第60話 大姫、幸せを結ぶこと




   三



 春になって寒さもぬくまり、樹々も芽吹き、花々も咲きそめて、北条屋敷の酒肴しゅこうの膳にもいろどりがあふれてきた。


「竹の子の季節よのう」

 時政は嬉しそうに舌なめずりすると、色あざやかな初物はつものを箸でつつき、口のなかで存分に味わった。


 四歳の姫が、自分のちいさなお膳の前で、かしこげな顔をして、ちょこなんと座っている。

 頼朝と於政の夫婦、三郎宗時、小四郎義時の兄弟。

 酒を酌み交わしながら、談笑がつづいていた。


 単身、伊豆山に乗り込んだ時政の話を聞き、宗時があきれ顔で尋ねた。

「なんと、ではその烏帽子売りが、親父殿だったのですか」


 頼朝は、参った参ったと、うなずいた。

「左様。驚いたのなんの……あの時は本当に、口から肝が飛び出る思いであった……」


 ぐわはは、と時政は豪快に笑った。

「わしはいつでも、かわいい姫たちのために、裸で死地に飛び込む覚悟はできておる、ということです。の、姫や」

 時政は手を伸ばし、二本の箸をかわいらしく握りしめている孫娘の頭を、愛しげに撫でさすった。


 この時、よい加減に酔いもまわっていた頼朝の胸に、すこしの歌心がひらめいた。



 竹の子は、守山もりやまにこそ、育ちけれ……



 守山とは、北条の裏山のことである。

 だが歌はそこで詰まってしまい、どう頭をひねっても後がつづかない。


 すると、まさかの時政が、ぽん、としもの句を思いついた。



 末のまでに、千を経とて



 調べがととのって、一座に、ほがらかな笑い声が湧き起こった。


(他のどこでもなく、北条で姫を育ててゆけることになり、本当によかった……)

 ……頼朝の、素直な気持ちであった。


(竹のが、末の末まで相次いでどんどん伸びていくがごとく、いつまでもここに居てくださってよいのですよ)

 ……それが、時政の答えであった。


 頼朝は、時政の人柄の大きさを感じずにはいられなかった。

 伊東では、子種が思わぬ不幸を巻き起こした。

 ところが北条では、子種が思わぬ幸福をもたらしてくれた。

 童の姫は箸を放りだし、ちいさな右手に時政の指をつかみ、左手に頼朝の指をつかんで、いかにも嬉しそうに微笑むのだった。


 一年前には、どうやっても重なりえなかったはずの、婿むこしゅうと――ふたりの想いが重なって、延命長寿を言祝ことほぐ歌さえもが自然に生まれ出た。

 今や、立場相容れぬはずのふたりの男を、いたいけな幼子の指が、しっかりとつなぎとめていた。

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