第70話 実正、津軽の雪を見ること
三
同年、
一面の雪煙が、実正の視界を遮っていた。
(このような最果ての地で、年の瀬を迎えることになろうとはな……)
目の前には白々と、津軽の大地が広がっている。
川さえも凍りつき、その上に雪がふり積もって、見分けもつかない。
一軍の将として
この大成功に、実正は、ほっと一安心した。
ところがそのすぐ二日後、事件は起こった。
本陣近くに、高水寺という、由緒ある寺院があった。
身の丈一丈の観音像を御本尊とし、黄金造りの御堂をそなえた、立派な寺院である。
この寺院に、あろうことか、鎌倉方の兵卒が多数乱入した。
乱暴狼藉を働き、金堂の壁板十三枚を引き剥がし、奪い去っていった。
寺の僧侶十六名が、本陣に訴え出た。
……それまで重ね重ね、神域への乱暴を禁じていた頼朝は、訴えを聞き、しずかに薬指を噛んだ。
すぐさま犯人の捜索がはじまった。
犯人はあろうことか、実正の郎従であった。
首犯者はただちに左右の手を切断され、その血まみれの両の手は板面に打ちつけられ、衆目にさらされた。
この苛烈なる処断を見た途端、僧侶たちは青ざめ、文句もいわずに帰っていった。
実正は管理統率の不行き届きで、たいへんな叱責を受けた。
頼朝の心象を損ねた。
その事件がなければ、あるいは鎌倉で正月を迎えられていたかもしれない。
(だがそんなことは、思ってみても仕方のないこと……起こっちまったことは、しかたがねぇ)
実正は頭をふるい、次々と積もり来る雪を払い落とした。
『勝った後こそ、気を抜かずに』……景義にさんざん言われていたことの意味を、ようやく身をもって理解した。
(今頃、伯父上はあきれ返っておろうのう……)
それを思うと、自然と、ため息をこぼさずにはいられなかった。
とにかくも、実正は津軽地方の征圧を命じられ、本軍が帰った後も奥州に留まった。
それからまたたくまに三ヶ月が過ぎ、時すでに、
「ひどい吹雪だ」
実正は屋敷のなかに戻り、厚く着込んだ熊皮の上から、大きな雪の塊を払い落とした。
――地元の領主の屋敷を占領している。
部屋の中央には大きな囲炉裏。
火の上には魚や獣肉がいぶされている。
炉端では、年長の親族である大見家秀が、文机にむかい、黙々と文をしたためている。
実正はカラ元気の笑顔を作り、家秀に語りかけた。
「さすがは北の最果てよ。伊豆では見たこともない雪の量じゃ。たまげたものよ」
家秀は顔をあげると、うむ、とうなずいて、まったく違う話をした。
「中八殿はやはり、討たれたようじゃ」
実正は一瞬、遠い目をして、それから顔をゆがめ、「……悔しいのぅ」と力なく呟いた。
中八惟平とは山木挙兵以来の仲で、互いにあの石橋山を生き伸びた、数少ない盟友であった。
中八は
一度は消え去ったかに思われた奥州の火が、思わぬところから、ふたたび息を吹き返しはじめたのだ。
各所に出した斥候たちによって、戦の詳細がはっきりとわかってきた。
反乱軍は南北に、息を合わせて火の手をあげた。
北からは、津軽の豪族、
南からは、
北から攻める大河軍を、途中、不慮の事故が襲った。
足元の雪下で
頭目の兼任は、沈思した。
(行軍をつづけるべきか、やむべきか。だが南の反乱兵たちとの約束がある。かれらの期待を裏切ることはできない。南北から秋田城を挟撃すれば、寡兵でも勝算はある。……鎌倉兵は雪には不慣れだ。雪が味方をしてくれる)
兼任は目を見ひらき、戦闘に突入した。
目算たがわず、男鹿の陣を破り、秋田城を攻め落とした。
南北反乱軍は合流し、この勝利によって、さらに多くの奥州残党たちが集結した。
鎌倉の勢力を一掃しようと、奥州軍はすでに、宇佐美軍のすぐ目と鼻の先に迫っている。
四面楚歌の宇佐美軍には、勝算も方策もなかった。
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