第27話 有常、流鏑馬を射ること

 流鏑馬は、神事である。


 射手や諸役は、おはらいを受け、八幡大神に祝詞のりと祭文さいもんが奏上される。

 玉串が奉納され、二拝二拍手一礼の作法で、拝礼を行う。


 射手たちに、お神酒みきがふるまわれる。

 ひやりとした液体が、有常の喉を焼いた。


 お清めを済ませた弓矢を返されると、有常の胸は高らかに鼓動を打ちはじめた。

 神官、射手、諸役、全員が神前に一礼し、いよいよ流鏑馬の始まりである。



 馬場の周囲を埋めつくす、人、人、人、人の群れ――先の流鏑馬の成功を受け、第三回目を数えるこの流鏑馬には、さらに多くの群衆がつめかけていた。


 馬場元の景色がすこし変っているのは、最近着工したばかりの五重の塔が、石組みの基部をさらけ出しているためだ。

 人が入りこまぬよう、そこにも警備の兵が置かれている。


 境内の斎庭さにわでは人知れず、巫女たちがつどい、舞楽を奏ではじめた。

 しゃん、しゃん、鈴の音が高らかに風を打つなか、白い衣をひるがえし、毘沙璃が静かに舞いはじめた。

 有常の成功と延命をこいねがう、祈りの舞であった。



 陣太鼓が敷地じゅうに鳴り響くと、有常の順番は、あっというまに巡ってきた。

 あらかじめ前評判によって、観衆たちは、かれが罪人であることを知らされている。

 たちまち馬場は、異様な雰囲気に包まれた。


(成功したら、罪を許されるじゃろうか?)

(失敗したらどうなるんじゃろ?)

(まさか、殺されることはあるまい)

(いやいや、わからぬぞ。この鎌倉府では、ありえぬことではない)

(おそろしや、おそろしや……)


 縄五はこの日、白杖を握って境内の警備に巡回していたが、その耳にも観衆たちの無責任なつぶやき声が聞こえてくる。

「カァーーッ、とても見てられねぇ」

 いつもは剛毅なはずの黒鬼の親方が、手のひらで目をおおい、ちいさく悲鳴をあげるのだった。

(自分のことなら何でも耐えられるが、人様のこととなると……)


 親方の異様な様子に、ハダレがすぐに気づいた。

「親方、顔色がヘンですぜ?」

「ぶったおれそうだ……」

 どす黒い顔が、紫色になっている。

「みんな、親方がいけねぇ」

 驚き慌てた人足たちは、よってたかって、縄五の重たい背中を抱きとめるのだった。


 ……そんな境内の異様な空気に呑み込まれることなく、馬場元の有常は、二本の脚でしっかりと地面を踏みしめ、自然な落ち着きを保っていた。


 この鶴岡八幡宮を訪れる度、有常は不思議な心持ちに包まれた。

 自分が手ずからこの八幡宮の造営に携わったのだという、誇らしい気持ちが、自然と湧いてくる。


 汗水流して土を運び、材木を運んでいたあの頃。

 親方や仲間たちに怒鳴りつけられては涙を流し、わけもわからず、がむしゃらに働いていた。

 自分の汗と涙を注いだこの場所が、この土が、今や、かれの花舞台であった。

 しらずしらずのうちに、かれは自分の花舞台を造っていたのだ。

 この鶴岡の八幡さまだけは、自分の苦労も喜びも、すべてを見て、知っていてくれる。


 あれからすでに七年の月日が経っていた。

 かつての郎党たちが運んでくれた、ちいさな木札が、ふところ島の者たちがつくろってくれた帷子かたびらが、耳の底に残る親方と人足たちの掛け声が、そして愛しい多羅葉のお守りが、かれの勇気をしっかりと支えてくれている。


「いつもどおり、やろう」

 愛馬の栗毛の耳元に囁くと、有常は颯爽と騎乗し、呼吸を調えた。


 ゆっくり息を吐く、するといつか聞いた西行師の声が、耳の奥に甦ってくるのだった。

(……有常よ、こだわらぬことじゃ。仏の御心におまかせし、すべてをゆだね、あるがままでいなさい……)


 いよいよ合図の大扇がひらめいたとき、有常は見事なばかりに若々しい声を張りあげた。


「音にも聞くらん目にも見よ。朱雀院すざくいん御時おんとき承平じょうへい将門まさかどを討ち平らげて勧賞かんじょうこうむりたりし俵藤太秀郷たわらのとうたひでさと末葉ばちよう。鎮守府将軍に仕え、千葉合戦にて高名あげし佐伯さえき経資つねすけ以来、源家譜代の忠臣。大波多野おおはだの義通よしみちが直孫、波多野次郎有常。射手つかまつる。ハァッッ」


 有常の馬は駆け出した。

 速い、速い、人馬は一体となり、色彩かがやく一陣の風と化した。


 パァンッ


 耳を抜く音がして、板的は割れ飛んだ。


「一の的、的中ッ」

 どっと歓声があがった。


 すでに有常は二の矢をつがえ、弓弦ゆづるを引いている。


「ムッ、速すぎる」

 実正の焦りを、景義は制した。

「いやッ、大丈夫じゃ」


 快音がくうを割った。


「二の的、的中ッ」

 ワァッと、人々の歓声がさらに大きくなった。


 有常の馬はいよいよ速度をあげ、暴れ狂う竜巻のごとくに突っ込んでゆく。

 馬は激しく尻をふるが、騎手は空中で微動だにしない。

 矢を引き絞る姿も美しい。

 人々の目は釘付けである。


「三の的……」


 パァァァンッッッ

 しんを射抜く音、


「的中ッッ」


 馬場は大歓声に包まれた。

 景義も実正も思わず安堵のため息をつき、額の脂汗もそのままに、会心の笑みを交わしあった。


 頼朝は思わず立ちあがり、馬場末に遠ざかって行く射手を見送った。

「いま一度、あれの名を」


 ――間髪いれず、景義はその名を告げた。


「有常――波多野次郎有常にて、ございまする」


 頼朝は、うなずいた。

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