第17話 有常、井戸端をのぞくこと

 蝉声が割れんばかりに降りそそぎ、夏の光がえるように輝いている。


 早朝からの容赦ない暑さに、有常は烏帽子を浮かせ、顔じゅうの汗をぬぐった。

 汗で重く濡れた烏帽子の顎紐が、少々不快であった。


 見れば、人足仲間たちが館の片隅で、ひとかたまりになって集まっている。

 挨拶しようと後ろから声をかけると、みな一様に、ぎくりとしながら、真っ黒な日焼け顔をふりむかせ、白い大きな目玉をぎょろつかせた。


「なんだ、次郎どんか……」

「どうしたんだい?」

「へへ、いいところに……」

「なんだい?」

 若い連中は意味ありげにほくそ笑むと、近くの草陰に有常の腕をひっぱりこんだ。

 息をひそめ、こそこそと隠れるようなそぶりである。

「あれを、ごろうじろ」


 見ると、井戸端で女たちが集まって洗濯をしていた。

 下に洗濯板を敷き、その上で衣を踏みつけて洗うのである。

 勢いよく洗濯物を踏みつけているうちに、着衣の襟元がだんだんはだけてゆき、乳房が次第に次第にあらわになってゆく。

 若い男たちは生唾を飲み込んで、その様子を一心にのぞいているのだった。


「みおだ……」

 ひとりがため息まじりに囁いた。

 さっと視線を走らせた有常は、女たちのなかに、みおの姿を見つけた。


 大きな瞳をくるめかせ、活き活きとおしゃべりし、仲間たちと戯れあいながら、一心に衣を踏んでいる。

 育ちざかりの白い肌が水玉を浴び、真夏の光のもとで真珠のように照り輝いている。

 衣を踏むたび、てのひらにやわらかく乗りそうな乳房が、はじけるようにふるえる。

 しなやかな手首で、乱れた髪をかきあげた様子は、彼女のまわりだけが涼しい風につつまれているようだった。


「みおの婿になりてぇ……」

「俺もじゃ」

「ええのぅ……」


 日輪が頭の真上から、熱くのしかかってくる。

 よだれも垂らさんばかりの男たちと一緒になって、有常もなにもかもを忘れて見入ってしまった。



 その日一日、ろくろく稽古も手につかなかった有常は、夜を待ち切れず、みおを海に誘った。


 烏帽子岩に、明るい月がかかっていた。

 波が砂浜を征服しようと押し寄せ、砂浜は一時いっとき、征服されたふりをする。

 激しい渦にくるまれ、叫びをあげて、水泡みなわに溺れる。

 ついに波は絶頂まで達し、力なくほどけて、白い線を描きながら砂浜から引いてゆく。

 砂浜は広い胸をあらわに、ふたたび波が押し寄せてくるのを待っている。

 波と砂とはとけあいながら、幾たびも幾たびも、貪欲な遊戯が繰り返されてゆく。


 潮風に朽ちかけた海の苫屋とまやで恍惚の刻がすぎると、ふたりは手のひらを重ねあわせ、同じ海を見つめた。


「髪、伸びたね」

 甘やかな吐息をつきながら、みおが熱い闇のなかでささやいた。

「ああ」

 やわらかな指先が、有常のびんをなぞる。

「結いなおしてあげよっか」

 背なかにまわって、みおは有常のもとどりの紐をほどいた。

 みおの両手の、すべらかな感触とぬく温もりに、有常は恍惚と身をゆだねた。


 すこしの沈黙があり、耳元に、ふいに熱い吐息がかけられた。

「次郎さ、やや子ができたみたい」


 突然にくらから転げ落ちたかのように、有常の頭は真っ白になった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る