第七章 落葉 (らくよう)
第64話 有常、戦場を進むこと
第三部 救 済 編
第七章 落 葉
一
遠い鎌倉には、
兵として、人足として、男たちの姿が忽然と消えた鎌倉であったが、それでも通例どおりに
人は集まらず、ひっそりとしたものであった。
馬場元には五重塔がすでに完成し、人々の祈りを集めるようにして、朱塗りの輝きを放ちながらそびえ立っている。
(見物が少ないからといって、手を抜くでないぞ。この戦のさなか、ひとつでも多くの生命が救われるよう、心をこめて流鏑馬を御
父の景義に言われた言葉を思い出しながら、景兼は今、
(二品様、平次殿、清近先生、有常兄、千鶴丸、葛羅丸……みなの御無事をお祈り申しあげます)
景兼は
人馬は一体となって、
◆
――戦線は日を追って、北へと移動してゆく。
身も世もない女の悲鳴が耳に飛び込んできて、有常は咄嗟に馬を止めた。
叫び声のありかを探しながら馬を駆けさせると、胴丸を身につけたふたりの男が、獣のように泣きわめく娘を、森陰へ引きずってゆくところだった。
「やめぬかッ」
叫びながら有常が追いすがると、
「糞野郎」
それだけ言うと、男たちは有常を無視し、娘を連れ去ろうとする。
その目に、正気の光はない。
「待てッ、勝手な略奪は軍令で禁止されている。お前たち、いずこの郎党か?」
男たちは背をむけて、答える様子もない。
有常は仕方なく、弓を向け、二本の矢をくの字に手挟み、連射の構えをとった。
「わが名は、松田次郎有常。先祖代々の弓矢取り。この距離で、狙うた矢は外さぬ。瞬時に二本の矢を放ち、そなたらの胸に打ち立てる。そなたらは自分が死んだことにも気づくまいぞ。この奥州の果てに死体を晒すか、その娘を置いて早々にここから立ち去るか、どちらかを選ぶがよい」
男たちは憎々しげにふり返り、口汚く罵った。
「若造が、そんなにこの女が欲しいかよ」
「母開、地獄に落ちろッ」
最後の悪あがきとばかりに、男たちは娘の体に手を出して悲鳴をあげさせると、しつこく悪態をつきながら立ち去った。
娘を気遣って有常が馬からおりる、その一瞬の隙に、娘は脱兎のごとく逃げ去った。
また別の場所で、有常は戦場に置き去りにされた赤子を見つけた。
辺りには人の姿は見当たらなかった。
かれは郎党頭の
やがて街道沿いの集落に親切そうな夫婦を見つけると、赤子の世話を頼んだ。
幸いなこと、夫婦は素直に引き受けてくれた。
有常は食糧に銅銭を添え、赤子を
毎日のようにどこかしらで戦闘があり、死体を見ぬ日はなかった。
親を失った子供たち、子を失った親たち。
戦火の黒煙が、無常の空に吹き
有常は、西行のことを思った。
(御師様。数年前、あなたが辿ったのとまさしく同じ道を、今、私は辿っている。あなたが辿ったとき、この道は仏の道だったことでしょう。私が通る今、この道は哀しいかな、
騎乗の有常の目の端を、
それは昔、奥州藤原氏の祖、藤原
小さな寺堂の形に似せて、装飾具を垂らした小屋根と、雲形の
この笠卒塔婆は街道の
それは奥州全土の平和を願う、始祖藤原清衡の、大きな祈りと願いに他ならなかった。
長の年月を風雨に晒され、今では黄金の色も
※ 母開 …… この時代の、最悪の罵り言葉のひとつ。いわゆる、mother fxxker。
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