第35話 三人、紅葉樹の下をゆくこと

「有常にい――」

 と、ふたりは目を輝かせて駆け寄った。


「立派なお姿で、見違えます」

「今日は侍所さむらいどころに呼ばれてね。この着物は、ありがたくも、そなたの母御前ははごぜに仕立てていただいたのだが――こうした立派な衣服に慣れなくて、恥ずかしいばかりだよ」

 有常は、張りのある丸襟をつまんで、窮屈そうに首を動かした。


 近頃、景義が、鶴岡境内に警備のための小館を建造し、庭に多くの紅葉樹を植えた。

 その景観があまりにも見事であったため、頼朝がそこで、紅葉を愛でる遊宴を開いたほどである。

 その紅葉樹の下を、三人は歩いてゆく。


 祭日には流鏑馬馬場となる参道を横目に見て、誰もが、かの日の興奮を思わずにはいられなかった。

「有常兄は、すごかった……」

「そうだね。本当にかっこよかった。千鶴もいずれああなるんだよ」

 景兼がうなずきながら言うと、千鶴はうつむいてしまった。


「清近先生のところは、つらいかい?」

 有常が尋ねると、千鶴は無言で、ちいさくうなずいた。

「のんびりやればいいさ」

 と、景兼が声も明るく励ました。「今回のことも、父上と美奈瀬の叔母上が取り成しておいてくれたから、もう心配はいらない。先生もたいして怒りはしないよ。私も一緒についていてあげる」


 有常も、美服の膝を地につけて、目線を近づけて言った。

「千鶴、私はこのあいだの流鏑馬で、すべてめでたしめでたしとは、思ってはおらぬよ。あの流鏑馬の時、私は千鶴に、景兼に、みんなに力を貸してもらって成功することができたんだ。だからこれからは恩返しの気持ちで、千鶴、そなたを支えていきたいと思っている」


 瞳を潤ませた千鶴の頭を撫でて、有常は気分転換を誘うように言った。

「今からみんなで松田へ行こう。松田には立派な御亭があってね、あの御殿は、一見の価値がある」

「そうそう、太郎丸の顔も見たいしね」

 と、景兼も乗り気である。


 ――太郎丸とは、有常とみおの赤子である。

 無事の出産を終え、すくすくと元気に育っている。


 千鶴の顔は、戸惑いにあふれた。

 一番に思い浮かんだのは、清近の怒り顔だった。


「大丈夫、もう、先生のお許しはいただいてあるよ」

 景兼のこの言葉をきいて、千鶴は思わず、笑みを浮かべかけた。

 その時突然、キョウッ――と、昨晩耳にした鶴の声が、千鶴の耳の奥にひびいたのである。


 同時に、母の声が胸に甦ってきた。

(よいですか、千鶴丸。明日は必ず、藤沢殿のところへ戻るのですよ。目をまっすぐに見て一心に謝れば、藤沢殿は必ずお許しくださります)

 白い光に包まれるようにして、神棚にむかって一心に手をあわせている母の姿がありありと心に浮かんだ。


 千鶴はしばらくのあいだうつむいていたが、やがて決心するように有常の顔を見あげた。

「やっぱり、千鶴はゆくのはよします」

「なぜだい?」

「先生に謝ってからでないと……」


 意外な言葉だった。

 有常と景兼は思わず顔を見あわせ、ふたりとも晴ればれとうなずきあった。


 やがて三人は源平池のほとりに出た。

「ほら、見てご覧、綺麗だよ」


 澄みわたる秋の空にむかって、木々の色がなだらかに移り変わり、燃えるような光をたちのぼらせている。

 木々の投げかける色彩をあざやかに映し、ほとりの水は、絵巻物のごとくに美しい。

 水面みなもには三人の影が映りこんで、言葉も言わず、静かにゆれていた。

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