第53話 千鶴、烏帽子を戴くこと

 元服式は夜に行われるのが通例であったが、夜を待つことなく、式は執り行なわれた。


 千鶴の左右に、紙燭しそくの火が灯された。

 理髪役が、後ろで縛っていただけの童子の長い髪をほどき、適度な長さに切りそろえ、たくしあげ、もとどりを結いあげてゆく。

 髪が整うと、烏帽子親の小笠原長清が、千鶴と向かいあって座した。


 千鶴はちらりと、師の清近のほうを見た。

 清近はあいもかわらず糞真面目くそまじめに、顔をいかめさせている。

(先生はあいかわらず、鬼のような顔をしている……)


 千鶴の頭に、小笠原長清がしっかりと初冠ういこうぶりの烏帽子をかぶせた。


 この瞬間も、清近は無表情であった。

 しかし、誰が気づいたであろう。

 清近の胸のうちに秘められた感慨は、えもしれぬほどに深かったのである。


(思えば、妙なえにしであった……)

 清近は、思った。


 ……初めて出会ったとき、千鶴はまだなにも知らぬ、よく笑い、よく泣く、天真爛漫な幼児だった。

 清近も初めのうちは、ちょっとばかり景義の手伝いをするだけのつもりであったものが、やがては本腰を入れ、みずからの家に預かるようになり、わが子同然に厳しく……いささか厳しすぎるほどにつわものの道を仕込んできた。

 四尺に満たなかった背丈も、五尺にまで伸びた。


『なんだ、泣いているのかッ、千鶴』

『いえ、泣いておりませぬ』

 口ではそう言いながらも、目には涙をあふれさせて、ついてきてくれた。


 何度となく、清近のもとを逃げ出した。

 しかしそれを誰が責めることができようか。

 この童は頼るべき父もない、家もない、それどころか命さえ奪われかねない、そんな身も細るような苦境のなかに置かれていたのだ。

 幼いながらに、自分で自分をなんとかしなければならない、と思い詰めていたのだろう。


(そうか……)

 と清近は、この時はじめて、千鶴の思いに気がついた。

(自分で自分を……と、そういう思いがあったのか)


 その重圧は、並大抵のものではなかったはずである。

 子供らしく、なにも考えず、無邪気に遊びたい盛りに、それは叶わなかった。

 淋しかったろう、苦しかったろう。

 人並み以上に努力を重ね、我慢に我慢を重ね、今、ようやくのことで晴れの時を迎えることができたのである。


『育てることは、待つことぞ』

 ……いつか景義から言われたその言葉も、清近の胸に思い返された。

 一人前になるのは、もっと時がかかる、もっと先だ、とばかり思っていたのに、それが今、ふいに訪れてしまった。

 なんという不思議な運命の綾だろう。

 よもやこのような形で、その瞬間を迎えることになろうとは……。


(もっともっと、待つつもりであった……)


 儀式は進んでゆく。

 酒杯が運ばれ、三献の儀が行なわれた。

 頼朝から、真新しい一揃えの武具のほか、さまざまの宝物が贈られた。

 朝日にきらめく十三歳の若武者の姿は初々しく、まさに受け継いだ一文字のごとくに、清らかであった。


 式が終わり、一同、深く一礼した。

 まさにその時、千鶴は、大きな水滴がぼたぼたとこぼれ落ちる音を、かたわらに聞いたのである。

 ハッと、そちらにふり返れば、あの鬼の清近が声も立てず、目を真赤に、顔をくしゃくしゃに、大粒の涙を流していた。


「先生……泣いているのですか……」


 驚いて問うた千鶴に、清近は必死にこらえながら、喉の奥から絞り出すように、ふるえる声で答えた。

「いや、泣いてはおらぬ」


 それを聞いた千鶴の顔に、ぱっと、つゆぶくみの笑顔が咲きほころんだ。

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