの愛情で、ぎゅっと馬の首を抱きしめた。

 馬は、仕方ない……というように、ぶるるっと鼻息をあげ、主人に頬ずりをした。

 千鶴は、差し縄を引いて、走った。





 工藤の陣では親光が待ち構えていて、千鶴が兜をかぶるのを手伝ってくれた。

 そうこうしているうちに、ほかの武者たちが戦仕度を終えて集まってきた。

「なんです? そのちっこいのは」


 興味津々の問いかけに、親光が答えた。

「千鶴丸じゃ。初陣ういじんゆえに、みな気をかけてやってくれよ」

「初陣か。遅れずについてこいよ」

 武者たちは逞しい腕で千鶴の肩を抱き、親しげに背中を叩いた。

 頼もしげな武者たちの、兜の下でにっこりと笑った白い歯を見た時、千鶴の胸から後ろめたさは消えていた。


 やがて、三浦義村、葛西清重、工藤親光、工藤行光、祐光ら、数人の将とそれぞれの兵が集まって、にわか仕立ての混成軍が出来あがった。


「神速をもって、奇襲攻撃を行う。ゆくぞ」

 野心たっぷりの三浦義村を筆頭に、軍勢は駆け出した。


 暗がりのなか、千鶴は先をゆく親光の姿を見失うまいと、必死に黄金雲を駆けさせた。

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