第57話 於政、兼隆に嫁ぐこと
二
娘が源氏の流人と
後妻が、手紙で報せてきたのである。
あわてふためいた時政は、伊東祐親の先例をそのまま真似ることにした。
「
屋敷に帰りつくやいなや、於政を呼んで、時政は言った。
「
このたび、わしはその判官殿と、京からの道中の苦楽をともにしてな。判官殿は流人ではあるが、平家の縁戚だ。この方を婿に取る約束をした。預かり役の
(なんと勝手な――)
於政は
「妹をおやりください。私はすでに、人の
「いやいや、相手は是非、長女のそなたを、と言うておる。この約束を果たさねば、北条は苦境に立たされよう。頼む」
於政は、なんとも答えなかった。
部屋に戻ると筆をとり、伊豆山に事の次第を報せた。
翌朝、於政が目を覚ますと、家中の者たちがあわて惑い、誰もが大わらわになっている。
(父上に、なにか特別の公務でも、下されたのであろうか……)
於政は身づくろいもそこそこに、様子見に出た。
すると、女たちを引き回し、忙しそうにしている
「
尋ねると、継母は、生真面目な顔で答えた。
「今日、婚儀でございますれば」
「婚儀? 誰のです?」
「まあ、あなた様のでございますよ」
白々しくも驚いたふうに、継母は目を見張った。
(馬鹿な)
於政は呆れ果てた。
(ようし、父上がその気ならば――)
於政のなかに、父親と新婿とをからかってやろう、という反骨心がむくむくと湧いてきた。
◆
夜になり、
なるほど、恰幅がよく、色男ふうの、自信満々といった風情の都武者である。
時政は東の屋敷に男を招き入れると、於政に酌をさせ、酒宴を開いてもてなした。
「この屋敷を宿所として、ご自由にお使いください」
「かたじけない」
於政は上品な薄紫の
「そろそろ夜も遅うございますな」
と、時政はわざとらしく、しわぶきした。「寝具を用意させましょう」
「や、これはかたじけない。楽しい宴でした」
「田舎の酒肴が、お口に合いましたかどうか……」
「なになに、都では味わえぬご馳走、思いの他の素晴らしさで……おかげさまで、今宵はよい夢が見られそうです。のう、政姫……」
兼隆は馴れ馴れしく於政の白い手に触れ、意味ありげな目配せを送ってくる。
於政はなにも答えず、初々しいそぶりで、しおらしくうつむいた。
「召しを、あらためて参ります」
「うむ、そうか」
兼隆は、やや強引に於政の手首を引き寄せた。
耳元に興奮気味に息をふきかけながら、「待っておるぞ」と囁きかけた。
台盤所で、父は娘に念を押した。
「わかっておろうな」
「ご心配なく。とても素敵な方で、安心いたしました」
「……」
本心を探ろうと心配げにのぞきこむ父親をよそに、於政は素知らぬ顔で背をむけた。
対屋に渡り、お召し変えのために用意されたひと間に入ると、そこに、れんが待っていた。
ふたりして外出用の壷装束を羽織って、こっそりと裏庭から抜け出した。
――時に、雨が降っていた。
蓑笠姿で待っていたのは、宗時である。
雑色に姫を背負わせている。
幼い姫は、ぐっすりと眠っていた。
「この男が姫を運びます。あいにくのこの雨で、道はたいそう暗うございます。姉上、お気をつけて」
「三郎殿」
於政は感謝をこめて、かわいい弟の袖に触れた。
そしてすぐに、ぬかるんだ道を足早に駆け出した。
館からだいぶ離れた暗がりで、ふたりの女はついにたまりかねて、笑いを弾けさせた。
「のう、政姫や」
と、れんが兼隆の口真似をしながら、於政の手を握り、戯れてくる。
「
れんの手をはたきながらも、ふたりの女はなおいっそう、笑い転げるのだった。
――厚ぼったい寝具の上で、兼隆は胸を高鳴らせながら手ぐすねひいて待っていたが、待てど暮らせど、なんの音沙汰もない。
(おかしい……)
居ても立ってもおられぬ心地で縁側に出たかれは、つめたい雨のそぼ降る蛭島の、東の空を見あげた。
すると、全身に悪寒が駆け抜けた。
どこからか戦鼓を打ち鳴らして押し寄せる、魔軍の
兼隆はもう一度、
――一年半の後、まさにこの屋敷のこの場所で、頼朝が兼隆討伐の下知をくだすことになるのだが、この時のかれは知る由もない――
「北条殿ッ」
時政の屋敷にすっ飛んで行った時には、すでに新妻は消えていた。
期待が大きかった分、男にとって、これほど激しい失望はない。
兼隆は地団太踏んで激怒し、時政をさんざんに罵倒しつくすと、やるせなく奔馬を駆り、雨に濡れそぼりながら、堤館に帰って行った。
時政も忿怒の表情になって、足元の壷を蹴り割った。
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