第57話 於政、兼隆に嫁ぐこと




   二



 娘が源氏の流人とねんごろになっている――時政がその事実を知ったのは、都帰りの、その道中のことであった。


 後妻が、手紙で報せてきたのである。

 あわてふためいた時政は、伊東祐親の先例をそのまま真似ることにした。


平兼隆たいらのかねたかという男がいる」

 屋敷に帰りつくやいなや、於政を呼んで、時政は言った。


都出みやこでの、風情ふぜいのいぃい男じゃ。そなた好みのな。都では検非違使けびいし……すなわち判官ほうがんの職にあらせられた。

 このたび、わしはその判官殿と、京からの道中の苦楽をともにしてな。判官殿は流人ではあるが、平家の縁戚だ。この方を婿に取る約束をした。預かり役のつつみ信遠のぶとおも、よい後見人となってくれるだろう。そなたの娘は、わしの娘として立派に育てあげるゆえ、どうか北条のために、おとなしく婚儀をあげてくれ」


(なんと勝手な――)

 於政はいきどおった。

「妹をおやりください。私はすでに、人のにてございますれば」

「いやいや、相手は是非、長女のそなたを、と言うておる。この約束を果たさねば、北条は苦境に立たされよう。頼む」


 於政は、なんとも答えなかった。

 部屋に戻ると筆をとり、伊豆山に事の次第を報せた。



 翌朝、於政が目を覚ますと、家中の者たちがあわて惑い、誰もが大わらわになっている。

(父上に、なにか特別の公務でも、下されたのであろうか……)

 於政は身づくろいもそこそこに、様子見に出た。


 すると、女たちを引き回し、忙しそうにしている継母ままははに出くわした。

せわしげに、どうかしましたか?」

 尋ねると、継母は、生真面目な顔で答えた。

「今日、婚儀でございますれば」

「婚儀? 誰のです?」

「まあ、あなた様のでございますよ」

 白々しくも驚いたふうに、継母は目を見張った。


(馬鹿な)

 於政は呆れ果てた。

(ようし、父上がその気ならば――)

 於政のなかに、父親と新婿とをからかってやろう、という反骨心がむくむくと湧いてきた。





 夜になり、新婿にいむこ判官ほうがん兼隆かねたかが、堤館つつみのたてから馬を飛ばしてやってきた。

 なるほど、恰幅がよく、色男ふうの、自信満々といった風情の都武者である。


 時政は東の屋敷に男を招き入れると、於政に酌をさせ、酒宴を開いてもてなした。

「この屋敷を宿所として、ご自由にお使いください」

「かたじけない」


 於政は上品な薄紫のうちきに、濃い紫のはかま初心うぶらしく、扇で口元を隠している。

 傀儡子くぐつの芸人も呼ばれ、和気藹々わきあいあいと、うたげの夜はふけていった。


「そろそろ夜も遅うございますな」

 と、時政はわざとらしく、しわぶきした。「寝具を用意させましょう」

「や、これはかたじけない。楽しい宴でした」

「田舎の酒肴が、お口に合いましたかどうか……」

「なになに、都では味わえぬご馳走、思いの他の素晴らしさで……おかげさまで、今宵はよい夢が見られそうです。のう、政姫……」

 兼隆は馴れ馴れしく於政の白い手に触れ、意味ありげな目配せを送ってくる。


 於政はなにも答えず、初々しいそぶりで、しおらしくうつむいた。

「召しを、あらためて参ります」

「うむ、そうか」

 兼隆は、やや強引に於政の手首を引き寄せた。

 耳元に興奮気味に息をふきかけながら、「待っておるぞ」と囁きかけた。


 台盤所で、父は娘に念を押した。

「わかっておろうな」

「ご心配なく。とても素敵な方で、安心いたしました」

「……」

 本心を探ろうと心配げにのぞきこむ父親をよそに、於政は素知らぬ顔で背をむけた。


 対屋に渡り、お召し変えのために用意されたひと間に入ると、そこに、れんが待っていた。

 ふたりして外出用の壷装束を羽織って、こっそりと裏庭から抜け出した。


 ――時に、雨が降っていた。


 蓑笠姿で待っていたのは、宗時である。

 雑色に姫を背負わせている。

 幼い姫は、ぐっすりと眠っていた。

「この男が姫を運びます。あいにくのこの雨で、道はたいそう暗うございます。姉上、お気をつけて」


「三郎殿」

 於政は感謝をこめて、かわいい弟の袖に触れた。

 そしてすぐに、ぬかるんだ道を足早に駆け出した。


 館からだいぶ離れた暗がりで、ふたりの女はついにたまりかねて、笑いを弾けさせた。

「のう、政姫や」

 と、れんが兼隆の口真似をしながら、於政の手を握り、戯れてくる。

をこッ、静かにおし。気づかれたらどうするの」

 れんの手をはたきながらも、ふたりの女はなおいっそう、笑い転げるのだった。



 ――厚ぼったい寝具の上で、兼隆は胸を高鳴らせながら手ぐすねひいて待っていたが、待てど暮らせど、なんの音沙汰もない。

(おかしい……)

 居ても立ってもおられぬ心地で縁側に出たかれは、つめたい雨のそぼ降る蛭島の、東の空を見あげた。


 すると、全身に悪寒が駆け抜けた。

 どこからか戦鼓を打ち鳴らして押し寄せる、魔軍のときの声が聞こえたような気がしたのである。

 兼隆はもう一度、ッと身をふるわせた。


 ――一年半の後、まさにこの屋敷のこの場所で、頼朝が兼隆討伐の下知をくだすことになるのだが、この時のかれは知る由もない――


「北条殿ッ」

 時政の屋敷にすっ飛んで行った時には、すでに新妻は消えていた。

 期待が大きかった分、男にとって、これほど激しい失望はない。

 兼隆は地団太踏んで激怒し、時政をさんざんに罵倒しつくすと、やるせなく奔馬を駆り、雨に濡れそぼりながら、堤館に帰って行った。


 時政も忿怒の表情になって、足元の壷を蹴り割った。

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