第70話 実正、津軽の雪を見ること




   三



 同年、十二月しわす――



 一面の雪煙が、実正の視界を遮っていた。

(このような最果ての地で、年の瀬を迎えることになろうとはな……)


 目の前には白々と、津軽の大地が広がっている。

 川さえも凍りつき、その上に雪がふり積もって、見分けもつかない。


 一軍の将として出羽でわ国を制圧し、期待されたとおりの抜きん出た武功を立て、ようやく鎌倉本軍と合流したのは、九月ながつき七日のことであった。

 この大成功に、実正は、ほっと一安心した。


 ところがそのすぐ二日後、事件は起こった。


 本陣近くに、高水寺という、由緒ある寺院があった。

 身の丈一丈の観音像を御本尊とし、黄金造りの御堂をそなえた、立派な寺院である。

 この寺院に、あろうことか、鎌倉方の兵卒が多数乱入した。

 乱暴狼藉を働き、金堂の壁板十三枚を引き剥がし、奪い去っていった。


 寺の僧侶十六名が、本陣に訴え出た。

 ……それまで重ね重ね、神域への乱暴を禁じていた頼朝は、訴えを聞き、しずかに薬指を噛んだ。


 すぐさま犯人の捜索がはじまった。

 犯人はあろうことか、実正の郎従であった。

 首犯者はただちに左右の手を切断され、その血まみれの両の手は板面に打ちつけられ、衆目にさらされた。

 この苛烈なる処断を見た途端、僧侶たちは青ざめ、文句もいわずに帰っていった。


 実正は管理統率の不行き届きで、たいへんな叱責を受けた。

 頼朝の心象を損ねた。

 その事件がなければ、あるいは鎌倉で正月を迎えられていたかもしれない。


(だがそんなことは、思ってみても仕方のないこと……起こっちまったことは、しかたがねぇ)

 実正は頭をふるい、次々と積もり来る雪を払い落とした。

『勝った後こそ、気を抜かずに』……景義にさんざん言われていたことの意味を、ようやく身をもって理解した。


(今頃、伯父上はあきれ返っておろうのう……)

 それを思うと、自然と、ため息をこぼさずにはいられなかった。

 とにかくも、実正は津軽地方の征圧を命じられ、本軍が帰った後も奥州に留まった。

 それからまたたくまに三ヶ月が過ぎ、時すでに、十二月しわすすえになっていた。



「ひどい吹雪だ」

 実正は屋敷のなかに戻り、厚く着込んだ熊皮の上から、大きな雪の塊を払い落とした。


 ――地元の領主の屋敷を占領している。

 まきの高く積まれた小部屋の奥が、大部屋になっていた。

 部屋の中央には大きな囲炉裏。

 火の上には魚や獣肉がいぶされている。


 炉端では、年長の親族である大見家秀が、文机にむかい、黙々と文をしたためている。


 実正はカラ元気の笑顔を作り、家秀に語りかけた。

「さすがは北の最果てよ。伊豆では見たこともない雪の量じゃ。たまげたものよ」


 家秀は顔をあげると、うむ、とうなずいて、まったく違う話をした。

「中八殿はやはり、討たれたようじゃ」


 実正は一瞬、遠い目をして、それから顔をゆがめ、「……悔しいのぅ」と力なく呟いた。

 中八惟平とは山木挙兵以来の仲で、互いにあの石橋山を生き伸びた、数少ない盟友であった。

 中八は秋田城あきたのじょうに駐屯していたが、その秋田城が、敵の手に落ちた。

 一度は消え去ったかに思われた奥州の火が、思わぬところから、ふたたび息を吹き返しはじめたのだ。


 各所に出した斥候たちによって、戦の詳細がはっきりとわかってきた。


 反乱軍は南北に、息を合わせて火の手をあげた。

 北からは、津軽の豪族、大河おおかわ兼任かねとうに率いられた大軍。

 南からは、出羽でわ陸奥むつの残党たち。


 北から攻める大河軍を、途中、不慮の事故が襲った。

 足元の雪下で八郎潟はちろうがたの氷が割れ、その戦力の大半が溺れ死んだのである。

 頭目の兼任は、沈思した。


(行軍をつづけるべきか、やむべきか。だが南の反乱兵たちとの約束がある。かれらの期待を裏切ることはできない。南北から秋田城を挟撃すれば、寡兵でも勝算はある。……鎌倉兵は雪には不慣れだ。雪が味方をしてくれる)


 兼任は目を見ひらき、戦闘に突入した。

 目算たがわず、男鹿の陣を破り、秋田城を攻め落とした。


 南北反乱軍は合流し、この勝利によって、さらに多くの奥州残党たちが集結した。

 鎌倉の勢力を一掃しようと、奥州軍はすでに、宇佐美軍のすぐ目と鼻の先に迫っている。

 四面楚歌の宇佐美軍には、勝算も方策もなかった。

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