第67話 鎌倉軍、凱旋すること




   二



 遠征軍の帰還は、十月かんなづき二十四日、夕刻のことであった。


 出立の頃、青々と冴えわたっていた鎌倉の樹々も、いまや紅葉に美しく色づいている。

 鎌倉じゅうがお祭り騒ぎに湧きかえった。


「鎌倉軍、万歳っ、千鶴丸、万歳っ」


 景兼たちが大騒ぎで出迎えた時、そこには目の力も体つきも見違えるほどに逞しくなった、烏帽子姿の秀清がいた。

 乗馬姿で、顔を溌剌と輝かせている。


 有常が、景兼の肩を引き寄せ、陽気に笑いながら言った。

「景兼。もう千鶴丸ではないよ。元服も無事に済ませ、今はもう、河村四郎秀清殿さ」

「そうでした。飛脚で知らされていたのだけど、ついつい……」


 河村四郎秀清、十三歳……まだまだ体もちいさいが、武者の子らしい、勇壮で末頼もしい雰囲気を身につけていた。

 その華々しい騎馬姿を遠目に見つめ、景義もしみじみと目を細めるのだった。


 隣にいた助秋が、深々とうなずき、感じ入りながらつぶやいた。

「『童形従軍どうぎょうじゅうぐんの策』――すべて殿の思惑どおりにはまりましたのう。二品様のお心を動かすには『千鶴丸』という名でなければならなかった、ということですな。『勝ちを千里の外に決する』とは、まさに殿のこと」


 その言葉に、景義は意外な答えを返した。

景親かげちかのおかげよ」

「三郎殿の?」

 うなずいて、景義は声をひそめた。


「助秋よ。お前にだけ、こっそり教えてやろう。景親が石橋山の戦いで、なぜ陽春丸を軍中に伴ったのか? わしにはずっと疑問であった。わしのほうは、まだ童子であった景兼を、あの戦には伴わなかったというに……。

 平家方が絶対に勝つと思い込んでいた景親の油断もあったであろう。しかし、それだけではあるまい。景親はおそらく、『陣中に初陣ういじんの童あり』と、兵どもの話題にのぼらせることにより、軍の士気を高めようとしたのだ。

 ……そのような想像もあってわしは、今度こたびの策に打って出た」


「なるほど……」


「もたらされた報告を聞けば、実際、千鶴丸の元服式は、鎌倉軍の士気を高める絶好の機会となったようじゃ。たった十三のわらわが出色の働きを見せたと聞けば、大人たちは発奮せずにはおられぬ。先の諸合戦で罪を負った者たちも、この機を逃すまいと、必死に戦に尽力するだろう。

 このような明るい話題は、軍中にはぜひとも必要じゃ。恐ろしいばかりに思慮深い二品様のことじゃもの。そこまで考えを巡らせて、千鶴に赦免を与えたのみならず、機を逃さずに元服式まで行ってみせたのであろう」


「うむむ……」

 と、助秋は感服して言葉もない。


「だが思うても見よ」

 と、景義は別の考えにも水を向けた。「もし石橋山の戦で、景親が佐殿を滅ぼし、完全な勝利をおさめたのであれば、まさに陽春丸こそが、この秀清のように人々の話題を集め、世をときめく者となっていたことであろう」


 紅葉こうようの、黄やくれないの生々しいきらめきが、景義の目を刺し、胸を貫くようだった。

(なぜじゃろう……どうしようもなく、胸が苦しいのは……)


 しばらくして、はたと気がついた。

(そうか、あれはちょうど同じころ――十月かんなづきの二十六日のことじゃったか……)


 片瀬の川原での哀しい出来事が、ありありと心をよぎった。

 紅が、黄が、朱が、風に乗って舞い乱れてゆく。

 それはまるで、陽春丸の目の前をかすめ去った栄光のように、

 戦場で散っていった、数々の命のように、

 忘れないでほしい、と――


「陽春丸。……それから、亡き千鶴丸ぎみ。この世で満たされることのなかった幼い者たちの思いを背負い、河村千鶴丸は生きてきた。この世で浮かばれなかった幼い魂たちは、あの世から千鶴に力を送ってくれていたのじゃろう。

 そして今、すべての思いがひとつになって、秀清という、すばらしい花が開花したのじゃ。……そんなふうに思い描くのは、わしの放埓ほうらつな想像にすぎぬだろうか……」


 聞いていた助秋は、万感あふれ、目頭を押さえた。

「近頃、どうも涙もろうござります」

「わぬしも年を取ったのう……」

「殿も」

「泣くな。わしまでこらえ切れなくなる」

 その景義の目も、いつのまにやら真っ赤に染まっていた。


「じじいふたりして、みっともないのう……」

 そう言いながらも、この幼馴染どうしは肩を並べ、いつまでもふたりして、瞳をにじませていた。

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