第五章  制多伽童子 (せいたかどうじ)

第43話 鎌倉の軍勢、出陣すること

第三部 救 済 編


第五章 せい   どう 




   一



 七月ふみづき十八日。


 比企ひき能員よしかず宇佐美うさみ実正さねまさ率いる北陸道軍が、大きなときの声をあげ、戦鼓を打ち鳴らしながら、先駆けて鎌倉を出発した。


 千葉ちば常胤つねたね八田はった知家ともいえ率いる東海道軍もまた、下総しもうさ国に戦旗を奮った。


 翌、十九日。

 いよいよ頼朝率いる鎌倉本軍一千騎が街道を北上し、奥州に向けて進撃を開始した。


 しかして、身をよろう大軍の歩みは遅い。

 北関東の御家人たちと順次合流しながら、坂東と奥州との境である白河関に達するまでに十日を要し、陸奥国内の国見駅に辿りついたのは八月はづき七日のことであった。


 この間、大きな戦闘が行われなかったのは、奥州の軍勢が国見駅の北、阿津賀志あつかし山に集結し、今や遅しと鎌倉軍の到来を待ち構えていたからである。



 ――雷のひどい日であった。


 雷霆らいていは激しく天を引き裂き、轟音は半刻にわたって大地を揺らしつづけた。

 そんな霹靂へきれきの凄まじい光のもと、鎌倉の武者たちは白々と不気味に横たわる、奇怪な大蛇おろちの腹を見た。


 間近に迫れば、それは息をのむほどに巨大な防塁であることがわかった。

 手前には水堀が二重に穿うがたれ、その向こうには三重の土塁が多段滝のように折り重なっている。

 大蛇の全長は延々七里の距離にわたり、一望できぬほどに長大である。

 重くたちこめる雲海の下、鎌倉軍の行く手を、難攻不落の長城が塞いでいた。



 夜に入るや、鎌倉軍は人足を使い、すきくわとで堀を埋めたてにかかった。

 敵陣から矢石が雨と降りそそぐなか、人足たちは死と隣あわせの危険な作業をつづけた。


 ついに戦端が開かれたのは、翌早朝のことである。

 鎌倉軍は猛将たちが連携し、代わる代わるに押し攻めた。

 乱れ舞う剣林と、矢の雨の下を、堀を渡り、防塁に取りつき、敵味方も分別ならぬ死体の山を踏みにじりながら、土塁をよじり越えた鎌倉軍は、ついに阿津賀志山へと進撃した。

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