第47話 千鶴、戦場に叫ぶこと




   二



 闇の下から引きずり出された時、喉を引き裂かれて息絶えていたのは、奥州兵のほうであった。


 千鶴は魂の抜けた様子で、呆然と……自分を救ってくれた男を見あげた。

 そこに飄々ひょうひょうと立っていたのは、覆面をかぶり、黒髭を長々と垂らした、巨躯の郎党――葛羅丸であった。


 葛羅丸は千鶴の上体を引き起こし、頬を何度も打ちすえた。

 ようやく正気づいて、千鶴はあたりを見まわした。

 光が白みはじめた戦場は、人馬のむくろが幾重にも折り重なる、血の海地獄と化していた。


(アッ)

 気がついて、千鶴は跳ねあがるように立ちあがった。

 黄河原毛きかわらげの馬が、弱々しくいななきながら、傷だらけの体を必死に起そうとあがいている。

 何度も立ちあがりかけては、その都度、力なく地面に崩れ落ちた。


黄金雲こがねぐもッ」

 千鶴は愛馬の名を叫んだ。


 馬はどうにか首だけをあげて悲しげにひと鳴きすると、泡をふきながら脱力した。

 それからはもう、立ちあがろうとさえしなかった。

 千鶴は馬の首にすがりついたが、どうにもならない。


 葛羅丸が、ぐいと顔を近づけ、眼差まなざしだけで語りかけた。

「……」

 千鶴は唇を噛み、涙ながらにうなずいた。


 葛羅丸は太刀をふりあげるや、黄金雲の身中にやいばを突き入れ、とどめを刺した。

 千鶴は、黄金色の、ごわごわしたたてがみに顔をうずめ、ただただ、泣き伏すばかりであった。


 愛馬の死をさえ、いたんでいるいとまはない。

 葛羅丸が千鶴を背に守りながら、襲いくる馬上の敵兵を次々と射抜いてゆく。

 千鶴は、かれが兄だとは知らない。

 汚れた手で、涙をふり払った。


(戦うしか、ない――)


 それより他に、生き残るすべはなかった。

 葛羅丸が剛力で、敵を馬から引きずりおろし、二頭の馬を確保した。

 ちいさな体が跳ね乗るや、ふたりはくつわを並べ、戦場を駆け抜けた。


 千鶴は無我夢中で矢を放ちつづけた。

 矢がなくなれば、すでに息が尽きた者の矢を奪った。

 初陣の少年は顔に返り血と涙とをぶちまけながら、あらん限りの力で叫んだ。

 叫びつづけた。



 やがてその戦場に、畠山重忠を先陣とした鎌倉本軍がときの声をあげながら、どっとなだれこんできた。

 合戦はさらに数刻に及んだ。


 両軍の均衡をついに破ったのは、山野を迂回して関所の背後に回りこんだ、結城朝光の軍である。

 前後から挟撃された越河の奥州軍は総崩れとなり、雪崩なだれをうって壊走した。

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