第29話 頼朝、裁決を下すこと

「長江太郎、大庭平太――両者ともに、怒気をおさめよ」


 頼朝は静かにふたりを制し、義景にむかって問いかけた。

「長江太郎、そなた、戦というものについて、考えたことはあるか」


「ハ……と申しますと……」

 思わぬ質問に首をひねった義景に、諄々、頼朝は説きかけた。


「そもそも戦というものは、武芸に卓越した素晴らしい武者を必要とする。だが、まさにその、戦そのものによって、技術を継承する素晴らしい武者たちは滅び、減少してゆく。優れた武者ほど危険な任務を任され、その犠牲となってゆく。そこに戦というものの、武者というものの、おおいなる矛盾がある。

 いにしえの武人の技、優美さ、身のこなし、品位……それらは数多あまたの大戦によって、いまや滅びゆかんとしている。私はその貴い武人の血が、波多野有常というこの若武者のなかに見事に体現されているのを今まさに、見た。そなたらはどうか?」


 清近、実正のみならず、たちまち多くの武人たちから大きな賛同の声があがった。


「そればかりではない。昨年、西行坊が残してくれた宮中の流鏑馬の礼法を、どういうわけか、この有常は完全なまでに体得している。自然に身についている。それは秀郷流の血が為せるものと思う」


 それはこの一年あまり、有常が西行の言葉のひとつひとつを念頭に、必死に稽古してきた成果であった。


「これからの鎌倉には武力だけではない、都に恥じぬ、礼節が体にしみこむほどに身についた武人が、是非とも必要だ。この若者は、その範となりうる素質をもっている。鎌倉にとって有益な存在だ。誅してしまうのは簡単である。しかしここまで完成されたものを失うのは、あまりにも惜しい。私はそう考える。長江太郎、いかがであるか」


「二品様のおっしゃられることは、もっとも至極でございます。さりながら、この者が反逆の志を抱き、……たとえば奥州へ逃亡した義経がもとへ走り、反逆者どうし合力すれば、たいへんな災禍をもたらすことは明白でありましょう。

 不思議なるかな、『よしつね』とは、かれの父の名と同じ。その同じ名を慕い、この有常、奥州の義経を義理の父とあおぐやもしれませぬ。今ここで禍根はきっぱりと断ち斬っておくべきです。誅殺、それしかございますまい」


 断固たる義景の態度に、頼朝は、しばし考えこみ、有常を近くに呼び寄せた。

「有常、御家人たちはみな、そなたの誠心を聞きたがっている。そなたの偽りなき心の内をみなに披露せよ」


「私は……」

 流鏑馬を成功させた今、有常の身の内には異様な力と興奮がみなぎっていた。

 かしこまりつつも、堂々と、思いを開陳した。


「私は今、恩人である大伯父、大庭平太殿をまさに父と思うております。みなさまもご存知のとおり、大庭殿は、幕府創建の功労者でございます。治承の戦にも、そして鎌倉の都の作事にも、私財を投げ打って尽力して参りました。

 その大庭殿の子であるに等しい私が、鎌倉に反逆を企てるなど、天地神明にかけて、ありえませぬ。この鶴岡八幡様にお誓い申しあげます。わたしは大庭殿と心ひとつにして、幕府のお役に立つべく、命がけで働いて参る所存でございます」


 有常はそう言って、ふかくこうべを垂れた。

 これを聞いて感極まった景義は、涙ながら、大甥の肩を護るように抱き寄せると、自分も同じようにして頭を垂れるのだった。


 この機を逃さじと、すかさず頼朝は問うた。

「有常、そなた、そこな大庭平太を父と言うならば、波多野の号を捨てられるか? いかが?」


 ――今こそ、躊躇ならざる決断の時だった。

 すべての未練を断ち切り、若さに等しい勢いをもって、有常は即答した。


「捨てます」


(得たり)

 と頼朝は、どよめきわたる御家人たちのほうに向きなおった。

「有常は波多野の号を捨てた。もはや『よしつね』とは無縁となった。今こそ、この有常を、御家人の列に加えようと思う。おのおのがた、異存はあるまいな」


 これ以上の抗弁は頼朝の心象を損ねるだろう――さすがの長江義景も渋々ながら、打算のうちに矛を収めた。


 頼朝は、裁決の声を張りあげた。

「これにて治承合戦における、波多野次郎有常の罪を赦免する。その願いにより、波多野家の罪も、赦免する。次郎有常は、これより御家人となる。有常、そなたには所領が必要であろう――」


「差し出がましくも、二品様」

 と、口を出したのは景義である。

「……なにか」


「ハッ。先の治承合戦の折、私は波多野義常の遺領のうち、松田の地を拝領いたしております。松田は波多野一の美村。どうかの地をこの者にお返しくださりませ」


 頼朝はうなずいた。

「それは殊勝なる申し出である。有常。これよりは、松田有常と名乗るがよい。鎌倉のために励んでくれよ」

「ハハッ」


 なぜこれほどに有常という若者の味方をする気になったのか、頼朝は自分ながら不思議に思った。

 有常の射技を見守るうちに、頼朝の胸のなかで、まるで共鳴するように魂がふるえたのだ。


 ……考えにひたるうち、にわかに頼朝は悟り得た。

 かれが有常の射技のなかに見たのは、運命が与える試練の谷に転げ落ち、その谷底で自分自身を掴み取ることができた者だけが秘める、魂の輝きと力に他ならなかった。

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