第40話 義景、憤ること

 面白くないのは、長江義景である。

「景義め。動きは鈍いのに、口だけは滑るように動きよるわ」


 長江義景――この男はかつて、鎌倉を代表する神宝奉行に任命された。

 鎌倉初の流鏑馬で、一番射手の栄光に浴した。

 それでもなお、かれの貪狼どんろうの如き心は満たされなかった。


 むしゃくしゃしながら屋敷に戻ると、お供の雑色連中のふざけ声が耳に入ってきた。


「あのふところ島の足弱の爺さんが御所にやってくる様子を見たか」

「ああ、ひょこひょこひょこひょこと、まったく滑稽なことよ」

「こんな感じじゃ」

 と、ひとりが、いかにも大げさに、不恰好に、景義の歩きざまを真似した。

 すると大爆笑が湧き起こり、つづいて「足萎え、足萎え」と、はやし声があがった。

 主人の義景が景義を敵視しているのを知っていて、下々の連中にもその気分が乗り移っているのである。


 この様子を見た途端、頭に血がのぼった義景は、一足飛びに雑色たちの輪のなかへ躍り込み、手当たり次第に殴りつけて回った。


をこどもめ、恥を知れ、恥を」

 全員が倒れこんで殴る相手がいなくなると、うずくまった者たちになお足蹴りを入れ、怒鳴りつけた。

 ――凄まじい怒りぶりであった。


「よいか、景義の悪口を言ってよいのは、このわしだけじゃ。貴様らのような下衆げすの相手ではないッ、わかったかッ」

 雑色たちは床に頭をついて、なぜ怒られたのかも理解できぬまま、ひたすら平伏するばかり。


 義景はすぐに郎党たちを集めた。

 郎党たちは余計な私語を発さぬ、よく訓練された、骨のある武骨者ぶこつものが揃っている。


 義景は、雷鳴のごとき声を張りあげた。

名越山なごえやまを越えて昇る朝日とは、いったい誰のことか?」

「もちろん、殿がことにてございまするッ」


 即座に返ってきた答えに気をよくして、義景はうなずいた。

「しかりッ。われわれはこれより二品様につき従い、奥州へいくさしに参る。出陣じゃ、急いで長駆出陣の仕度をせよ」

 応ッと一斉に、太いたけり声があがった。


(この行軍の最中、好機があれば殺手をさしむけ、どさくさに紛れ、景義を亡き者とすることもできよう。景義さえいなくなれば、大庭御厨をわが手にするのは、いともたやすいこと……)

 義景は算段を巡らせた。


 先ほど雑色たちを殴りつけた拳が、いつのまにやら血まみれになっていた……自分の血か、返り血か……その血を舌で舐め取りながら、義景は悦に入った笑い声をあげるのだった。




   三



 かつてない大戦の準備に、鎌倉じゅうが大わらわであった。


 隣の屋敷からは悪四郎が、いつものごとく血相変えて飛び込んで来た。

「おい、ふところ島の。貴様、出征せぬとな」


 景義は、静かにうなずいた。

「留守役に決まり申した。留守役とて、大事の御役目でござる」

 長江義景が聞いたなら、がっくりと肩を落としたであろう。


 悪四郎も皺だらけのひたいに、手を当てた。

「カァーーッ、ふところ島。貴様、ふぬけたのう。情けないわ。歴戦のつわものならば、陣頭に立たぬか。わしはくぞッ」


「なにッ? 本気でございますか」

をこッ。二品様が御出陣なさるのに、この一の郎党である岡崎の悪四郎がさきがけせぬはずがなかろうがッ」


 唾液としわがれ声を、いっしょくたに噴き出し、悪四郎は言った。

 この年、よわい七十八。


(気力の衰えぬご仁よ)

 景義は舌を巻いて、「参りましてございます」と素直に頭をさげた。

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