第16話 清近、若者たちを鍛錬すること
二
ふところ島の東に、
そこは平坦な砂地がつづく場所で、海からの離れ具合も若宮八幡宮に似せてある。
「コラッ、脇が甘いわッ。しっかり締めんかッ。
清近の本気の怒声が飛び、教え子たちは思わず首をすくめた。
「なんだ、泣いているのかッ、千鶴」
「いえ、泣いておりませぬ」
口ではそう言いつつも、幼い目にはぼろぼろと涙があふれている。
大きな馬の背に、お人形が乗せられているのかと思うほど、ちいさな体で必死にしがみついている。
(清近先生は、まったく、鬼じゃな)
(ほんに、鬼じゃ)
ふたりの騎乗の若武者……有常と
清近先生……藤沢清近が仕える信濃の諏訪大神は、武神として全国的に有名である。
諏訪大社では、流鏑馬などの馬術競技が盛んに行われている。
清近は神官武者の子として、幼い頃からその技を鍛えられてきた。
景義が見込んだこの義弟は、流鏑馬の指導者としても、稀に見る逸材であった。
かれは責任感も強く、将来ある大事な若者たちを託された以上、事故ひとつ、間違いひとつあってはならぬと、常に厳しい姿勢を崩さなかった。
そんなところへ、
「千鶴丸、がんばっておるの。ほれ、笑いなされよ。喜びながらやれば、上達も早いでのう、ふぉふぉふぉ」
千鶴に馬を寄せて励ます景義の姿を見て、有常と景兼は、ほっと安堵するのだった。
(大おじ上は、仏じゃな)
(地獄に仏じゃ)
景義の教え方は、清近と違う。
たとえば若者たちが弓の素引きをしていると、無言で背後に立ち、正すべき箇所があれば、短鞭でコツコツと軽く叩いて指摘する。
景義が近くにいると、おおらかで楽しげな雰囲気が自然と伝わってきて、体から妙な
清近の鬼の教練、景義の仏の教導、そのふたつがうまく噛み合い、若者たちにとって有益な血となり、肉となってゆく。
火と水とで、
この稽古の様子を、
男は様子を見届けるや、東の方角へと走った。
途中で馬を駆り、男が辿り着いたのは長江義景の鎌倉屋敷である。
――義景の、間諜であった。
話を聞くや、義景は合点してうなずいた。
「なるほど。景義めが最近よく鎌倉をあけるのは、左様な理由か。つまり、弓達者の藤沢清近を師に招き、息子の景兼に稽古をつけさせておるのじゃな? 鶴岡八幡宮で開かれるという流鏑馬で、わが子に高名を授けようという腹づもりであろう。コソコソと、いけすかぬ」
義景はしばらく考えていたが、やがて太眉を片方だけもちあげてニヤリと笑った。
「よし、全力をもって邪魔してやろう。わしこそが鎌倉党の総領にふさわしい器量の持ち主であることを、坂東じゅうに認めさせてやるのじゃ」
義景は膝を叩いて立ちあがった。
「殿、いずこへ」
「流鏑馬の達人を探す。忙しくなる」
――西行が鎌倉を去って、すでに丸一年が経とうとしていた。
いよいよ若宮八幡宮において、初めての流鏑馬が開かれる。
その射手に有常を推薦しようと、景義は手をつくしているのだが、射手役の人気は高く、御家人たちがわれもわれもと殺到し、たった五人の枠を奪いあっている。
そのような情況下、罪人の有常を
「どうやら難しくなってきたぞ」
日も近づいて、景義が内情を伝えると、清近は冷静に私見を述べた。
「今回は
「うむ、わしも同感じゃ」
と、景義は思慮深くうなずいた。「それにな、今年よりも来年のほうがよい理由が、他にもある」
「いかな?」
「来年、二品様は四十二歳。
「鎌倉殿の厄年……。なるほど、そこまで考えますか……」
清近には思いも至らなかった、年の功ともいえる景義の深謀遠慮であった。
すでに清近自身にも幕府からお呼びがかかり、かれは流鏑馬大会の企画運営役の、主要な一員となっていた。
諏訪大社で磨かれた、流鏑馬の知識と経験を見込まれてのことである。
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