第65話 鎌倉軍、平泉に入ること

 八月はづき二十一日――


 鎌倉軍はついに奥州の都、平泉ひらいずみに、敵の総大将藤原秦衡やすひらを追い詰めた。


 叩きつけるような甚雨じんう、矢も迷う暴風、天が人々を嘲笑あざわらうなか、両軍は激突した。

 数刻に及ぶ戦の果て、奥州軍の敗色が濃くなるや、泰衡は先祖代々のたてに火をつけて逐電した。


 火はじわじわと燃え広がり、栄華を極めた高殿も、その内を飾るきらびやかな調度品の数々も、記録文書の山々も、すべては灰燼かいじんに帰した。

 猛火は雨と激しく争い、あたり一円が、朦々もうもうたる噴霧と黒煙に包まれた。


 鎌倉軍の本営が平泉に入ったのは、その翌夕のことである。

 あいかわらずの激しい雨が、異国の武者たちの上に、暗く、冷たく、降りそそいでいた。

 人なき都にただよう静寂――たては完全に崩れ落ち、焼け野原と化している。

 おびただしい瓦礫の下に熾火おきびが燃えつづけ、黒煙がくすぶりつづけていた。


 町の一角に、ただ一宇、焼け残った高倉が見つかった。

 煤まみれの扉を打ち破った武者たちは、たちまち目の色を変え、狂喜乱舞した。


 内部はさまざまの宝物ほうもつで埋め尽くされていた。

 日本のものばかりではない。

 海外からも集められた名宝珍宝の数々が、鎌倉人たちの目と心を驚かせた。


 ――美しい宝箱はどれも、沈香じんこう紫檀したんなど、海外由来の香り立つ唐木によって、造作されている。

 宝箱のなかには、金銀財宝が満ちあふれている。


 黄金製のくつ

 紺瑠璃こんるりで飾られたしゃく

 象牙の笛。


 御殿や仏殿のための、きらびやかな宝飾品……玉幡ぎょくはん、黄金製の華鬘けまん瑠璃るりの灯篭。

 黄金製の鶴、純銀製の猫。


 綾綿あやにしきの美しい反物たんものの数々。

 鮮やかな赤で染め出した、蜀江錦しょっこうきん直垂ひたたれ

 日本では造ることができない、縫い合わせのない、幅広の布。


 貴重な漢方薬もある……牛玉は牛の結石、さいの角、水牛の角。

 そのほか、金の器に盛られた白銀塊が、百皿――。



 藤原秦衡が首を討たれたのは、翌九月ながつきに入ってのことである。

 かれの身を滅ぼしたのは、みずからの郎党の、裏切りであった。





 奥州合戦は、決着した。


 平泉に降る雨を見つめながら、頼朝は考えた。

(日の本のすべてが、わが統制下に置かれた。これで、この国からいくさはなくなる……)


 十歳の時に起こった保元の戦で、祖父を失い、親しい親族を多く失った。

 十三の時に起こった平治の戦では、父を失い、ふたりの兄を失い、家財を失い、郎従を失い、官職を失い、名誉を失った。

 人生のもっとも多感な時期に、戦のために、あらゆるものが奪い去られた。


 鬼武者おにむしゃ丸という幼名を名乗っていた頃から、何度もくりかえしくりかえし、(戦というものがなければ……)と、考えに考えてきた。

 罪人となってからは、なおいっそう、考えた。 

 かれの身が苦しみ、心が苦しんでいた。

 どうすればそれができるか。


『この国から戦をなくすために、戦をする』

 それが、かれの出した、ひとつの答えであった。


 この答えが正しいかどうかは、後の世の人々が、必ず判断するであろう。

 とにかくも、ここにおいて、頼朝はその目的を達したのであった。


(……鬼武者丸……お前の戦いは終わったぞ)

 頼朝は、ひとりごちた。



 この行軍のなかで、かれの心に鮮烈な印象を刻みつけたものがある。

 それは、平泉の寺院の数々であった。

 それらの寺院は、京の都と変わらぬほどに、あるいはそれ以上に、巨大にして華麗であった。

 頼朝はこの奥州を、まさに「神仏の国」であると思った。


(於八重と千鶴丸だけではない。鎌倉のために数多あまたの人々が犠牲となって死んでいった。かれらすべての御霊みたまを安んずるため、鎌倉にもこのような寺院を造りたい。千年の幸福を、実現したい)


 黄金をふんだんに使い、輝ける仏の世界を見事に具現した平泉の寺社を巡りながら、頼朝はそこに未来の鎌倉の姿を重ねあわせるのだった。





※ 余談ですが、当然ながら後世の歴史は、「その後も戦はなくならなかった」ことを示しています。頼朝が生きている間は均衡が保たれていましたが、頼朝が没してしまうと、幕府内の内部抗争が激しくなっていきます。

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