応援コメント

第65話 鎌倉軍、平泉に入ること」への応援コメント

  • うーむ、難しいことですよね。
    平和のために戦うのか?
    戦いを避けるためには、たとえば武力を整えまくって敵に「攻めても無駄だ!」と思わせる、などもありますが、どちらにしても平和を叫びまくるだけでは実現しないのが平和な世の中なのでしょうね。

    作者からの返信

    コメント、ありがとうございます!

    >戦いを避けるためには、たとえば武力を整えまくって敵に「攻めても無駄だ!」と思わせる

    「抑止力」ですね。


    >平和を叫びまくるだけでは実現しない

    そう思いますね。

    戦をなくすために戦をした頼朝も、かれが生きている間はよかったのですが、かれがいなくなった途端、内戦の嵐が吹き荒れるようになります。かれの描いた平和が長続きしなかったのは、歴史が示しています。


    今の僕は、平和をもたらすのは、平和の空気・雰囲気だと考えています。まさに、ジュキ君の、シンギング・チャームのような!

    争う空気・雰囲気をまといながら、平和を説いてもダメで、自分のなかの平和の空気・雰囲気を保ちつつ、押し広げてゆく必要がある。

    ジュキ君の、シンギング・チャームは、平和の雰囲気・空気をまとっていて、みながその雰囲気・空気に、触れたい、感じたいと思う。それが『精霊王の末裔』という作品がたくさんの人に読まれる、ひとつの大きな要素ではないかと思います。偉大な作品だと思います。


    『ふところ島のご隠居』はそれとはまた、別の立場に立っているのですが、この作品が「平和への祈り」として書かれたことは、間違いありません。

    公のルール、常識などを無視して、人の命を救おうとする景義。あるいは、愛息の命を奪った、憎き仇を許す悪四郎、……そうした人々を描きたかった!

    長文になってしまいました!(汗) ごめんなさい(^^;)