第39話 景義、名馬を授かること

「景義、そなたには名馬をたまう」


「ハハッ、ありがたきしあわせ」

 予想外の褒美に驚いた景義は、扇を放り出し、額を床にすりつけた。


 この時、頼朝に命じられ、馬を庭へ引いてきたのは、結城ゆうき朝光ともみつという若者であった。

 この紅顔の若武者は、頼朝の乳母の子で、元服の際には頼朝が烏帽子を被せ、その名に「朝」の一字を与えた。

 頼朝が、特にかわいがっている近習である。


 朝光に引かれてきた馬は、一見して、名馬の品を備えていた。

 馬も名馬ならば、くら螺鈿らでんをちりばめた名品である。


 馬にはうるさい景義も、思わずわれを忘れて見惚れているところに、馬の差し縄が宙を飛んできて、膝もとにバタリと落ちた。

 朝光が投げたのである。

 若者は人なつこい表情を浮かべ、にぃッと、意味ありげに笑いかけた。


 即座に意を汲んだ景義は、縄の端を胸元に抱き、頼朝にむかって拝礼した。

「素晴らしき名馬と鞍、景義、一生の宝にいたしまする」

 この一連の光景を心に捉えた頼朝は、ひとかたならぬ満足の笑みで、退出した。


「結城殿」

 と、景義は、すぐさま朝光を呼び寄せた。

「この景義、本来ならば庭におりて御馬を拝領せねばならぬところ。しかしてわしのこの脚では、ただちに庭におりるのが難しい。それをわかって、咄嗟の判断で、馬の差し縄を投げあげてくださった。そのかんばしいお心遣いは、直千金あたいせんきん。かたじけのうござった」

 景義は朝光の手をとり、何度も礼を言うのだった。


 ふたりの様子を、西の対の端からのぞいていた頼朝は、於政に言った。

「あれを見よ。景義の豊かな経験と博識。朝光の利発な心と武者ぶり。素晴らしき古老と素晴らしき若者とが、ともに支えあい、手をとりあっている。これが今の鎌倉よ」

 自信と気力をみなぎらせた頼朝の顔は、まさに惑いなき、不惑のかおであった。


 於政は高欄に手をかけ、思わずほほ笑みを浮かべた。

 夫の語った言葉の意味を、瞬時に理解したのである。

 妻のその聡明な、理知の微笑を見たとき、頼朝は一種の感動を覚えた。


 ふたりは無言のうちに袖を寄せ、歩みを合わせ、御所のほそどのを力強く渡っていった。





 甘縄の道を得意げに、大庭の一行が、胸を張って帰ってゆく。

 町の人々は何事かと立ち止まり、この活気あふれる一団を、好奇の目で見送った。


「さすがでございました、父上」

 頬を上気させた景兼は、自分の馬から上体を伸ばし、授かった御馬の首をかきいだかんばかりに、誇らしげに撫でさすった。


 しかし、父景義は表情を崩すこともなく、眉根を寄せ、厳しい面持ちを見せている。

(父がこんな顔をした時は、お説教がやってくる)

 ……景兼は慌てて背筋を伸ばしたが、案の定であった。


「よいか、景兼。この一件、これで終わりではないぞ。朝廷の意向を無視して合戦に臨むのじゃ。もし万一、このことによって幕府に大なる差し障りが生ずるならば、わしはみずからの命をっておびせねばならぬ。……そういう覚悟で、発言をしている。

 私一身の命を顧みず、おおやけのために最良であると信ずる所を上申する。これが臣の道であり、つわものの道である。とくと心に刻みつけておきなされよ」


 景兼は「はい」と元気よく返事をして、騎乗の父を誇らしげに見つめるのだった。


「大おじ上、どうしても戦は避けえませぬか」

 有常が、つと馬を寄せ、憂いを帯びた表情で尋ねると、景義はうなずきながら答えた。


「二品様は、『すべての戦をなくすため、この戦を遂行する』とおっしゃられたそうじゃ。それが正しいことかどうか……正直、わしにはわからぬ。ただ、世の大勢は、すでにそちらにむかって動いている。すでに戦を止めるのは、不可能。ならば、二品様の御心を汲んで、すみやかに事が運ぶよう力を尽くそうと、わしは思う」


 いつになく厳しい景義の横顔を、有常はッと見つめるのだった。

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