第37話 奥州合戦のはじまり

 この夏、鎌倉府が全勢力をあげての奥州遠征が始まろうとしていた。


 東国からも西国からも、召集に応じた武者たちが、鎌倉めざして続々と集まってきた。

 遠くは西のさい果て、薩摩さつま国の者たちもいた。

 頼朝はこの奥州遠征によって、日本全土を鎌倉府の統制下に置こうと目論んでいた。


「この世からすべての戦をなくすため、この戦を遂行する。そのために、私みずから出陣する」

 上座から宣言するや、侍所さむらいどころに居並んだ御家人たちはどよめいた。


 頼朝自身が戦に出るのは、実に数年ぶりのことである。

 それはこのたびの遠征にかける頼朝の決意が、並々ならぬものであることを意味していた。


「われらが兵は、全国津々浦々から、続々と鎌倉に集まっております。よもや奥州勢に劣ることはありますまい。しかし、ひとつ問題が……」


 重臣たちの言を受け、頼朝はうなずいた。

「わかっている。勅許のことであろう」


 頼朝は憂いに眉を寄せ、宙を見据えた。

 いくさをするにも、朝廷の許可がいる。

 その勅許が、いまだもって、おりない。


「誰ぞ、よい案はないか」

 文官も武官も、みな押し黙ったままである。

 もはや貢物みつぎものも調略も、対朝廷工作は万策尽き果てている。

 いくら頭をひねれども、僻遠の坂東人たちの頭に、即座に勅許を得る妙案など、思い浮かぼうはずもなかった。


「誰もおらぬか」

 深く、頼朝はため息をついた。

 ……とはいえ、かれの脳裏にはひとりの人物の顔が浮かんでいた。

「大庭平太を呼べ」


 長江義景は仰天した。

「大庭平太を? かの老人は政治まつりごとに関わったためしはござりませぬが……」

「かまわぬ。大庭平太は八幡宮で、夏越祭なごしさいの準備を行なっておろう。呼んでまいれ」

「ハハッ」


 ほどなく、杖の古老がのそりのそりと現われた。

 左右を、有常と景兼が補佐している。


 人々の興味ぶかげな注視のなか、侍所の西の端からあがってきた老人は、二列に居並んだ御家人たちのあいだを、ボンッ、ボンッと綿を巻いた杖を漕ぎながらゆっくりと進み、用意された円座わろうずに、左脚を投げ出して着座した。


 三人揃って一礼すると、すぐに下問があった。


「大庭平太、そなたは誰よりも兵法の故実に通ずる者なれば、こたびの奥州遠征のこと、そなたの意見を聞きたい。朝廷はいまだもって勅許をくだすことを渋っておる。なにか妙案はないか」


「なるほど、勅許がおりませぬか……」

 居並ぶ御家人たちを前にして動じることもなく、景義はもの慣れた、いつものひょうひょうとした調子でしゃべりはじめた。


「われらといたしましては、すでに大軍を召し集めてしまいましたからのう……はてさて、いかがすべきでしょうかな? ――たとえば異朝の故事には、こんなことを申します。


『軍中は将軍の令を聞き、天子のみことのりを聞かず』と。


 ……朝廷への戦はじめの報告は、すでに済んでおります。戦は、はじまっているも同然。ならば、天子様ではなく、将軍の下知に従うのが兵道というものでござりましょう。

 ……だがしかしながら、ふぉふぉ、その論理では朝廷はとても納得しますまいな」


 庭に植え並べられた枝垂しだれ柳の、眩しい青色に目を細めながら、景義はひと呼吸おいた。


「勅許が必要な理由は、みっつ。これらが本当に必要なものなのか、ひとつひとつ吟味せねばなりません。……まずひとつめは、戦費」


「戦費はもともと、われらでまかなう予定である」

 と、即座に頼朝は答えた。


「ならば、不要。……ふたつめは、戦後の恩賞」

「それも鎌倉から土地なり、官職なりを発給する予定だ。御家人については、いまや鎌倉の一元管理のもとにある。朝廷の介入は、もとより無用」


「……みっつめは、朝廷から国賊とみなされぬ、いわゆる『大義名分』です」

「それよ、それ。そなた、どう考える?」

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