第20話 流鏑馬、はじまること

 すでに正殿正面には、横向きに、一直線の細長い馬場が設けられていた。


 馬場には間隔をあけて三つの板的いたまとが据えられている。

 板的は、正方形を斜めに菱形ひしがたにして、串に据えてある。

 射手は一本道に馬を疾走させながら、三つの的を順に射抜いてゆくのである。


 馬場の北辺には御殿が造られ、幔幕まんまくで飾られ、貴人たちが見物するための桟敷さじきとなっている。

 中央に頼朝と於政、十歳の大姫、六歳の万寿丸、赤子の三幡姫、家族そろってくつろぐ姿が見える。

 左翼右翼の桟敷は、御家人たちとその家族で埋めつくされている。


 対面する南辺には、下々の民も見物に押し寄せている。

 流鏑馬なるものを一目見ようと、坂東中の人々が集まってきているのだ。

 なかには木に登り、枝にまたがっている者、玉垣によ攀じ登る無礼者までいて、警備の兵が降りろ降りろと怒鳴っている。


 この流鏑馬会場の設営は、景義ひきいる鎌倉一族の尽力によるものであった。

 かれらは境内の警備にも忙しい。

 有常もこの日は、半首はっぷりをかぶり、白杖を片手に、ひそかに大庭の郎党に身を扮していた。

 景兼や葛羅丸とともに警備につとめながら、今か今かと迫りくるはじまりの刻を、わがことのように胸を高鳴らせ、待ちわびていた。



 やがて陣太鼓が打ち鳴らされると、境内は、しんと静まりかえった。

 人々が固唾をのんで見守るなか、神官と射手たちのお披露目ひろめの行列が姿を現した。


 神官がぬさを手に、走路を祓い清めながら、射手をひきつれて馬場を往復する。

 ひづめゆくところ、土煙があがり、馬の野性の匂いが鼻をつく。

 体重のかかった重々しい蹄の音、馬具の金属音。


 人々は熱い視線を送りながら、行列が自分たちの前まで近づいてくるのを待ち焦がれた。

 そして華々しいいでたちの騎手が目前を通り過ぎれば、必ず明るいざわめきが巻き起こった。



 鎌倉で初めて開催される流鏑馬の、その一番手の射手――これはいわば大戦おおいくさの先陣を勤めるに等しい、華々しい栄光の役柄であった。

 選出されるべきは弓馬の達人であり、容姿端麗、かつ、由緒正しい御家人でなければならない。


 ……ここにその栄光を一身に浴びた美服の射手は、騎乗のまま馬場元へ進み出ると、居丈高に、大音声だいおんじょうの名乗りをあげた。


「奥州の合戦に、出羽国金沢の城を攻めたまいし時、十六歳にして戦の真先に駆け、鳥の海の三郎に右の眼を射つけられながら、答の矢を射返してその敵を討ち取りし、鎌倉権五郎景正が直孫じきそん


 人々がワッと沸き返るなか、義景は黒鹿毛の馬に鞭を当て、八幡宮の緑のもりを疾風の如くに駆け抜けた。

 この人は元来、弓馬の手練れであったが、流鏑馬の達人を師に招き、おのれの技に、さらに磨きをかけていたのである。


 鎌倉権五郎の伝説を身にまとい、大胆不敵な笑みを浮かべながら、かれはみっつの的をすべて射抜き切った。

 このひと駆けに、長江太郎義景の名声は極まった。

 陣太鼓が打ち鳴らされ、鎌倉じゅうが怒涛のような歓声に包まれた。


 興奮冷める間もなく、次々、馬場元から名だたる武者が現れた。


 二番手、伊沢信光。甲斐源氏、二十五歳。

 三番手、下河辺行平。百戦錬磨、頼朝から日本無双の弓矢取りと称された達人。

 四番手、小山の千法師丸。あどけなさの残る、元服前の童。

 五番手、最後のとりを勤めるのは、三浦一族の次期当主、三浦義村。


 威勢のいい若武者はもちろん、油の乗りきった中堅、熟練の老武者、果ては幼少の弓上手まで、順序よく取り揃え、観る者を飽きさせずに盛りあげる、巧みな構成になっていた。

 選ばれし五人の射手はさすがの面々、極度の緊張を強いられるたいへんな大舞台であったにもかかわらず、心根太く、全員が見事に大役を果たし切った。


 武者であれ、民であれ、鶴岡八幡宮につめかけた誰ひとりにとっても、この日は忘れられない、輝かしい一日となったのである。



 有常は、馬場のかたづけと掃除に加わりながら、自分がこの場所に馬を駆けさせている姿を想像して、胸が高鳴った。

(いつか、必ず――)

 その日がやって来ますように……

 心ひそかに、八幡神に祈るのだった。

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