第42話 実正、大将軍に選ばれること

 実正が、由比の屋敷に挨拶に来た。


 えらく派手な色の直垂ひたたれを着崩して、若い荒くれ者たちを従え、勢いは隆盛そのものの二十代である。

 流行なのか、なんなのか、烏帽子をわざと傾けてかぶっている。


「なんじゃ、その烏帽子のかぶり方は」

 景義は腕を伸ばし、実正の耳たぶを、思い切りひねくり返した。

「ア、ィッテ……伯父上、ご勘弁を……」

 慌てて実正は、烏帽子をまっすぐにかぶり直した。


 すぐに背筋を伸ばし、めいっぱい礼儀正しく頭をさげた。

「この度、私は鎌倉一族を代表して、北陸道の大将軍に選ばれました。伯父上のご尽力の賜物です。ありがとうございます」


 この度の奥州攻めは、三手に別れて北上進軍する。

 頼朝本軍、東海道軍、北陸道軍である。

 その一手である北陸道軍を、実正が指揮することになったのだ。


 実正の気を引き締めるように、景義は尋ねた。

「なぜ選ばれたのか、わかっておろうな?」

「はい、御霊ごりょう様のおかげです。すでに一番に、御霊社にご報告して参りました」

「うむ、殊勝な心がけじゃ」


 百年前の奥州合戦において、鎌倉権五郎ごんごろう景正かげまさ出羽でわの地に勇名を轟かせた。

 その吉例をもって、子孫の実正が出羽攻めの大将軍に選ばれた、と……そういう意味である。


「よいか。戦の前に和殿に訓示しておく。


『戦に勝って 将、おごり、卒、おこたる時は、必ず破るとえり』」


「おおっ? またアリのケツのカンピシですか?」

「いや、この言葉は宋義という、唐土もろこしの将軍の言葉じゃ」


 景義は、実正のみぞおちを、ぐりぐりと拳で突いた。

「勝った時こそ、気を引き締めよ……勝ったその直後にこそ、人は油断し、調子に乗って墓穴を掘る。上に立つ者は、たとえ戦に勝っても調子に乗ってはならぬ。負けた時と同じく、常に反省の心を持ちつづけねばならぬ。

 ……この訓示を今この時に当てはめて言えば、大将軍に選ばれた今こそ、調子に乗るのではなく、なおさら気を引き締めねばならぬ時ぞ」


「……面目ありませぬ」

 素直に肩をすぼめる実正に、反省の色も充分と見ると、景義は声の表情をやわらげた。


「……とにかくも、めでたいことじゃ。兄貴の正光も、あの世で喜んでおるじゃろうて、のう……」

 実正はしみじみとうなずき返した。

 いつも兄の平太正光のことは、胸に忘れずにいる。

 ひとつ間違えば、あの石橋山の戦場に死んでいるのは、自分であったのだから。


「実正よ。和殿は合戦の経験が豊富じゃ。だからわしは何も心配はしておらぬ。御霊様と同じく、こたびも武勇を轟かし、無事、帰って来るのじゃぞ」

「ハイ。宇佐美の母上と、息子の小平次のこと、よろしくお願いします」


「うむ、案ずるな。そなたの留守の家中はしっかりとわしが守るでの。安心して行ってこい」

「はい」

「わしも鎌倉から支援する故、不足のものがあれば、すぐに飛脚を遣わせよ。なにか知恵が必要なら、こちらでも考えて動くゆえ、詳しく文を遣わせよ。連携が大事じゃ」

「お願いします」

 めでたく大任を授かったとはいえ、若い実正の心中は不安でいっぱいであった。

 頼れる父親のような景義と話していると、自然と肩の荷が軽くなってゆくような思いがした。



 帰り際になって、実正は――この強面こわおもての、がたいの大きな男が、少年のような面持ちになって言うのだった。


「伯父上、その……」

「なんじゃ?」

「その……また権五郎の話を、聞かせてくだされ」

「ははは、そんなことか」

 よしよし、と、ふたりきり、差し向かいで権五郎の話をはじめた。


 唾を飛ばして語る、景義のその声は、威勢よく、朗らかで、あたたかだった。

 そしてまた、腹の底に眠っている勇気を、奮い起してくれた。

 実正はじっくりと味わうように、噛みしめるように、心にふかく聞き留めるのだった。


 景義は語りながら、実正の影が、すぅと……薄くなってゆくように感じた。

(む?)

 景義は、袖で目をこすった。

 実正は熱心に、耳をかたむけている。


(目の、異常か……)

 景義は、ふかく気に止めることはしなかった。


 庭に開け放たれた屋敷の居間に、夏の終わりの夕陽がまぶしく差し込み、つくつく法師の声が淡く響いていた。


 これが景義と実正の、最後の思い出となった……。

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