第三章  獅子と牡丹 (ししとぼたん)

第21話 有常、みおの家を訪うこと

第三部  救 済 編


第三章  獅 子 と  たん




   一



 年が明けた。


 有常は人目を忍んで夜を待ち、みおの家に食べ物や菓子、油や刈り柴などの日用品を届けに行った。


 月あかりの下に、三角形の板葺いたぶき屋根が、くっきりと浮かびあがっていた。

 三角屋根は、地面から直接にせり出している。


 跳ね上げ式の扉が、二本のつっかえ棒で宙に上げられており、光に集まる虫を狙って、やもりが身をくねらせている。

 他人の住居の、嗅ぎ慣れない生活の匂いが、かしぎの煙とともにあふれだしてくる。


 有常は「もの申さん」と声をかけ、短い梯子を伝って地下におりた。


 家のうちは、間仕切りなしの、ひとつの大きな空間になっている。

 すこしひんやりとして、土の臭いがする。

 土床には、やわらかなむしろがまんべんなく敷きつめられている。

 このような地下じげの人の家は、有常にとってみればもの珍しく、面白く感じられた。


 家の子供たちが、わっと駆け寄ってきた。

 有常は子供たちに手をひかれながら、人々が集う囲炉裏の端へと招き入れられた。


 景義が色々と手を打ってくれたおかげで、みおの家族は有常を受け入れてくれている。

 ただ祖母だけは、あいもかわらず有常と目を合わさず、薄暗い灯りのもと、狸の皮の敷物にあぐらをかいて、黙りこくって糸をっている。


「これ、また、いつもの麦縄です」

 有常が緊張しながら、揚げ菓子の入ったおひつを手渡すと、老婆は「ふん」と鼻を鳴らしながら受け取った。

「わしはどうでもいいんじゃがの。みおが大好物じゃで、もらっといてやるわい」


 それを聞いたみおは、口をあんぐり開けて呆れ返った。

「なに言ってんの。ばばさの大好物でしょ?」

「ぶ、ぶゎか抜かせ。わしはこんなもの好きでねぇッ」

「もう、ほんとに強情なんだから」

「ふぬッ」と唸って、老婆はそっぽをむいた。


(……持って帰ってしまってもらおうかしら……)

 みおはそう思いつつも、口には出さなかった。


 何かにつけて口うるさい存在ではある。

 しかし、なんだかんだと、こまめにみおの世話を焼いてくれるのも、この祖母であった。

 家のなかで一番居心地のよい場所――火が温かくあたって、空気の通りもよい場所――を、普段は独り占めしているのだが、今は進んでみおに譲ってくれている。

 だからみおも、意地悪を言いたくはなかった。


「はいはい、じゃあ、あたしの大好物の麦縄をいただきます。次郎さ、ありがとうございます」

 そう言ってみおは、有常と目を見合わせ、ため息まじりに苦笑するのだった。



 この祖母を家長に、みおの家には、母と妹、みおの叔母家族がひとつ屋根の下に住んでいた。

 みおの妹は、みおにも増して元気の塊で、唄ったり喋ったり、時々キャッと叫んでみたり、しじゅうせわしない。


 みおの母はいつも疲れたような、けだるげな感じだが、家族の会話をよく聞いていて、すっと冗談を入れるのがうまい。

 そうすると姉妹は笑い転げて、なおいっそうおしゃべりに拍車がかかる。


 叔母の家族は、夫と三人の子供。

 この夫は桶づくりが生業なりわいで、潰れたような萎え烏帽子をかぶり、いつも気弱そうな、やさしげな様子で手仕事をしている。


 子供たちは女の子ふたりと男の子で、上の姉ふたりはいつも元気に家のなかを走り回ったり、泣いたりわめいたり、笑い転げたりしているが、弟のほうは姉たちに元気を吸い取られてしまったかのように、いつもじっと父の背中に隠れている。


 炭焼きをなりわいとする男も、この家に出入りしている。

 この男は、みおの母のもとに通ってくるのである。

 いつも鼻の頭を炭で真っ黒にして、有常の顔を見ると、どういうわけだか、まるで兄弟だとでもいわんばかりに、人もよさげに、にぃと笑う。


 このにぎやかな家のなか、寝具の上に横座りしたみおは、だいぶお腹もふくらんで、体もつらそうであった。

 有常はみおの体を気づかいながら、興奮を抑えかねる様子で身を乗り出し、嬉しい報告をした。


「いよいよ、流鏑馬の射手に選ばれたんだ」

「やぶさめ? しゃしゅ?」

 有常は困った顔で、ひたいに手をやった。

「ああ……ええと、とにかく、鎌倉殿の前で弓矢の技を披露するんだ」


「かまくらさま……」

 みおの顔に、急に不安の影がさした。


「いや、心配しなくていい。もしそこで成功すれば、私は晴れて罪をゆるされ、鎌倉の御家人になれる。長年のあいだ取り組んできた夢が、現実のものになるんだ」

 有常の明るい顔を見て、みおの表情もやわらいだ。


「それで、すまないが、しばらくのあいだ会えなくなる。稽古に集中して、精進しょうじん潔斎けっさいしなくてはならないんだ」

「え? いつまで?」

「本番は四月うづきの三日だ。鶴岡八幡宮の四月祭が開かれるんだ」


 ……すこし考えてから、みおは「わかった」と、素直にうなずいた。

「あたしはやや子のこと、がんばるよ。次郎さは、弓矢のこと、がんばって。ふたりでがんばろう」

 そう言うと、みおは多羅葉の葉を取り出し、有常に字を書いてくれるようねだった。

 有常は心をこめて、みおに読めるように、大きく仮名を刻んだ。


 ――じらう、みを、ややこ


 みおはその葉を、安産のお守りにするのだと言う。


「私にも書いてくれ」


 ――じらう、みを、ややこ


今度はみおが書いて、有常に渡した。


「一番のお守りだ」

「うん」

 嬉しそうにうなずいて、みおはお守りの葉を大切に胸に抱いた。

「毎日、祈ってるね」

「ああ、私も、祈っている」


 自分のためだけでなく、相手のために、これから生まれてくる赤子のために――ふたりの目には、同じ信頼の喜びがあった。

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