第62話 真珠が淵のこと
挙兵より
狩野川からひと筋の支流が別れ、守山の南麓に、淵を成している。
一粒の真珠のように
あろうことかその淵に、ひとりの女が身を投げた。
「おい、沈んだぞっ」
「どこじゃどこじゃ」
「
人々が立ち騒ぐなか、女の
深く静かにたたずんだ淵の内奥には、思いも寄らぬほど激しい暗流が、渦を巻いていたのである。
――頼朝はその時、於政と庭に出て、幼い姫を遊ばせていた。
騒ぎに気づくや、藤九郎をひきつれて、興味本位に真珠ヶ淵に行ってみた。
居合わせた人々の話を聞いているうちに、どういうわけかひどく不吉な胸騒ぎがして、みぞおちのあたりを抑えこんだ。
頭を打ち痺れさせるような蝉時雨が、塊となって降りそそいでいる。
藤九郎が、ひとりの痩せた女を連れてきた。
女は紫色の唇をこまかく震わせ、今しも三途の川から這いあがってきたばかりのような……表情のない、暗く冷え切った怖ろしい目で、頼朝の顔を見た。
思わず
「知っている……私は、この女を知っている……」
声がかすれ、うわずった。
「飛び込んだのは?」
頼朝は尋ねた。
女は青ざめ、身を震わせている。
聞こえなかったのか――
「飛び込んだのは?」
自分の不吉な想像が、間違ってくれることだけを願い、頼朝は尋ねた。
――女は、告げた。
「八重姫サマ……」
天が裂け、大地が崩れたかのような激しい
(
頼朝は藤九郎に支えられながら、どうにか踏ん張ると、侍女の口から事の仔細を聞き出した。
八重姫は江間小次郎の妻となって後、ほとんど笑うこともなく、喋ることもなく、涙に明けくれる陰鬱な日々を送っていたのだという。
数日前のこと、八重姫は突如、侍女らを引き連れて伊東の館を抜け出し、峠の難路を苦しみながら辿り、今日、ようやく北条まで辿り着いた。
北条の屋敷をのぞきこみ、頼朝の姿を一目見るなり、侍女たちを置き去りに突然に駆け出し、そのまま身投げしたという。
「八重姫さまは、佐殿が北条の姫君と結ばれ、御子まで生まれたことも存じあげておられました。それでもただ一目、ただ一目だけお姿を見たいと思い詰められて……」
侍女の言葉は、激しい慟哭のなかに断ち消えた。
その言葉のうちに頼朝は、自分への非難の
夜が来た。
頼朝は明かりもつけさせず、部屋の隅に影のように横たわり、うずくまっている。
於政は暗がりにむかって、ひとつひとつ、いたわりの言葉をつむいだ。
「八重姫と御子とのお弔いのために、
苦しみに丸まった頼朝の背を、於政はいつまでもいつまでも、さすりつづけるのだった。
※ 真珠院 …… この時、北条政子が建てた霊殿は、真珠院というお寺として、現在も残っています。八重姫は不幸な女性たちの守り神となり、現在も信仰を集めています。
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