第38話 景義、難問を解き明かすこと

 色が抜け、年々白さを増しているその顎鬚あごひげを指先でひねりひねり、老翁は思慮を深めた。


「百年前の奥州合戦において、源義家公は清原家の跡目争いに助力しました。兄の清原清衡きよひらに加勢し、弟の清原家衡いえひらを討ち滅ぼしました。


 合戦勝利の後、義家公が朝廷に事後の許諾を求め、追討の勅許を求めたところ、朝廷は恩賞を出すことを渋り、追討の宣旨を出すことをついに認めず、その戦いを『私戦』とみなしました。源家の勢いが増すことを懸念しての措置でございましょう。


 朝廷から恩賞が出なかったため、義家公が私財を投げ打って御家人たちに恩賞を与えたのは、世に有名な話です。この百年前の事件を、逆手さかてに取るのです」


「ふむ、つまり?」


「つまり、こうです。『この度の奥州戦は、追討の宣旨の必要なし。なぜなら奥州藤原の祖、清原家は、源家の家人だからである。主人がみずからの家人を罰するのに、追討の宣旨は必要ない。


 ……源家と清原氏の争いに追討の宣旨が必要ないことは、すでに先例があり、応徳年間における先の奥州合戦において、朝廷自身が認めているところである』


 ……いかがでしょう? 勅許を求めて得られなかった義家公の百年前の鬱憤も、一夜にして晴れましょうぞ」


 驚くべき博識と論理に、頼朝は即座に膝を打った。

「なるほど、なるほど……。藤原秦衡の祖である清原氏は、わが祖八幡太郎義家公の幕下とな。……ふむ、それしかあるまい」

 頼朝は心中にあらゆる可能性を模索しながら、ひとり、何度もうなずいた。


「いかにも」

 と、景義はさらに言葉をつづけた。

「さてさて、勅許のこともさりながら、他に急がねばならぬことがございます」

「なにか?」


「鎌倉に群参する武者たちのことでございます。いたずらに日を費やすうちに、士気もさがり、糧食も目減りし、荒々しい武者どものあいだには悶着さえ起こり、さまざまなわずらいが、現に、生じておりまする。武者たちのなかには貧しい者も多く、ほとんど自腹で駆けつけておるのです。さすれば、このようにつらつらと考えているいとまなどございませぬ」


 パチリ、蝙蝠扇をひとつ打ち、景義は大喝した。


「すでに兵が集まりきっている今においては、一刻も早く、奥州にむけて発向せしめ給うべしッ」

 坂東の荒野に馬を追うような声に、左右一同、どよめき立った。


 老翁は扇をひらき、胸元を煽ぎながら、そらとぼけたように、おおらかな笑みを浮かべてみせた。

「……と、非才は考えておりまするが、いかがでございましょうな」


 ――非才どころではない。

 一を聞いて十を答えた景義の言葉に、頼朝は満悦至極である。


「そなたはよくぞ、よくぞ私の心をわかってくれている」

 言うや、頼朝は裾を払って立ちあがった。


「ただちに鎌倉中の軍士に触れよ。奥州にむけ、進撃する」


 御所は、にわかに騒然となった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る